プロペラ機の覇者カリーニンK-7(動画・ギャラリーあり)

プロペラ機の覇者カリーニンK-7(動画・ギャラリーあり) 1

地球の富の半分を持つ男ハワード・ヒューズが全財産はたいて翼幅世界最大の飛行艇スプルース・グース(Spruce Goose)をつくる前、旧ソは黙々と世界最大のプロペラ爆撃機をつくっていました。

それがこの「カリーニンK-7(Kalinin K-7)」。ロシア軍が1930年初頭、超重爆撃機の実験機として開発したもので、民間人輸送にも使えます。

まだ当時はジェットエンジン技術が発明されてなかったので(英空軍士官フランク・ホイットル[Frank Whittle]郷が独力で開発したのは1930年代後半に入ってから)、K7は昔ながらの推進エンジン...それをしこたま積んでました。全部で20個。各翼前縁にプロペラ6基、後縁に2基、余った分は必要に応じてあちこちに分散させて取り付けていたのです。最初はもっと少なかったんだけどビクともしなかったので補強してる間に20個になったようです。

K7の双胴と翼下の補助タンク(降着装置とマシンガンの砲塔が収納されてた)も異様な構成でして、乗務員11人が乗り込んだ後に高さ7フィート(2.1m)、幅173フィート(52m)の主翼の中に乗客なんと120人が収容できたのです(フィート換算のせいか日本版ウィキペディアの数字とは若干のズレ)。なんなんだそれは!

戦闘力もK7はB-52降臨まで無敵でした。 Gizmagにはこうあります。

 

ガンナーポジションは12あり、うち尾部支材に沿って装備された電動カートは射撃手を尾部のマシンガン2つに移動させるのに使われた。機内には爆弾16トン分、フル装備のパラトルーパー112台(8.5トン分のパラシュート投下器具)を搭載できた。

設計者はコンスタンティン・カリーニン(Konstantin Kalinin)、製造年は1931~1933年。K7はこれ1機だけです。初テスト飛行中には機内が怪しいまでに不安定に...。機体のフレームにエンジンの振動が伝わったのも災いしたようです。でもまあ、K7はテスト飛行を7回こなし、実用上昇限度1万3000フィート(4km)、最高時速140マイル(225km)であることを実証しました。

以下はコンセプトアートと実際のテスト飛行中の写真。

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1933年には墜落事故で乗員15名が死亡し、機体が全損。サボタージュ、政治的陰謀が事故原因ではないかと盛んに囁かれましたが、これにてK7の2機目の開発にストップがかかり、5年におよぶカリーニンの時代は幕を閉じます。設計者カリーニンは1938年、スターリンの大粛清の最中に国家の敵として逮捕・処刑されました(ソ連の記録では没年は1940年とある)。

一説によればK7はナチスのUFOと一緒に開発されたものらしいですよ。

[Gizmag - Kalinin Wiki - Flying MidShipmen - Jalopnik - English Russia]

ANDREW TARANTOLA(原文/satomi)