日本に住んで9年、人生初の超大地震を体験して思うこと。

日本に住んで9年、人生初の超大地震を体験して思うこと。 1

これは、日本人にとっても経験したことが無かった超大震災を、外国から来たJason Fullingtonさんの目や心を通して書きあげた2011年3月11日のレポートです。

AFG Moto東京オフィスから。

私はJason Fullington。オートバイとヘルメットなどをデザインするAFG Moto東京支社の副社長/最高執行責任者をしています。 そんな私も東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)を経験しました。

ご存知のとおり、日本時間の午後2時46分、それは日本を襲いました。 最初は、よくある弱い地震かと思ってたけれど、だんだん強く激しくなったんです。 僕はオフィスのデスクでIcon Moto用にデザインをしていたところだったけど、強い揺れで40インチのTVモニターが机から落ちそうになったので必至に掴みました。 その後も揺れは続き、ビルが大きく揺れ続けたんです。 日本に住んで9年になるけどこんな地震を感じたのは初めてでした。 僕はスタッフに「今すぐ、ビルから出ろ!」と叫び、皆で素早く駐車場に避難しました。 その後も30秒ほど地面は強く揺れ続けていました。

地面が大きく回転しながら揺れているところが見えて恐ろしくなりました。 そのうえ僕の車は文字通りジャンプしていたし、車のサイレンが鳴り響き、電柱や電極も左右に大きく揺れていました。

僕は、これって実際に起きてる事なの? と思いながら周りを見てみると、他の会社、家、アパートから外に避難してきた人達も同じように、信じられないという目をしていました。 そして、地面が静かになると、お互いに気遣いながら無事を頬笑みあったんです。 

日本は地震が多いから、慣れていたつもりだったけれど、この日の地震は規模が違いました。 これは2001年9月11日の出来ごとのように私の心に生き続けるでしょう。2011年3月11日の午後2時46分、自分が何処で何をしていたか? 忘れることはありません。

 

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しばらくして、落ち着いた私たちはオフィスに戻り床に落ちたものやディスプレーを拾い、元の位置に戻しました。ところが数分後、また大きな地震が来たんです! 前回とおなじように「外へ出ろ!」と叫び、即座に携帯を掴み立川国立病院機構災害医療センターに息子と娘を連れていっている妻に電話しましたが、なかなか通じません...。 スタッフの携帯の通話状態を聞いてみると、彼らのもダメでした。 お店の固定電話も同じく通じ無かった時、つくづく今回の地震は特別だったんだと痛感したんです。

電話は通じ無かったけど、私は家族は無事だと信じていました。だって家族は、こういう緊急時にいる場所としては最高の所にいたんですから。ただ、私は自分の無事を伝えて家族を安心させたいと思っていました。私は、最初の地震の時からツイートを始め、その後9時間にわたってTwitterとFacebookに実況していたので、妻がそれをチェックしてくれていると良いなと思っていました。

そして私は、2日前に起きた震度6の地震が10センチの高潮を起こしたことを踏まえ、同じような事が起きるのでは? と思いながらライブストリーム放送でニュースをチェックすると、永久に心に刻み込まれるような光景が映し出されていました。巨大な波が東北地方太平洋沖に大規模な破壊を引き起こしていたんですから! 海岸線から5キロ以上先まで、海辺の家や車をのみ込みながら波が進んでいきました。

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このままずっと終わらないんじゃないかと思うぐらい、その後も沢山の余震があり、日本政府は余震を100回以上観測し幾つかはマグネチュード7だった事を発表しました。 そんな状況に恐怖を感じた私は、一刻も早く家族の元に向かいたいと思い、車で出発すると、そんな簡単な事じゃないことに気づかされました。道は渋滞...。病院はたったの13キロ先なのに、到着するのに倍以上の時間がかかりました。災害医療センターに到着すると、至る所で負傷者を受け入れる準備をしていました。また、病院の横には、日本の自衛隊と救急隊員のための空港があるので、いくつかのヘリコプターがスタンバイしているのが見えました。

そして、私が入院している息子の部屋に行くと、皆、お互いに会えた事を喜びハグしてから、テレビで何が起きたかを静かに見つめました。すぐに妻と私の頬には涙がつたいました。この私が愛いした美しい国と人々が、恐らく世界で最もひどい地震と津波に傷つけられていく姿には耐えられませんでした。涙をぬぐいながら、6階の窓から数秒外を眺めていると、また激しい余震が! 果てしなく続く余震。そんなことは無いと思うけれど、日本が太平洋の中に落ちちゃうんじゃないかと思ってしまうほどでした。

すると、空に光が見えたんです。そうです。ヘリコプターが連なりながら病院に向かってきたんです。2機が震災の負傷者を病院に送り届けました。震源地から230キロも離れた東京ですら影響を受けているんですから、本当に凄い地震なんです。

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身近なところでの被害は、国分寺の学校の屋根が壊れ子供が負傷、町田のコストコの駐車場スロープが崩れ死傷者が出たり、東京港の人口島お台場では手に負えないぐらいの火事が発生しました。その他にも被害は沢山ありました。全てをキレイに掃除し、復旧するにはかなりの時間がかかるに違いありません。

また、幸い私は車で家族に会いに来れましたが、全ての交通機関が運転を見合わせ、何十万もの人が寒いなか、駅で足止めされたり、会社に泊まったり、何時間もかけて徒歩で家に向かったりしました。

そして、驚いたのが食糧事情です。日本には、いたるところにコンビニがあるので、近くのコンビニに家族のために食べ物を階に行ってみると、棚が空っぽで、既にキレイに掃除された状態になっていました...。急いで走って別のセブンイレブンへ行ってみると同じ状態に...。水もない、お弁当もない、ちゃんとした食事系は売り切れ、買えたのはポテチやコーヒーでした。買い物を終え、再びテレビをつけてみると、全てのテレビ局で震災の特番を放送していました。選択肢は恐ろしい震災の爪後や震災に関する情報を観るか、テレビを消すかです。ただ、テレビを消したところで、廊下で看護婦さんやお医者さんがテレビで観た震災についての話しをしている声が聞こえるという状況でした。

そこで、私はメンバーになっているGaijin Ridersというフォーラムをチェックしてみることにしました。そこではお互いを助け合う投稿がされていて、素晴らしい仲間たちに少し救われた気がしました。

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そして、私は次に大きな地震が来た時に備えて置いたIcon Siren ヘルメットの隣で寝ている娘を眺めつつHell For Leatherの友人のために、この記事をタイプしているところです。 

書き終えたら、全て悪い夢だったら良かったのにと思いながら、私も眠りにつくことにします。 

[Republished from jalopnik.com/Hell For Leather]

-Jason Fullington(原文/junjun )