ソ連の有人月面着陸計画、成功目前だった?

ソ連の有人月面着陸計画、成功目前だった? 1

「人類にとっての大きな一歩」まで、ソ連もあと一歩だったようです。

人類初の月面着陸といえば、1969年、米国のアポロ11号によるものですね。東西冷戦のまっただ中、アメリカの技術力を世界に見せつけたかのようでした。

 でも、ソ連の宇宙開発に関する調査研究で知られているチャールズ・ヴィック氏によれば、ソ連のアポロ計画にあたるソユーズL3計画も、同時期にかなり成功に近づいていたようです。「スプートニク計画以前にまでさかのぼって機密解除された情報を総合すると、(米国とソ連の間の)レースは一般に認識されているよりはるかに接戦だったと考えられます」とヴィック氏は語っています。

彼によれば、ソユーズL3計画が失敗に終わった原因は技術力不足ではありません。それより、ソ連のデザイン局内での対立や、他のミサイルや宇宙関連プロジェクトからの人材・資金ニーズなどの諸事情で、結果的に成功にこぎつけられなかったというのです。

とはいえソユーズL3計画では、アメリカのアポロ計画に比べると宇宙飛行士の負担が大きいものになっていました。冒頭の画像が月面着陸前後のイメージ図ですが、宇宙飛行士は月の軌道上で月軌道船(LOK)の外に出て、月着陸船(LK)まで宇宙遊泳して乗り込み、LKをLOKから切り離して月に降り立たなくてはいけませんでした。さらに月面のサンプルを回収したら、LKに乗って月軌道上のLOKと再度ドッキングして、再びLKからLOKまで宇宙遊泳で戻るのです。ちなみにアポロ計画では、宇宙飛行士は月軌道船から着陸船に直接移動できるようになっていました。

ソ連でこの役回りを務める宇宙飛行士は、1965年に人類初の宇宙遊泳に成功したアレクセイ・レオーノフが予定されていたようですが、彼は一連の計画が中止になってひそかにほっとしたかもしれません。

ソユーズL3計画について当時は機密事項で、ソ連崩壊後の1990年になって初めて公表されました。もしこの計画が成功していたら、その後の歴史もかなり変わっていたかもしれませんね。

Image by Space.com

Jesus Diaz(米版/miho)