リビア偵察に命をかけたパイロット

リビア偵察に命をかけたパイロット 1

80年代後半、米・リビア間の緊張が高まる中、ブライアン・シュルはブラックバードSR-71でカダフィの領土上空に侵入し、対空ミサイルを降り切って逃げた―。昨春掲載「元パイロットが語る、SR-71ブラックバード操縦のスリル」を今のリビア情勢に照らして再読する良い機会と考え再掲します。-JD

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1986年4月、ベルリンのディスコ爆破テロで米兵が死亡。これを受け、レーガン大統領はリビアの軍人ムアンマル・カダフィのテロリストキャンプ爆撃命令を下した。

僕に与えられた任務は、リビア上空を飛んで米軍F-111が加えた被害状況を写真に記録すること。カダフィは領土境界線「line of death(死のライン)」をシドラ湾に張り、そのラインから侵入してくる者は容赦なく撃ち落とすと宣言していた。そして、4月15日朝、僕はそのラインを時速2125マイル(3420km)で越えた。

操縦していたのは「SR-71」偵察機、世界最速のジェットだ。後席には本機のRSO(偵察システム士官)であるウォルター・ワトソン少佐が同乗した。リビア領空に入り、荒涼たる砂漠の景色を眼下に眺めながら最終ターンが迫ってきたその時、ウォルターが言った。ミサイル発射シグナルだ―。

直ちにスピードを上げる。兵器(おそらく最大時速マッハ5の地対空ミサイルSA-2とSA-4の可能性が濃い)がこちらの高度に達するまでにかかる時間を頭の中で計算しながら。

試算ではロケット推進ミサイルに追いつかれる前にターンを切って予定通りのコースでいけそうだ。偵察機のパフォーマンスにふたりの命を預けた。

 

リビア偵察に命をかけたパイロット 2

 

ジリジリと長い数秒が過ぎ、ターンを切って地中海方角に向け全速力あげる。「少し緩めた方がいいんじゃないか」とウォルターに言われて初めて、自分がまだフルスロットルで直進していることに気づいた。見ると1.6秒で1マイル進む速度で進んでいる。我々の制限速度マッハ3.2を軽く超えちまってる。あんな超速飛行は後にも先にもあの時だけだ。シチリアの真南でスロットルを引いてアイドルにしたが、それでも勢い余ってジブラルタル要塞で待機していた空中給油機の先まで飛んでしまった。

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昨年12月、我々はライト兄弟初飛行100周年を盛大に祝った。この100年の間にはボーイング707、F-86ジェット戦闘機(セイバー)、P-51マスタングなど重要な飛行機が沢山作られ、この空を飛んできた。しかし、冷戦勝利に重大な貢献を果たした史上最速の航空機と言えばSR-71、愛称ブラックバードの右に並ぶものはない。この仲間内で「sled(そり)」と呼んでいる機体の操縦桿を握った空軍パイロットは史上93人しかいない

妙な話、その機体を僕は一度、棄てたことがある。玩具だけどね。僕がSR-71に初めて遭遇したのは10歳の時、独レベル(Revell)社のプラモデルセットに入ってる黒い成型プラスティックのだった。長い機体パーツは意外と組み立てが厄介で、出来上がったものはそれほど脅威を感じさせない風貌だった。接着剤が継ぎ目からはみ出て、黒プラスティックが変色してしまってる。自分が集めてた戦闘機のコレクションに並べるとなんとも無様で、ポイしてしまったのだ。

それから29年後。僕はビール空軍基地格納庫で正真正銘のSR-71を眼の前に感無量で立ち尽くしていた。世界最速ジェットの任務に志願し、我が国で最も名高いこの機体の最初の実地説明会を受けていたのだ。それまで13年、空軍戦闘パイロットを務めたが、これだけ存在感のある機体には一度もお目にかかったことがない。それは全長107フィート(32.6m)の大きな機体でありながら、無様とは縁遠いものだった。

皮肉なことに昔組み立てたプラモみたいに、この飛行機からもポタポタ何かが漏れていた。継ぎ目から燃料がしみ出し、格納庫の床に雫を垂らしているのだ。マッハ3で飛ぶと、飛行機はひどい高温に晒され、翼の前縁は華氏1100度(摂氏593度)に達し、機体の幅が数インチ広がる可能性もある。そのためパッカリ亀裂が開くのを防ぐため、飛行機の接合部には伸縮目地が組み込まれている。また、境界部にはゴム糊のようなシーラント(封止剤)が塗ってあるのだが、亜音速(音速以下)ではここから燃料が漏れる、というわけだ。

起源

SR-71生みの親はケリー・ジョンソンという高名なロッキード社デザイナーである。あのP-38、F-104スターファイター、そしてU-2を作り出した人だ。1960年ゲーリー・パワーズが操縦するU-2が旧ソビエトに撃墜されたのを受け、時のジョンソン大統領は、U2偵察機より3マイル(4.8km)高い高度を、5倍のスピードで飛び、尚且つ地上車のナンバープレートまで撮影可能な飛行機の開発に着手した。

だが問題は熱で、時速2000マイル(3219km)で飛ぶとなると、機体表面には異常な高熱が生じてしまう。そこでロッキードのエンジニアたちはSR-71の90%以上をチタン合金で組みあげ、計40機を1機1機手作りできる専用の工具・製造工程を作成。さらには高度8万5000フィート(25.9km)以上で使える特殊な耐熱燃料、オイル、油圧フルード(油圧駆動液)まで開発しなければならなかった。

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1962年、初のブラックバード飛行に成功。1966年、僕が高校を卒業したのと同じ日に、空軍はSR-71を実地任務で飛ばし始めた。このプログラムに僕が参加したのは1983年のことだ。優秀な履歴と司令官からの推薦を携えて、1週間がかりの面接をクリアし、続く4年間パートナーを組むウォルターに引き合わされた。彼は僕の後方4フィート(1.2m)に乗って、カメラ、ラジオ、電子ジャミング機器を担当する。捕まったらあんたがスパイ、こっちはただのお抱え運転手~と冗談を言ったら、黙って舳先を前に向けて飛べ、と言われた。

1年の訓練後、カリフォルニアのビール空軍基地を飛び立ち、沖縄の嘉手納空軍基地、英ミルデンホール空軍基地に配属された。訓練ミッションの時は、州都サクラメント近郊(ビール)を発ち、ネバダで給油し、モンタナで加速し、コロラドで高マッハまでスピードを上げ、ニューメキシコ上空で右に旋回、ロサンゼルス盆地を高速で翔け抜け、西海岸をダーッと北上しシアトルで右に旋回してビールに戻る、というのがお決まりのコースだった。これで飛行時間はトータルで、2時間40分。

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ある日アリゾナ上空で、全航空機を飛び交う無線通信を上空からモニタリングしていたら、こんなことがあった。まず最初にセスナのパイロットが航空交通管制官(ATC)に対地速度をチェックするよう頼んだ。「90ノットです」とATCが答える。すかさずツイン・ボナンザ(双発レシプロビジネス機)が同じリクエストを出す。「対地で120」という答え。するとなんと驚いたことに、海軍F-18戦闘機までもが対地速度チェックしてくれ、と無線に割り込んできたのだ。

彼の狙いは手に取るように分かった。無論、対地速度計なんてコックピットに備え付けのがあるので、それを見れば済む話だ。要するに彼は自分より小さい虫けら潰して喜んでる下々のみなさんに本物の高速がどんなものか見せてやろうとしている...。「Dusty 52、対地は620です」、ATCは答えた。

こうなりゃこっちもやらないわけにはいかない。後ろの席でウォルターがマイクのボタンを押す音が聞こえた。カチッ。ウォルターはなんともシレっとした声で上空8万1000フィートからの対地速度を確認するよう頼んだ。ギョッとしたのは管制塔だ。どう見たって管制圏外ではないか。管制官は冷静なプロの声でこう答えた。「Aspen 20、対地1982ノットです」。それっきり無線の声はシンと静まり、結局その周波数の交信は海岸に着くまで1件もなかった。

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永遠の感動

ブラックバードは常に我々に新しい顔を見せる。1機1機に固有のパーソナリティーが備わっているのだ。だから自分たちが乗ってるのが国宝級のものだと知るのに時間はかからなかった。離陸に向け、護岸から地上走行していると、みんなの注目の的だ。飛行場のフェンス付近には車がどっと集まってきた。みんなSR-71の威容を自分の目と耳で感じたいのだ。このプログラムに参加して、この飛行機を愛さない人など、いるもんか。信頼を得るごとに彼女(SR-71)はゆっくりと、自分の秘密を打ち明けてくれた。

それは月のない晩だった。いつも通り訓練任務で太平洋上空を飛びながら、ふと「コックピットの中の照明を落としたら高度8万4000フィートから見る空の眺めはどんな風だろう?」と知りたくなった僕は、直線コースで帰路を急ぐ途中、照明を全部ゆっくり落としてみたことがある。ギラギラした光を消すと夜空が顔を現す...数秒でまた電気をつけてしまった。こんなことしてるのがジェットに知れたら、なんか罰が当たるんじゃないかと怖くなったのだ。しかし臆する気持ちは、夜空を見たい欲望には勝てない。僕は照明をまたおもむろに暗くした。

するとなんと窓の外に明るい光が見えるではないか。夜目に慣れると、その眩いものの正体は、きらきら空を渡る天の川だった。いつもは闇の空間が存在するだけの空に、今はきらめく星々の塊が所狭しと広がっている。その空のカンバスを数秒置きに流れ星が縫っていく。瞬きながら。それはまるで、音のない花火のディスプレイだった。

こんなことしてる場合じゃないぞ、計器に目を戻さなくちゃな...それは分かっていたので、しぶしぶ機内に注意を戻した。そしたら驚いたことに、照明は切ったままなのにコックピットの計器が全部見えるのだ。星の光に照らされて。鏡の中には、僕の金色の宇宙服が空の輝きに白熱灯のように照らされて不気味に光っていた。最後にもう一度だけ窓の外を盗み見る。

こんな超スピードでも、天空を前にするとまるで静止画だ。もっと偉大な力の輝きに囲まれる我々は、なんと小さいんだろう。そう思った瞬間、僕は機内でやるどんな任務よりも遥かに意味あるものの一部になった気がした。

ウォルト(相棒)の無線の鋭い声でハッと我に返り、やりかけのタスクに意識が戻る。僕は高度を下げる準備体制に入った。

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SR-71は運用費の嵩む飛行機だ。一番コストがかかるのはタンカー・サポート。1990年、空軍は予算削減の必要に迫られ、SR-71を退役させた。ブラックバードは侵略飛行で延べ4000発のミサイルから逃げ、敵の弾を浴びても掠り傷ひとつ負わなかった

最後のフライトでブラックバードは、スミソニアン国立航空宇宙博物館目指して、ロサンゼルスからワシントンまでの距離を64分、平均時速2145マイル(3452km)の高速で飛び、4つのスピード新記録を更新した。

SR-71は大統領6人の目として働き、四半世紀もの間、アメリカを衛った。他の国ではあまり知られてない顔だが、北ベトナム、赤の中国(共産党)、北朝鮮、中東、アフリカ、キューバ、ニカラグア、イラン、イラク、フォークランド諸島の上空を飛び、週1の頻度で旧ソビエトの全潜水艦と全移動ミサイル基地、全兵士の動きに目を光らせた。これが冷戦勝利の鍵を握る要因となった

僕はそんな飛行機を約500時間飛ばせたことを誇りに思う。彼女(SR-71)のことは知り尽くしていた。彼女は他のどんな飛行機にも決して妥協しない。後ろにソニックブームを轟かせながら敵の裏庭を誇らしげに翔け抜けていく、誰はばかることなく。すべての敵ミサイル、ミグ戦闘機を一機残らず振り切って、我々をいつも無事祖国まで連れ帰ってくれた。有人飛行開始から100年、これほどの名機はほかにない。

 

リビア海岸へのアプローチ

リビア沖にみるみる接近する。...と、ウォルトがまた聞いてきた。「なあ、時間内に目的の速度・高度までいけると思う?」―これで3度目だ。YES、と答える。心配な気持ちはよく分かる。彼はデータを扱う人間だ。それがエンジニアの仕事だし、そんな彼で僕も喜ばしい。でも、僕は両手を操縦桿とスロットルに置いているのだ。サラブレッドの鼓動は手にとるように分かる。彼女は持ち前のパワーと完成度で走っていた。僕は彼女に語り掛けもする。するとこのジェットは百戦錬磨の武人のように目標エリアを感じ取り、自ら準備を整えるかのようだった。

2日ぶりに吸入扉を完全に閉じる。あらゆる振動がピタッと止む。耳が轟音に慣れてるせいか、ジェットの音がやけに静かに聞こえる。それにつれマッハ数がやや上がる。ジェットは自信たっぷりの滑らかな安定した姿勢で飛んだ。このスピードに入ると、よくこうなるんだよね。残り5マイル(8km)のところで目標の高度と速度に達した。ターゲット領域に入る。このジェットにまさかこんなバイタリティーが眠っているとは知らなかったのだろう。ウォルトが言った。「すげー」。左手でスロットル2つを前に倒しながら、心の中で思った。―エンジニアの学校で教えないことが、この世の中にはまだ沢山あるんだよ

左の窓の外に、リビアが見えた。まるで巨大な砂箱だ。なんの変哲もない茶色の大地が地平線まで広がっている。動きらしい動きを示すものは一切ない。...と、ウォルトが言った。電子信号がビンビン入ってるぜ、友好的類いのものじゃない。 機体のパフォーマンスは今や完璧だ。これだけ調子が上がるのはもう何週間も見てない。彼女には自分がどこにいるかわかっているみたいだ。リビア領空深く侵入していくにつれ、彼女は高マッハで飛びたがった。ベンガジの街にソーニックブームの足跡を残しながら、僕は身じろぎもせず座っていた。両手はスロットルとピッチコントロールに動かさず固定し、両目はゲージに釘付けだ。

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ただひとつ、マッハ計だけが動いている。100分の1の目盛りが着々と上がっていく。その安定したリズムは、復活してペースをあげる長距離ランナーのようだ。このジェット機は、まさにこういうパフォーマンスのため作られたもの。吸入扉閉めたぐらいでショーをあきらめる彼女ではなかった。機関車40基のパワーで、我々は静かなアフリカの空を突っ切り、さらに南方の殺風景な風景をまたいでいった。

 

ミサイル発射

ウォルトは引き続き、DEFパネルに出る数々の反応から新しい動きを逐次伝えてきた。ミサイル追跡シグナルが入った―。不毛地帯の敵地に1マイル進むたび、2秒置きに、ジワジワと不快感が襲ってくる。やれやれ、DEFパネルが前の席についてなくて良かった。今そんなもの見えたらライトの点滅も見えることだし、集中の妨げになるだけだろう。コックピットは「静か」だ。ジェットは喉をゴロゴロ鳴らし、自分の中に眠る強さに今初めて気づいたかのように、それを愉しみながら、ゆっくりと、速度を上げていく。

スパイク(可動エンジン衝角)は艦尾いっぱい。ナセル(エンジン室)に26インチ(66cm)も食い込んでいる。全吸入扉を完全に閉じてマッハ3.24。J-58エンジンはもはやラムジェットに近い状態で秒あたり10万立方フィートの空気をがぶ飲みしている。轟音を上げる高速機となった我々は、敵の裏庭に分け入っていく。このまま眼下のミサイル・レーダーをスピードで振り切れますように...。祈るような気持ちだった。もうすぐターンだ。いいぞ。旋回すれば、発射後のミサイルはこの機体に命中が難しくなる。

ウォルトがせがむので、スピードを押し上げる。が、ジェットは1拍も脈が乱れない。上下動もなし。カメラを支える土台は岩のように磐石だ。 ウォルトがミサイル発射のシグナルを受信した。次の言葉を待たずに、左手は本能的にスロットルをさらに前に倒していた。両目は温度計から離さない。このジェットは人が止めてやらないと、自分が壊れてしまうところまで喜んでスピードを上げるのがわかっていたから。温度は比較的低かった。これまで遭遇した高温を考えると、これには一瞬驚いたが、よく考えてみると驚くことでもない。マッハ3.31の時は、さすがのウォルトもしばし無言だった。

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手袋をはめた指で、機体のピッチを制御する自動操縦パネルのちっちゃなシルバーのつまみを動かす。スイスの時計職人、外科医、「dinosaurs」(飛ばすだけじゃなく飛行機を「感じる」ことができる昔のパイロット)のように神経を研ぎ澄まして、16分の1インチと8分の1インチの間に合わせる。これは、僕が望む毎分500フィート(152.4m)の上昇が確保できるポジションだ。ジェットは6分の1度、鼻先を上げ、これから加速につれ、僕が彼女を上に押し上げるつもりなことを理解した。マッハは加速する一方だが、飛行ルートのこのパートではスロットル緩める気には全くなれなかった。

ミサイル発射のシグナルがまたきた。―ウォルトの鋭い声がコックピットの静寂を破った。その重苦しい声の調子から、他のシグナルよりもっと確率の高い脅威と見てるのが、読み取れた。数秒後、「押し上げろ」と言うので、両方のスロットルを止まるところまで思いっきり押した。続く数秒間は全力疾走だ。彼女が飛びたいだけ飛ばしてやった。最終ターンに接近。このスピードであのターンまで行けたら、どんなミサイルだって振り切れる、それはふたりとも分かっていた。だが、ターンはまだ先だ。僕はウォルトが、もしかして旋回して軌道をひとまず外れろと言ってくるんじゃないかと頭で考えてみた。

が、一言も交わさなくても、ウォルターも同じ考えでいるのは、気配で分かった。やはりここはプログラム通りの軌道を維持した方がいい―。 不安を振り切るため窓の外を見た。自分めがけて飛んでくるミサイルを肉眼で捉えることができるかも...と思いながら。まったくこんな時だってのに人の心には突拍子もない考えが去来するものだ。僕の脳裏には北ベトナム飛行任務中に攻撃を受けた元SR-71パイロットたちの言葉が蘇っていた。コックピットから何度か誤爆ミサイルの爆発を見た彼らは、こう言ってたっけ。「それは爆発と言うよりまるで爆縮だった」。 爆発ミサイルからジェットが逃げる際のスピードがあまりに速いため、そう見えるのだ。

外は果てしなく広がる鉄のようなブルースカイと、遥か眼下に赤茶けた大地の大判が1枚見えるだけ。コックピットから目を離したのは時間にして数秒だったが、最後に計器の目盛りをチェックしてからもう何分も経ったような錯覚を覚えた。機内に注意を戻し、まずマイル計を見る。ターン開始まで残りあと何マイルだろう? 次にマッハ計。3.45を超えている...自己最高記録更新だ。まだマッハは伸びている。飛行は信じられないほど滑らかだ。

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僕は、ジェットとの間の信頼を確かめ合った気がした。我々が必要とあれば、彼女はなんの躊躇いもなくそのスピードを出す。空気吸入口も全く問題ない。生きるも死ぬも結局このジェットにかかっている。彼女にはそれが分かっているみたいだった。外気の冷たい気温で、彼女の中にあるスピリットが目を覚ます。それは高みを追求する男たちが何年もの歳月をかけ、丹精込めて彼女の中に築いてきたものだ。スパイクと吸入扉をこれ以上なくきつくしめ、ミサイルがこちらの高度に追いつく時間と戦った

 

愛しのブラックバード

このジェットはレースとなると負け知らずだ。高度8万フィート(24.4km)に達したので速度はマッハ3.5に緩んだ。我々はまるで空飛ぶ弾丸だ。ただし弾丸より速い弾丸である。ターンに辿り着いて鼻先をこの国(もう充分見た)の反対側に向けたところで、やっと少し緊張がほぐれた。キーーンとトリポリを通過し、スピードをさらに上げ、敵をもうひと殴りするかのように、Sled(愛称)はさよならのソニックブームを撒き散らした。

そして数秒後。我々の眼前には地中海のブルーが果てしなく広がっているだけになった。僕はまだ左手を前いっぱいに倒してアフターバーナーを最大に上げ、ロケットみたいな飛行を続けていた。

TDIには我々が経験したこともないマッハ数が出ている。ここまで来ると、さすがに怖い。DEFパネルが静かになった、とウォルトが言うので、そろそろスピード落としていい頃だろうと判断、スロットルをバーナーの最小域に落とした。が、ジェットは速度を落としたがらない。普通はこれだけ大きくスロットルを動かせば、マッハ数にすぐ反映されるのだが、高マッハのまましばらく飛んだ。まるで自分が好きで堪らないという風に。誇り高きSledは、我々が危険から遠く離れてようやく、速度を落とした

I loved that jet.

―Brian Shul少佐が書いた手に汗握るSR-71ブラックバード操縦体験実録『Sled Driver』は2年前に絶版となりましたが、少佐はじめSR-71伝説のパイロットたちのサイン入り限定3500部が現在入手可能です。お申し込みはこちら。残りわずかです、お早めに!

詳しいお話と写真は「vfp62.com」でご覧になれます。フロリダ州セシル・フィールド空軍基地(NZC)のVFP-62(第62軽写真偵察飛行隊)に所属した士官および下士官兵の功績を今に伝えるサイトです。

Brian Shul(原文1原文2/satomi)