インターネットの父は言った「ネットは人権の1つではない。」

インターネットの父は言った「ネットは人権の1つではない。」 1

以前に「インターネットは人として生きるための権利なのかな?」と自分自身に問うてみたこともありましたが、インターネットの父曰く、違うみたいです。

インターネットの父、ヴィントン・サーフ氏。米国の情報工学者でインターネットの誕生に大きな役目を果たした人物。現在はGoogleにて「インターネット エヴァンゲリスト」として活躍中。その彼が言うのです「ネットは人権じゃないよ」って。人権とは人として幸福で健康な状態でいるための基本にあるもの。人間として生き残るためだけでなく、繁栄していくためのもの。綺麗な水や、言論の自由、他人から暴行をうけないとか、そういうことです。この考えは500年前でも同じだし、500年後の未来でも古くなる事なく同じなのです。その理由は、テクノロジーが含まれていない考え方だから。とは言っても、テクノロジーが人権という大きなフレームに全く組み込まれないということでもないのですけれどね。

サーフ氏がNYTで語った言葉を借りると「テクノロジーは権利を可能にするものだが、権利その物ではない。ある特定のテクノロジーをこの人権という高貴なカテゴリーに入れるのは間違いである。さもないと、そのうち全く間違ったものに価値を持つ事になってしまうだろう。例えば、その昔、馬を所持していなければ、不便で生きにくい時代があっただろう。しかし、重要なのは生きていけるかどうかという点である、馬ではない。もし、今私たちに馬を所持するという権利を与えられていたとして、どこで飼えばいいかさえわからない。」

あぁ、納得しました。インターネットというテクノロジーは言論の自由という人権を多いに助けるツールではあるが、言論の自由そのものではない。つまり人権ではない、と。なるほど。未来にはインターネットはないかもしれない、その代わりになる何かもっと素晴らしいツールを使っているのかもしれない。そう考えるとインターネットというモノそれ自体が人権となることはないってことですね。500年後も理解される考えでなくては人として必要な権利とは言えないということ。

人権ではないけれど、インターネットを発展させて行くのは重要なことだとサーフ氏は語ります。それは人間としての環境を良くしているものだからだと。文明と守られるべき人権に感謝しつつ、アクセスするのが人権だとネットに対して驕ることなく発展させていくことが、何より大切だと氏は語ります。

[NYT]

そうこ(SAM BIDDLE 米版