地震のあと、僕の見てきた仙台の様子

地震のあと、僕の見てきた仙台の様子 1

どうも、ギズモードライターの鉄太郎です。

僕は普段、神奈川に住んでるんです実家が仙台にありまして、4月2日から8日まで仙台へ帰っていました。。今回、被災地について自分が見てきたことを書きます。

 

実家の様子

僕の実家は仙台駅から徒歩20分くらいの場所にあります。被害は比較的少なく家族は皆無事だったのですが、門が崩れたりタンスが倒れたりしたため片付けに帰ったのです。この記事の最初の写真は実家の一室。実家からの電話で状況は聞いていましたが、想像していた以上にめちゃめちゃだったので驚きました。

この部屋は高校生のボランティアに協力してもらって片付けました。東北学院高校のホシリョウスケさん、エンドウコウヘイさん(次の写真)ありがとう! お二人とも16歳とのこと。

地震のあと、僕の見てきた仙台の様子 2

彼らが所属していた団体は「宮城県災害ボランティアセンター」というところです。現在、このボランティアの存在を被災地にどう広めれば良いのかということが課題とのこと。沢山の人に彼らの存在を知ってほしいです。

さて、ところがその数日後、彼らと一緒に片付けた部屋がまためちゃめちゃに。7日深夜に起こった震度6強の地震のせいです。その時、僕は実家の部屋でくつろいでいました。

本震に比べ小さいとは言えど、本震の際は神奈川県にいた僕にとって今まで経験したことの無い恐ろしい揺れでした。「地鳴り」というものも初めて聞きましたよ。最初の揺れの直前、ゴゴゴゴゴゴ...という変な低い音が聞こえたんですが、まさかそれが地鳴りだとは思わずに気を抜いていました。すると直後に異常な揺れが。地鳴りってハッキリ聞こえるものですね。

写真は7日の地震で茶碗が割れた様子。

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この後、雪かき用のスコップで掃除しました。余震でこんなに...って感じです。

僕の家の周辺区域は停電。家も若干歪み、暗闇の中で祖母が部屋に閉じ込められたりと、てんやわんやでした。地震で懐中電灯もバッテリーもどこかに吹っ飛んでしまい、見つけるのに苦労しました。懐中電灯はバッテリーと一緒に袋にでも入れておいた方が良いですね。この時、テレビは見れず電話も繋がりませんでしたが、iPhoneからTwitterで津波の情報を収集、mixiで友人の安否を確認できました。ケータイの電池はかなり貴重ですね...。さらに手回し発電ラジオが情報収集にかなり役立ちましたよ。

その晩は数分おきに何度も地鳴りと大きな揺れを感じたんですが、地鳴りが始まる度に緊張させられました。外ではサイレンが鳴りつづけていました。

僕の実家のある区域は次の日の朝10時頃電気が復旧。幸い、天気も良かったので片付けもはかどりました。

市街地の様子

7日の余震以前に仙台駅周辺市街地の様子を見てきました。シャッターの降りた店がたくさんありました。飲食店なんかは営業を再開できた店でも、ガスが通っていないためカセットコンロを使用し、あり合わせの食材で調理をしている場所が多かったです。レストランとかも、特別メニューの簡単なものしかなくて食べたいものが食べられませんでした。

駅近くのコンビニはどこも閉まってましたし、開いてても極端に品薄でした。米しか売ってません。米はあるんですよね。

飲食だけでなく、色んな店が苦しい状態のようです。たまたま入った古着屋の店長は、何故か水戸黄門を見ながら泣いてました。おそらく、錯乱状態なんでしょう。仕入れが滞ったり、停電のせいで営業時間が短くなったりしてるみたいですね。だいたいどこのお店も夕方5時には閉まります。

よく行ってた雑貨屋には、4月で店やめますって張り紙がされてました。おそらく多くの商品が壊れたんじゃないかと。フォーラス(仙台の若者が集うファッションビル)なんかも建物に致命的な損傷があったみたいでショックです...。

一方で、僕の同年代の皆(20代くらい)が経営してるお店なんかは再開も早く前向きですし明るいです。どこへ行っても地震の話題で仲間意識が生まれて、すぐ仲良くなります。変なテンションです。ハネムーン期ってやつですかね。シャツを買ったら、「このお金は全額義援金として使わせてもらいます」と言っていたお店もありました。

あと福島の農家の人が野菜を持ってきて、タイの露店みたく商売してましたね。

沢山の人に仙台で買い物をして欲しいと思いました。

海の近くの様子

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(この写真、よく見ると左奥の鉄塔が曲がってるんですよね...。現像してから気が付きました。)

用事があって海の方の道を通ったのですが、地震から3週間以上たち、しかも海から結構離れた場所でも、車がひっくり返って何台も重なっていたり、大きなドラム缶でお湯(?)を沸かしてたりと信じられない光景でした。今回発生したガレキは、宮城県の平常時の合計ごみ処理量の約16年分に相当するそうです。線路を走っているのは電車じゃなくて、瓦礫を山のように詰んだトラックの行列でした。

ここら辺まで来るとコンビニなんかは無人です。

また、ガソリンが足りません。

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僕はさらに海に近い場所へは行かなかったんですが、祖父曰く、海沿いにある祖父の実家は洋式便所だけがポツンと残っていて、あとは村ごと更地になってたそうです。トイレって頑丈なんですね...。

東北地方太平洋沖地震から1ヶ月以上が過ぎました。しかし当たり前ではありますが、未だに震災は続いているということを肌で感じました。現地に行ってわかったことは多かったです。このことを忘れず、自分に出来ることをやろうと思います。

(鉄太郎)