アメリカ政府が潰した「史上最も安全な車」の物語

アメリカ政府が潰した「史上最も安全な車」の物語 1


アメリカに政府が作った車があったの、知ってる?

今から35年前、米政府は路上のどの車より安全な車を作り、25年前密かに潰しました。スクラップを免れたのは2台だけ。これはその幻の車の物語です。

米議会・自動車産業は厳しい安全基準に取り組んでいますが、どれも連邦政府がかつて自前で行った自動車設計プロジェクトの足元にも及ばない、とされます。そんな安全な車を議会は1966年、潰してしまったんですね。

ラルフ・ネーダーが衝撃の書『どんなスピードでも自動車は危険だ(Unsafe at Any Speed)』を出版してまだ間もない当時、米運輸省設立決議原案には同省に独自の新安全装置テスト用実験車両を作るよう命令が盛り込まれ、国外13ヵ国と草案の取り交わしが行われました。新省庁の若手たちは、その第1陣の製造をゼネラル・モーターズ(GM)を含む3社に外注しました。

そして生まれたのが、1台重量5000ポンド(2267kg)を超えるモンスターなセダン3台。安全性と燃料抑制の両方を兼ね備えた車です。

『Popular Mechanics』1972年10月号掲載の詳報によると、車にはルーフマウントのペリスコープ(潜望鏡)、俳優ドム・デルイーズの巨体も引っ張れるぐらいワイドなバンパーを装備。GMモデルは後部シートに「credenza(サイドボード)」がついていて、事故の時には後ろの席の人を表面がビニールのおっぱいで受け止め保護する、というものでした。

が、アーチ形ルーフに不満だった米道路交通安全局(NHTSA)はコースを急きょ変更し、1975年に「1985年の安全な車の外観」 を競うパン焼きコンテスト(コンペですね)を開催します。フォードとフォルクスワーゲンもアイディアを出しましたが、NHTSAがこのうまく行けば3000万ドルの大型契約の相手に選んだのは、独立系のエンジニアリング会社、カルスパン(CalspanとMinicars)でした。

カルスパン社はクライスラーが寄贈したフランス製Simcasを修正したものを出品しましたが、Minicars社の方は新モデルを一からデザイン。目指したのは、時速50マイルで事故に遭っても中の乗客が全員フロントからもサイドからも保護され、尚且つ燃料消費を最小に抑えた4人乗り小型車です。

結果生まれたのは、『宇宙空母ギャラクティカ(Battlestar Galactica)』の小道具デザイナーが作ったAMCペーサーとも言うべき車でした。


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カーター政権の奥座敷から出てきた米国産の鉄の塊。そこには、この14台のMinicar社の研究用安全車両(Research Safety Vehicles。以下RSV)には夥しい数の技術が結集されていました。

フェンダーとフロント・フェイシア(フロント・グリル周辺)は、時速10マイルの衝撃を受けても無傷なプラスチック複合材。そして最新鋭のバージョンのプラステチック製ボディの下にはランフラットタイヤ、アンチロックのブレーキ(衝撃感知レーダー付き)、2段階エアバッグが装備されています。フロントシート上のルーフ、ここにはシースルーのプラスチック製シールドが取り付けられているので、後ろから追突されても潰れません。

動力源は1977年製ホンダ・アコードから拝借した4シリンダーエンジンで、これをミッドリアのレイアウトに搭載。後輪は5速自動マニュアルトランスミッション(MT)で駆動します。テストドライブでは1ガロン約32マイルの走行距離を出しながらも、テスト衝突では最大時速50マイルまでなら大体の事故で乗客を最小限の負傷に食い止めることができることが判明。NHTSA当局職員たちも、このMinicarの技術が標準となれば年間何千人という人の命が助かるかもしれない、と主張しました。

ドアはもちろん、ガルウィング。当時Minicarsのプロジェクトを総括したドン・フリードマン(Don Friedman)氏曰く、これはジョン・デロリアン(John DeLorean)と同時代のコンセプトとして洗練を極めたいという発想で採用したものだそうですよ。

安全性にはCBラジオやコリント革にも負けない宣伝効果がある-1979年を迎える頃にはNHTSAも米国内自動車メーカーにそう説得することに決め、自動車業界ショーやカウンティーフェア(各地方の物産展・品評会)にMinicar RSVを出展し、理解推進に努めます。

アメリカ高速道路保険研究所の研究ディレクター(当時)、ベン・ケリー(Ben Kelley)氏もさっそく公共広告で応援することにし、カナダ人俳優ローン・グリーン(Lorne Greene)に一番仕立てのいい白の背広で1日奉公してくれ、と出演を依頼。そうしてできた広告がこれです。



「史上最も安全な車です」と語るアダマ司令官。「ひとつ問題があります。あなたには買えないんです」。で、支持を表明したい視聴者の方はNHTSAまでお電話ください、と電話番号が出て、おしまい。

この呼びかけに応えて電話した視聴者は、1万人にのぼりました。

とはいえMinicarはまだショールームに展示できる状態には程遠いものでした。なんせ1970年代のガルウィングのドアです。そりゃセントパトリックスデー1週間前のビリー・カーターみたいな頼りなさだったわけですよ。それと安全技術は一式揃ってるんですが、このMinicarにはひとつだけ欠けてる標準機能があったんです。フロントのシートベルトです。

エアバッグの技術自体は特に目新しくもなかったんですが、デトロイトの自動車メーカー各社は大型車でも最高級車でもない車両にまで全部エアバッグを装備するなんて...と難色を示しました。 NHTSAとRSVのチームは、彼らの最先端のエアバッグが小型車でいかに素晴らしく機能するか、特に乗客がシートベルトを着用してない時にエアバッグはとても有効なので、そこを見てもらいたかったんですけどね。

というのも、フリードマン氏によると、1980年代にはシートベルトするアメリカ人はたった13%どまりで、その割合いは1985年までそんなに変わる見込みもない状況だったようですから。


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59台のMinicarsのRSVと、カルスパンのクライスラーから回収したデータを武器に、1980年にはNHTSAのチーフ、ジョアン・クレイブルック(Joan Claybrook)氏も引き続き次世代の新安全車両を作る方向で準備万端でした。今度は目標重量2000ポンド(907kg)、4人乗り、時速40マイルの衝撃テストでも潰れずにパスできる車を作ろうと張り切っていたのです。

ところがその努力もむなしく、1981年には全てが終わってしまいます。レーガン政権の「It's morning in America again」(米国の夜明けが来た:2期目大統領選挙CM。歴代選挙のCMで最も美しいとされる)のチームがRSV事業撤退を決め、ローン・グリーン出演の公共広告も即時放映中止に。2年後(高速道路保険研究所の)ケリー氏が米議会に出て、米国の新車は全部「組み立てラインから出た途端、時代遅れになるだろう」と言うはずだったのに、そうはならず、また政府の専門家たちは、一般アメリカ人のシートベルト嫌いも手伝って、自動車事故による死者数は1990年までに7万人にのぼるだろうとの予想を出しました。


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残る数少ない安全用車両は運輸省の地下で朽ちるに任せていたのですが、1990年になって転機が訪れます。クラレンス・ディトロウ(Clarence Ditlow、自動車安全センター現事務局長)ら安全運動代表と、当時共和党指揮下にあった運輸省との間で、燃油経済性の基準強化が小型車の死亡増加に繋がるかどうかで、長い対立が生まれたのです。そこで同省はスミソニアン博物館にRSVのうちどれかひとつでも引き取ってくれないかと打診(引き取ってもらえた)。情報公開法に基づく開示請求が出されたNHTSAは、残りの全車両を黙ってスクラップ送りにしていた事実を明らかにします。1991年7月1日、RSVのショーカー(展示用のドリームカー)はダミー人形も積まず、エアバッグも切った状態で時速50マイル(80km)でバリアにぶつけられ、粉々になりました。


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当時のNHTSAチーフのジェリー・カリー(Jerry Curry)氏は、もうどっちみち老朽車だったし、誰でもあの車両のこと知ってる人は同じことしただろうと、頑固に言い張りました。が、1980年代ずっとNHTSAチーフとしてRSV車両を総括したクレイブルック(Claybrook)氏は議会で、この破壊行為はナチスの焚書のような暴挙だと述べました。

現在タフツ大学医学部で教鞭を執るケリー氏も、「あの車たちをクズ鉄にするなんて、とんでもない発想だ」と言っています。「歴史的に重要な意味を持つものを保存すると何がプラスか分かるかね? 未来になると、過去をもっとよく知りたくなるもの。過去を破壊すること即ち、未来から過去を学ぶアクセスを破壊する行為に他ならないんだよ」

フリードマン氏は、「みんなこんなもんじゃない、もっとできる、ということがわかる証拠を意図的に破壊したんだな...と思いましたね」と話しています。

政府がうっかり知らなかったのは、カウント落ちのことです。

レーガンのクルーが1981年にRSVプログラムを潰した際、Minicarは店舗にまだ2台残ってたんです! 1台はほぼ完成品、もう1台はエンジンのついてない車です。その2台はずっと何年も保管され、無視されてきました。が、カリフォルニアのフランク・リチャードソン(Frank Richardson)という男性が1996年、自分で事故衝突テストの会社を立ち上げる際に利用した資産売却セールで、これを買い取るわけです。

昨年になってリチャードソン氏とフリードマン氏はNHTSAに「Minicarは実はまだ存在する」という話を明かしました。NHTSAはリファービッシュ(整備)用の代金を出してくれたそうです。無傷のMinicarの方は送水ポンプが要るけど、それ以外のところはちゃんと今でも動くんですよ。

「他にも買いたがる人がいたら、かなり値は釣り上がったと思いますよ」と、リチャード氏。


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アメリカの発明品はVCRもリチウムイオン電池もデビッド・ハッセルホフもそうだけど、国内ではパッとしないのに海外で流行るんですよね。RSVの技術もご多分に漏れず、その多くは海外でのみ花開きました。アンチロックブレーキとエアバッグはどちらも標準装備されたのはヨーロッパ車が最初(研究も古くからあるが)。日本の自動車メーカーは衝撃感知のブレーキシステムを2003年に市場投入しますが、これはRSVに搭載になってから25年近く経った後です。しかも米国内自動車の正面衝突安全性の基準となったNHTSAの5ツ星評価は、時速35マイルでテストを行ってるんですね。つまりRSVがクリアした速度基準にまだ15マイル足りないのです。

アメリカの交通事故死者数はここ数十年間は例年大体4万人のラインを横ばいでしたが、昨年は1961年以来最低の水準の3万3963人まで減りました。現代の車はかつてないほどRSVと共通点があることも、減った一因かもしれません。小型車は燃料消費の基準も厳しくなっており、さらに大きな原油不安も差し迫っています。本稿で紹介したプログラムの実現目標日は1985年―約30年早過ぎたのかも。

「RSVが同時代に与えた影響はそれほど大きくないと思うね」とフリードマン氏。「あれは我々がこれから未来で見るパフォーマンスの先駆けなんですよ」


本稿執筆は、ワシントン在住記者Justin Hydeさんが担当しました。

写真クレジット: 自動車安全センター資料アーカイブ、Karco Engineering

Justin Hyde(原文/satomi)