歴史に残るハッカー10人

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語り継がれる名前です。

コンピューターの世界には、その歴史を作りあげた多くの偉大なハッカーがいます。コンピューターサイエンスの舵をとり、コンピューターという物を形作り、インターネットやネットワークの道を造った。それはハッカーの成せる技、彼らの存在なくして現代は有り得ないと言えるでしょう。ハッカーと一口に言っても、ハッカーにはブラックハットホワイトハットと真逆の位置に存在する立場があります。インターネットの裏側で情報を盗み混乱を招くブラックハット・ハッカー、精通した知識を良いベクトルへと使うホワイトハット・ハッカー。しかし、どちらのハッカーもコンピューターの歴史の中で一端を背負いつづけてきたことは確かでしょう。

では、そんな歴史に名前を残すハッカー10人を紹介します。

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コンラート・ツーゼ

全てはここから。

何をもって世界初のコンピューターなのかというのと同様に、何をもって世界初のハッカーなのかと定義するのはなかなか難しいかと思いますが、彼こそはもしかしたら世界初のハッカーだったのかもしれません。彼の存在なくしては、そもそもその後がないわけですから。

1941年に世界初の完全動作するプログラム制御式コンピューターZuze Z3を完成させます。もちろんZ3の前にはZ1が存在したわけで、Z1は両親のアパートで黙々と制作され1983年に完成。後にドイツ政府からの援助と後ろ盾を得てZ1からZ3への開発を続けていきました。現代コンピューターの母と言われるマシンの誕生でした。

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ジョン・ドレイパー aka キャプテン・クランチ

コンピューターという物の存在が一般に認知されるそのずっと前から彼はハッキングしていました。彼がハッキングをしていたのは1970年代、ハックしていたものは電話システム。電話のシステムをハッキングして無料で長距離電話をかけられるようにしていたのです。これはPhreaking(フリーキング)と言われる手法で、彼がつくり出したフリーキングツールは、キャプテン・クランチというシリアルのおまけについてきた笛。この笛が出す2600ヘルツの音を利用して電話会社のコンピューター内部に潜入したのです。その後、多くの人が電話を無料でかけられるようなブルーボックスという音を発生させる装置を作りました。

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スティーブ・ウォズニアック

言わずと知れたAppleの共同設立者。

彼は、キャプテン・クランチと面識があり、ホームブリュー・コンピューター・クラブの集まりでブルーボックスのデザインを魅せてもらった後、自分ヴァージョンの物をつくり出しました。それを見た、スティーブ・ジョブズがその市場に可能性を感じたことから、2人のコンピューターベンチャーへの旅は始まったのです。


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ロバート・T・モリス

カーネル大学の大学院生だった当時、彼はインターネット初のワームを制作しました。1988年にワーム(モリスワーム)を世に放ち、6000ものシステムに侵入したと言われています。この数は当時のコンピューターのおよそ10%にあたります。彼によればインターネットの大きさを図るためのもので悪意があったものではないのですが、1989年にコンピューター詐欺および不正使用取締法の元に有罪宣告を受けます。1986年に成立されたこの法律で初めて告発された人物となりました。


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マーク・アビーン aka Phiber Optik

知らない人が多いと思います。国防総省にハッキングしたのでもなければ、スイス銀行システムに潜入して大金をだまし取ったのでもありません。彼がしたのは米国大手携帯キャリアであるAT&Tをむちゃくちゃ怒らせただけ。Masters of Destructionというハッカーグループのメンバーだった彼は、よくAT&Tのシステムにちょっかいをかけていました。1990年、6万人ものAT&Tユーザーが9時間近く電話が使えなかったというAT&Tの大規模システム障害が起きた時には、マークは米国シークレットサービスから家宅捜査をされたほど。その後、この障害はAT&T側のミスだったということがわかりました。しかし、後に別件のコンピューターがらみの犯罪で捕まっており、米国刑務所で1年間を過ごしました。ハッキング関連の罪で刑務所入りしたのは彼が初。


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ケビン・ポールセン aka Dark Dante

Los AngelesラジオのKIIS-FMのホットラインを全ハックした、というのが彼の最も有名なハッキングの1つ。102番目に電話をかけてきた人にポルシェ944 S2が当たるという企画にラジオ局のホットラインを全部ハックして自分が確実に102番目になるようにしたのです。その後、FBIが彼を捕まえようとしたのがきっかけで彼は姿を消してしまいました。NBC局が放送したテレビ番組Unsolved Mysteriesで彼の特集がなされた時、番組のフリーダイヤルホットラインが謎のクラッシュをしたのも有名な話。1991年に逮捕、1994年に有罪判決がなされました。出所後がジャーナリストとしての道を歩き始め、現在はWired.comのシニアエディターとして活躍しています。2006年にはMySpaceに登録している性犯罪者を調べあげ捜査にも協力しています。


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ケビン・ミトニック

FBIの最重要指名手配リストに名前を連ねた初のハッカーと言う点でも、彼は最も有名なハッカーではないでしょうか。ソーチャルエンジニアリングのマスター、彼がハックしたのはシステムだけでなく人の心だと言われています。。1979年、当時16歳の彼は初めてコンピューターシステムに侵入しソフトウェアをコピーしました。アドミンのフリをして近づき電話やメール、パスワードやセキュリティ情報等を引き出すのです。逮捕後は5年間を牢屋の中で過ごし、出所後はセキュリティに関するコンサル会社を始めました。守る側に回ったのです。


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下村努

ケビン・ミトニックの逮捕に協力したハッカー。1994年にミトニックが下村の個人的なファイルを盗みネットに載せたことを恨み、その復讐として逮捕に協力したとも言われています。ホワイトハッカーとして最も有名なハッカーの1人。


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リチャード・ストールマン

マサチューセッツ工科大大学院生としてAI研に参加。ここでMITのハッキング文化にはまっていきます。後にフリーソフトウェア活動家として有名になる彼は、MIT時代にもオープンソースを好みました。MITのコンピューターサイエンス学部がパスワードシステムを導入した時には、パスワードを解読しそれをメールで送りつけ、再度使うためにはパスワードなしで使うことを推奨することもありました。企業がソフトウェアの権利を所持することをこのまず、フリーソフトウェア活動家としてGNUライセンスやGNU OSを作りました。


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リーナス・トーバルズ

有名ホワイトハッカーの1人、言わずと知れたLinuxカーネルの開発者。Commodore VIX-20のハッキングから初め、Sinclair QLもハックしました。QLでは独自のテキストエディターやパックマンのクローンゲームCool Man等を制作。1991年にIntel 80386を手に入れLunuxの開発を初めて世に公開する。元々は独自のプロジェクトとして行っていましたが、後にGNUプロジェクトの一部となりました。


「ハッカーかっこいい」なんて言うと中二病と思われてしまうかもしれません。が、言わせて下さい。ハッカーかっこいいよ!

[MaximumPc]

そうこ(Paul Escallier - MaximumPC 米版