人類が初めて宇宙へ出て50年 世界から愛された男ユーリイ・ガガーリン

人類が初めて宇宙へ出て50年 世界から愛された男ユーリイ・ガガーリン 1

地球の青さを初めて目で見た人、です。

今から50年と2日前、人類は初めて地球の外の世界を知りました。1961年4月11日、人類初の宇宙飛行が成功。宇宙飛行を行い地球を初めて外から見たのは旧ソ連の宇宙飛行士、ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン。ガガーリンが我々に見せてくれた1歩をスタートとし、ここから人類は宇宙へのチャレンジを加速させていったのでした。ガガーリンと共に、我々に大きな1歩をみせてくれたもう1人の立役者、科学者のセルゲイ・パヴロヴィチ・コロリョフ。天才であり、常に前向きで、ロケットへの夢を抱き続けた彼は、ガガーリンと並んで、人類を宇宙へと連れ出したヒーローの1人と言えるでしょう。

【宇宙へ】

1950年代後半、旧ソ連は人類初の無人人工衛星計画であるスプートニク計画を実施しました。1957年10月4日に打ち上げられたスプートニク1号は人類初の人工衛星です。この計画では成功と数多くの失敗があり、関わった者達は全員どこで何が起きるかわからない、危険を常に伴うということをよくわかっており、その覚悟も常にできていたんでしょう。しかし、1961年4月12日、この日は全てが上手くいった奇跡の1日となったのでした。

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寒く澄み切った朝、バイコヌール宇宙基地に準備されたポストーク。ガガーリンは、バックアップ・パイロットであるゲルマン・チトフと朝食を済ませた後、4時10分にボストークに乗り込みました。フライト前のチェックを行い、その40分後、宇宙船のハッチは閉められます。カウントダウンの開始を待つガガーリン。人類初の宇宙飛行士となるのか、それとも宇宙飛行士になろうとした男として一生を終えることになるのか。我々のそんな想いはよそに、宇宙船内の彼は落ち着いていました。数分後で偉大なる塵と化してしまう可能性のある状況にもかかわらず、ガガーリンはとても前向きで楽観的であり、グランドコントローラー達とおしゃべりを楽しむ余裕すらあったのです。この時の彼の心拍数は平常と言えるの64であったというから驚きですねぇ。

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日本時間9時7分の発射時に彼が発したのは「Poyekhali!(行くぞ)」という一言。そして彼は言葉の通り、宇宙へと旅立ったのでした。

発射されて数分後、ガガーリンは宇宙を訪れた最初の人類となりました。地球の周りを飛行する時、彼が発したのが、人類文明史で最も美しいフレーズの1つと言っても過言ではないあの有名なフレーズ「地球は青かった。」です。なんとも単純明快でそして正直に心の底からでたなんて素晴らしい感想でしょうか。この時ガガーリンと我々は、地球という星がいかにユニークで貴重な星であるかということに気づくことになったのです。ほんの数分で人類の物の見方は大きく変わりました。ガガーリン前ガガーリン後と言ってもいいほど、我々の考え方は変わったと言えます。人類の見方を変えたという点では、ガガーリンの1歩はたぶん、アームストロング、コリンズ、オルドリンの月への1歩よりも大きかったのではないでしょうか。母星としての地球、我々の帰るべき故郷の地球という見方を見出したのは、きっとガガーリンの飛行以来でしょう。

 【完璧な飛行】

地球周回の間、ガガーリンはグランドコントローラー達へ、常にポジティブなメッセージを送り続けました。「全て順調だ。」「すこぶる調子がいいよ。」等、実際はグランドコントローラーからのメッセージを聞き取りにくい状況にあったにも関わらず、彼はここでも常に前向きでした。

日本時間10時25分に逆噴射をかけ地球への帰還を開始。この時ボストークが積んでいたロケットシステムは搭載量の問題で1台だけだったので、もし、この1台に何らかの不具合が起きていたとしたら、彼は自然に軌道から外れるまで数日間、周回軌道上をさまようことになっていたでしょう。(もちろんいざという時のために10日分の準備がなされていた。)

問題は発生せず、ガガーリンは無事に地球帰還を果たしました。着陸したのはロシア領域の牧場。オレンジの宇宙服に身を包んだガガーリンが歩いてくるのを、近くにいた牧場主とその娘が目撃しています。この時の様子を後にガガーリン自身が語っています。「宇宙服を来てパラシュートを引きずってる僕を見て、彼らは恐ろしさから後ずさっていった。だから僕は言ったんだ、怖がらないで、僕もあなたと同じソビエト人です、ただ宇宙から降りてきただけです、って。モスクワに電話しなくちゃいけないんです、電話どこですか?ってね。」

【ヒーローの死】

ガガーリンの冒険は大成功を納め、米国はこのニュースに驚愕し我々も早く宇宙に人を送らねば!とNASAを追い立て始めます。余談ですが、米国は1961年の5月5日、アラン・シェパードが国内で初めての宇宙飛行士となりました。しかしこれは弾道飛行であり、翌年1962年2月20日にジョン・グレン宇宙飛行士によって地球周回飛行を成功させました。ガガーリンが宇宙へでてから、約10ヶ月後のことでした。

地球に帰還したガガーリンは旧ソ連のヒーローとなります。スターです。史上初の宇宙飛行に成功した人間ですから、当然でしょう。しかし、皮肉なことに宇宙への夢を見続けついに外へ飛び出して行ったガガーリンは、帰還後は永遠に宇宙を飛ぶことを禁じられてしまいます。人類初の宇宙飛行士、あまりにも貴重な存在で、今や世界へ誇る国のスターである彼に何か起きては絶対にいけない、という国の判断からでした。

ガガーリンは宇宙を旅したほんの数年後、1968年3月27日に突然この世を去ります。飛行指揮官となるための訓練中に乗っていた航空機墜落による事故死でした。まだ34歳の若さでした。もう1人のヒーロー科学者のコロリョフが癌で亡くなった2年後のことでした。旧ソ連は人類宇宙初飛行のヒーロー2人を、成功後数年で失ったのでした。

ガガーリンの存在は死後、ヒーローから伝説へと変化していきます。旧ソ連のヒーロー、世界に人類の偉大な1歩をみせつけたヒーロー。いつも前向きで宇宙を飛ぶことを夢見続けた伝説の人。伝説が生まれたのは今日から50年と2日前のことでした。

このエントリーは、2009年5月7日発行の本「In Honor of Yuri Gagarin, the First Human in Space」を元に書かれています。

そうこ(Jesus Diaz 米版