【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話

【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話 1

さて、3回目はMatintosh誕生秘話や忍び寄るIBMの影の時期です。ジョブズ伝説の光と闇が世界規模で拡大する、非常にドラマチックな数年間でございます。

1979年

ジョブズは「Lisa」プロジェクトをスタートさせます。プロジェクト名の由来はまあ彼のまだ認知していない娘からとったものなのでしょうが、社内では「Local Integrated Software Architecture(ローカルで統合されたソフトウェア・アーキテクチャ)」の頭文字とされており、ジョークで「Let's Invent Some Acronym(何の頭文字かを思いつこう)」の略だとかも言われていたとか。

Lisaはゼロックスのパロアルト研究所での研究からインスパイアされた、ウィンドウとマウスからなるグラフィカル・ユーザーインターフェースを持ったコンピューターを指向していました。伝え聞くところによると、同研究所でこのシステムを紹介されたジョブズは、興奮のあまり辺りを飛び回りながら「なぜ君たちはこれを製品化しないんだ!? こんな素晴らしい発明はない!  まさに革命だ!」と叫んだとか。ローリング・ストーンズ誌でも、ジョブズは当時を振り返って、こう述べています。「まともにモノを考えられる人間なら、全てのコンピューターがいつかこのように操作するようになる、ということに異は唱えないと思うね」。

また、ジョブズはこの年、Los Gatosに家を買いました。飾りつけなどはほとんどなく、極力シンプルで、マックスフィールド・パリッシュの絵画(余談ですが僕も画集持ってます)と、マットレスとクッションがいくつかがあるだけだったと伝えられています。

メルセデスのクーペのオーナーとしても知られる彼が、最初に同車を買ったのがこの年でもあります。この時は、同時にBMWのバイクも購入しています。

同年、彼は髪をこざっぱりと切り、ときおりスーツを着て、ちょっとビジネス界の風習にも従うようになります。

アップルとしては、この年、初のワープロソフト「AppleWriter」と、それに最適化された初のプリンター「Silenttype」をリリースしました。

ジョブズは実父確定検査を受け、94.97%の確率でLisaの父親であることが証明されました。しかし彼は認知を拒否し、母親のクリス・アンは生活保護生活を余儀なくされます。裁判所はこの年、ジョブズに養育費を払うよう命令を出しました。

(写真は1982年にDiana Walkerによって撮影されたもの。)

  

【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話 2

1980年

アップルが株式公開を果たし、ジョブズは初日で2億1700万円の財産を手にしました。

彼のインド旅行のパートナーでもあり、アップルの従業員ナンバー11番でもあるダンさんはストック・オプションを受け取っていません。噂によると、ジョブズが彼にオプションを渡さなかったのは、彼がクリス・アンの悩みを聞いてあげていて、そのことに不信感を抱いていたからだと言われています。他の創業メンバーも、ストック・オプションは受け取っていないか、受け取っていたとしてもごくわずかでした。一方、アップルの共同設立者であるスティーブ・ウォズニアックは、「ウォズプラン」と称して、彼の所有する株式の1/3を提供し、従業員に対して1人2000株まで買えるようにしていました。

【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話 3

1980年代

ジョブズはこんな口ひげを蓄えていたこともあります。1980年代のどこだったから特定できないのですが...

(私立探偵マグナムが初めて放映されたのが1980年の12月。参考までに。)

【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話 4

1981年

ジョブズは社長のマイク・スコットによって、Lisaプロジェクトから外されます。独断専行な振る舞いと彼の戦術の一貫性のなさが原因だと言われています。また同年、スコットがCEO職を退き、アップルを去ります。株的にはともかく、仕事内容には不満があったようです。暫定的に創業メンバーのマークラが社長、ジョブズは会長となりました。

Lisaプロジェクトから離れたジョブズは、当時ジェフ・ラスキンが率いていたMacintoshプロジェクトに突如参画します。なお「Macintosh」は、McIntoshという品種のリンゴのタイプミスをもじった名前で、電源を入れればすぐに使える1000ドルのコンピューターというか電化製品として企画された製品です。

ジョブズ参画後、ラスキンとジョブズは対立するようになり、最終的にはラスキンはアップルを去ることになります。ジョブズはラスキンに、電話帳を机に叩きつけ、Macintoshをこの大きさ以上にするなと怒鳴ったというエピソードが残されています。

Apple IIと異なり、Macintoshは拡張スロットを持たず、Burrell Smithという社員(元はエンジニアではなくサービス部門のスタッフ)が素晴らしい創造性を発揮して、Macintoshの美しい基盤の大部分を開発しました。

またMacintoshは、別の意味でも注目に値するプロジェクトでもあります。当時アップルではプロジェクト名に自分と関係する女性の名前をつけるのが常でしたが、ラスキンによって、はじめてそれが破られたプロジェクトでもあるからです。なおMacintoshプロジェクトは当初は「Annie」という女性名で呼ばれていたようです。

それに先駆け1979年、ジョブズはラスキンに、コストを度外視して製品のスペックを考えてみるようにと言っており、彼は冗談のつもりで、思いつく限りの常軌を逸した機能のリストをまとめたとのことです。そのとき書かれた機能のリストは、数年後に多くのコンピューターに影響を与え、または実装されることになります。ジョブズ式のやり方の有効性を示すエピソードです。

Mactintoshチームは「現実歪曲空間」だったと、当時のスタッフは振り返っています。例えばとあるエンジニアがジョブズにアイディアを語ると、彼はそのアイディアをくだらないと否定し、数週間後にわざとか無意識になのか、それをジョブズ自身のアイディアとして披露する、といった具合です。

ジョブズはMacintoshのデザインを、フォルクス・ワーゲンよりポルシェのようであれと説きました(当時彼はポルシェ928に載っていました)。彼はMacintoshのプロトタイプのデザインを評する際、まるで車のそれを評するかのように「角ばりすぎている。もっとカーヴィに、この2面の交差角はもっと大きく。このベゼルの大きさはあまり好きじゃないな」などなどと語ったといいます。

【ジョブズ半生記 Vol.3】Macintosh誕生秘話 5

1981年その2

ジョブズはビル・ゲイツにMacintoshのデモを見せ、ゲイツはMacintosh用のソフトウェアを開発することを約束します。ゲイツとジョブズはコンピューターについての未来の見解が異なっていました。ゲイツはコンピューターをビジネス用のツールとしてみており、一方ジョブズは普通の人々に利便性を与えるものと見ていました。2人を主人公にしたドラマ『Pirates of Silicon Valley』では、ゲイツはこのMacintoshのデモを見てWindows開発を決意したということになっています。

アップルのエンジニアは、ゲイツにLisaを見せることを長く拒んでいたし、このデモのときも、何を見せるかについては非常にセンシティブになっていました。Macintoshプロジェクトの主要メンバーの1人であり、このデモのときのプレゼンターでもあったアンディ・ハーツフェルドは、機能を紹介しようとしすぎた際、ジョブズに「Shut up!」と怒鳴られ下げさせられたと言われています。

さて一方、この年、Apple IIの成功から端を発したIBMの初代コンピューターが発表されます。アップルはこのリリースを、ウォール・ストリート・ジャーナルに「Welcome IBM, Seriously(ようこそIBM、いやほんとに)」という広告で迎え、また、ジョブズは「コンピューターの暗黒時代がこれから20年は続くだろう、IBMを市場から追い出してやるよ。こっちも準備はできてるんだ」とのコメントを出しました。結果は...みなさんご存知の通りです。

Brian Lam(米版/いちる)

 

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