ラジオも電話もコンピューターも、三極真空管から始まった

ラジオも電話もコンピューターも、三極真空管から始まった 1

今回の記事は、『クラウド化する世界』(原題:The Big Switch: Rewiring the World, from Edison to Google)などの著作で知られるニコラス・G・カー氏の最新刊、『The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains』(直訳:浅い流れ---インターネットが我々の脳に対し何をしているか)からの抜粋になります。今月、アメリカで発売されています。

この中でカー氏は、インターネットという道具いかに人間の思考のあり方を、浅く小間切れなものにしているかを指摘しつつ、情報技術関連の歴史を振り返っています。ここでは、意図せず発明されたのに、その後ラジオや電話、初期のコンピューターで使われ、情報技術の基礎となった三極真空管と、その発明者リー・ド・フォレストについて書かれています。

続きでどうぞ!

 今やわざわざ話題にすることも少ないけれど、我々の生活や社会のあり方を決定づけた発明があります。内燃機関しかり、白熱電球しかり。そして、三極真空管しかり、です。

三極真空管は、初めての電子装置によるオーディオアンプであり、その発明者はリー・ド・フォレストという人物です。

アメリカには変わり者の発明家がたくさんいますが、ド・フォレストはその中でも突出しています。意地悪な、気持ちの悪い人物で、みんなから嫌われていました。高校では、「一番ぱっとしない男子」に選ばれたくらいです。そして彼自身は巨大なエゴと、同じくらい巨大な劣等感を背負って生きていました。彼は結婚と離婚を繰り返し、同僚から孤立し、いくつもの事業を起こしてはつぶしていました。その一方で、しょっちゅう詐欺や特許侵害の疑いで告発されたり、彼の敵に対して訴訟を起こしたりしていたのです。

ド・フォレストはアラバマ州で、学校の校長の息子として育ちました。1896年にイェール大学で工学博士号を取得した後10年間、最新のラジオ電信技術をいじりまわし、富と名誉を手に入れるための突破口を必死に探していました。

1906年、その時がやってきました。彼はそれが大発明につながるとは意識せず、二極管を手にして、片方の電線(フィラメント)からもう一方(プレート)に電流を流していました。次に電線をもうひとつ付けくわえ、二極を三極にしてみました。そして、彼が小さな電圧を3つめの電線(グリッド)にかけたとき、フィラメントとプレートの間の電流を増大させていることに気が付いたのです。この三極管は、彼の特許申請文書における説明によれば、「微弱な電流の増幅」に利用可能、というものでした。

ド・フォレストの、一見地味なこの発明は、その後世界を変えるものとなりました。三極管は電気信号を増幅することができるので、ラジオ波として送受信されている音声伝送の増幅にも利用可能だったからです。

それまで、ラジオの利用は限定的なものでした。なぜなら、ラジオ信号の強度は急速に低下する性質があるからです。が、三極管が信号を増幅することで、長距離の無線送波が可能になり、ラジオ放送の土台ができたのです。また三極管は新たな電話システムに不可欠な要素であり、アメリカ、または世界の反対側からでもお互いの声を聞くことを可能にしたのです。

ド・フォレスト自身は三極管の発明時点ではそこまでの可能性を認識できていないまま、図らずもエレクトロニクス時代の幕を開けてしまったのです。

電流とは、簡単に言えば電子の流れで、三極管はその流れの強さを正確にコントロールできる最初のデバイスとなったのです。20世紀が進むにつれて、三極管は近代的通信、エンターテインメント、メディア産業などの技術的中核を担うようになりました。ラジオのトランスミッターやレシーバー、Hi-Fiオーディオセット、PAシステム、ギター・アンプなどに使われるようになりました。

また真空管は、初期のデジタルコンピューターの多くにおいて、データ処理装置やストレージとして使われており、初期のメインフレームマシンは数万もの真空管を備えていました。1950年前後、真空管はより小さく安価で信頼性の高いトランジスタに取って代わられ、そこから電子機器が爆発的に普及していきました。小さくなった三極トランジスタという形で、ド・フォレストの発明は情報時代を支えてきました。

でも結局、ド・フォレストは、彼の発明がもたらした世界の到来を、喜ぶべきか、失望すべきかよくわかりませんでした。雑誌Popular Mechanicsに寄せた手記「電子化時代の夜明け」(Dawn of the Electronic Age)の中で、彼は三極管の発明を「今日の世界を抱く巨大な樫の木を生んだ、小さなドングリ」と呼び、それを生みだしたことを喜んでいます。が、同時に彼は商業的放送メディアの「道義的堕落」を嘆いており、「我が国の精神レベルは憂うべき状況にあることが、今日の多くのラジオ番組の低能ぶりから観察される」と書いています。

将来のエレクトロニクスの使われ方については、彼はさらに悲観的でした。彼は「電子生理学者」がいつか「思考や脳波」の観察・分析ができるようになり、「喜びや悲しみが絶対的・定量的に計測できる」ようになると考えていました。究極的には、「22世紀の教職者は、覚えの悪い生徒の脳に知識を移植することができるだろう。いかに恐るべき政治的可能性がそこに潜んでいることか!でもそんなことは後世の話であって、我々には関係ないことに感謝しよう」としています。

Nick Carr(原文/miho)

 

※御指摘ありがとうございます。記事修正いたしました!