米国の偵察衛星、その進化の歴史

2013.05.01 12:00
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今や地上を15cm単位で見分けられるとか。

倫理的な問題はさておき、偵察活動は国家にとって欠かせないものになっています。ISR(インテリジェンス、監視、偵察)情報が集まれば、貿易交渉から軍事作戦まで、あらゆる分野の政策判断に役立てられます。中でも偵察衛星の重要性は、冷戦下の米国の偵察衛星の活躍によく表れています。これらの衛星とそこに搭載された望遠レンズやカメラによって、鉄のカーテンに阻まれて見えなかったものが見えるようになったんです。ソ連の軍事力や物資貯蔵拠点、産業拠点といったものが、地上からの偵察では不可能なほどくっきりと把握できました。

冷戦中、ソ連の軍事力を把握することは米国の最優先課題でした。2万1000個もの核弾頭をお互いに向け合っていたんだから当然です。モスクワにも米国のスパイがたくさん活動していましたが、衛星による画像は大統領や閣僚たちにソ連の戦略能力について多くの重要な情報をもたらし、それに基づいて防衛計画や軍備管理交渉が進められました。そのため米国はこの技術の開発に対し、初期の「観測気球」から偵察航空機のSR-71ブラックバード、U-2ドラゴンレディ、そして宇宙望遠鏡に至るまで、莫大な資金を投じてきました。ひとつならず3つもの政府機関も作りました。NRO(National Reconnaissance Office、国家偵察局)、NSA(National Security Agency、国家安全保障局)、そしてCIA(Central Intelligence Agency、中央情報局)です。

衛星技術は今までのところ、米国が採った情報収集手法としては最大の費用がかかっています。でもその成果も最大で、多大な投資に見合うものでした。たとえば1950年代の米国では、ソ連の軍事力に遅れを取っているのではないかとする「ミサイル・ギャップ論争」がありましたが、衛星画像によってその不安が杞憂であることがわかりました。1967年、ジョンソン大統領はそれを次のように振り返っています。

我々は宇宙プログラムに350億から400億ドル(約3兆4800億~3兆9700億円)を費やした。仮に衛星写真以外何の成果もなかったとしても、それだけでかかった費用の10倍の成果に値する。今我々は敵のミサイルの数を知っているし、それが我々の予想よりずっと少ないこともわかった。我々は必要のないことをしていた。建てる必要のないものを建てていた。必要のない不安を抱いていた。

もちろん、米国の偵察能力については今でも秘密のヴェールに包まれています。NROだって、1960年に設立されてから30年間も政府が認めることもなく運営されていました。報道機関も1971年に初めて限定的に取り上げましたが、公式に防衛省が認めたのは1992年、国防副長官が明らかにしたときのことでした。防衛省や議会の直属組織は、市民にとっては情報公開制度がない限りほとんど存在しないのと同じです。収集する情報の重要性によって正当化される限り、必要な費用は承認されました。偵察衛星に関する情報が機密対象外になったのは1990年代初期、ソ連崩壊によって冷戦が終結した後のことでした。今でも初期の衛星に関する情報は少なく、1972年以降のものも、1985年にJane's Defense WeeklyにリークされたKH-11衛星撮影による写真数枚を除くとほとんどありません。

わかっているのは、米国が高高度偵察技術について1946年頃から研究を始めていたことです。軍事シンクタンクのランド研究所の前身となるランド・プロジェクトが、衛星開発のキャンペーンを始めたのです。当初は陸軍・海軍の間で衛星技術の管轄について折り合わず、1947年に新たに作られた空軍の管轄となりました。ランド・プロジェクト内の「プロジェクト・フィードバック」として、衛星の構想だけでも数年かかりました。新しい技術コンセプトだったので、長期間かかるのは必然でした。

それでも1953年までには、彼らは偵察衛星の全体的な構造や必要な性能を考案しただけでなく、テレビシステムや高度計といった部品の大部分も開発し始めていました。原子力委員会も、衛星用の小型原子力装置について検討を始めました。1954年までには空軍がランド・プロジェクトの「衛星技術は米国にとって大きな戦略的意義がある」とする主張を受け入れ、米国の衛星プログラムが正式にスタートしました。


コロナ・プログラム


最初のプログラムはコロナ・プログラムで、宇宙技術計画「ディスカバラー(発見者)」の一環として始まりました。当時は1950年代終盤でしたが、ロケット打ち上げなんて新奇なもので、大衆の興味を引くと同時に国際的批判を集めることにもなりました。コロナ・プログラムは1959年にオニヅカ空軍駐屯地で始まり、1972年まで続きました。そして1995年、クリントン大統領によって機密解除されました。最初の予算は1億820万ドル(現在の価値に直すと8億6000万ドル、約855億円)でしたが、1960年に偵察航空機U2がソ連領空で撃墜された事件を受けて急速に予算が増えていきました。

144機あるコロナ衛星はそれぞれ「Keyhole-」(キーホール=鍵穴=のぞき穴)または「KH-」に世代の数字を付けた名前を付けられ、CIAと空軍の協力の元、ソ連や中国、その他の社会主義国の監視に大活躍しました。


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Thorロケットに搭載された最初のコロナ衛星には、12インチ(約30cm)・f値5.0のトリプレットレンズを備えた5フィート(約1.5m)長のItek製望遠カメラが搭載され、その焦点距離は24インチ(約60cm)でした。その後のモデルではカメラが1台から2台に増え、さらにインデックス作成用に第3のカメラも搭載されるようになりました。初期のカメラの解像度(この場合、1画素の大きさ)は40フィート(約12m)でした。3世代目になるKH-3では、改良によってそれが20フィート(約6m)とさらに細かくなりました。その後も改良が繰り返されて1フィート(約30cm)まで捉えられるようになりました。が、当時これでは細かすぎて戦略目的には不向きとされ、より扱いやすい3フィート(約90cm)に落ち着きました。

そのカメラで使われたフィルムはイーストマン・コダック製のの特殊な70㎜フィルムで、1㎜あたり170ラインが表現されました。第二次大戦で使われた航空写真が1㎜あたり50ラインだったのと比べると、3倍以上精細に進化していました。最初のコロナはカメラ1台あたりフィルム8000フィート(約2400m)を積んでいました。その後フィルムやデザインの改良で素材を薄くでき、その分フィルムの長さを倍増できました。カメラ本体にも無数のアップグレードが加わり、全長は9フィート(約2.7m)まで伸びてF値3.5のペッツヴァールレンズを搭載していました。


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カメラがフィルムを使い果たすと、衛星はGE社開発の再突入カプセルを使ってそれを吐き出す仕組みになっていました。カプセルが熱シールドを高度6万フィート(約18000m)で捨てるとパラシュートが広がって、フックを付けた飛行機が空中で捕まえるか(上画像)、海に着水して拾われるのを待つかという段取りでした。カプセルが48時間以内に捉えられない場合、容器の底にある塩のプラグが溶けて水没し、第三者の目の触れないようになっていました。でも無事時間内に拾われれば、フィルムはニューヨーク州ロチェスターに移送され、イーストマン・コダックの施設で現像されました。


アルゴン・プログラム


KH-5アルゴンはコロナと並行して1961年から1964年にかけて運用されましたが、コロナほどうまくはいきませんでした。重量1150~1500kgの衛星はロッキード・マーティン社が製造し、焦点距離76㎜のカメラの解像度は140mでした。主に地図作成のために運用され、世界で初めて南極大陸を宇宙から撮影しました。そして撮影には1週間もかかりませんでした。ただ12回打ち上げられたうち、軌道に無事乗れたのは5回だけでした。


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ランヤード・プログラム


KH-6ランヤードでNROは初めて高精細写真を試みましたが、1963年の半年間で打ち上げは3回のみ、うち2回は失敗に終わりました。ロッキード製の1500kgの衛星は急ごしらえで、そこには前にキャンセルされたItek製「E-5」カメラが使われていました。その目的は噂されていたエストニアのタリン近くにある反弾道ミサイル基地の調査でした。E-5は焦点距離66インチ(約165cm)で解像度は6フィート(約1.8m)、9 x 46マイル(14.4 x 73.6km)のエリアをカバーしていました。でも、唯一成功したフライトでは910枚の写真が録れたのですが、画質が低すぎてほとんど使いものになりませんでした。


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ガンビット・プログラム


コロナ・プログラムを除くと、米国の初期の偵察衛星は失敗続きでした。でもコードネーム・ガンビットで呼ばれるKH-7、KH-8シリーズは、そんな過去からの脱却点とされており、1960年代ではコロナ以外で唯一成功したISRプログラムです。3000kgの低高度監視プラットフォームはロッキード製で、高度は75マイル(約120km、コロナは100マイルでした)、1964年から1984年とほぼ20年間働き続けました。54機もの衛星がTitan IIIロケットに載ってヴァンデンバーグ空軍基地から打ち上げられました(1機は最長でも3ヵ月しか使われませんでした)。

イーストマン・コダックの光学装置部門がガンビットの素晴らしいストリップカメラシステムを作りました。焦点距離は175.6インチ(約439cm)で、カバーエリアは6.3km、解像度は3フィート(約90cm)で、KH-8はソ連の高精細画像収集には理想的でした。一般的なレンズ口径のカメラと違い、ガンビットのストリップカメラは直径48インチ(約1.2m)の鏡で光を反射して、その光がもうひとつの鏡に空いた穴からレンズを通過、イーストマン・コダック製の3404型フィルムに写し取られる仕組みでした。

フィルムはコロナと同じようにカプセルで放出することもできるし、自動で写真を現像したりスキャンしたり、さらには地球に送信したりも可能でした。それはFilm Read-Out GAMBIT(FROG)と呼ばれる機能で、たった20分しかかかりませんでした。ただし開発に20億ドル(約1980億円)、約10年かかっていて、1971年のニクソン体制下で却下されてしまいました。


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ソ連の空軍能力を監視する以外に、ガンビットは周辺の飛行体の撮影もできました。これは1973年に大いに役立ちました。当時まだできたばかりの宇宙ステーション、スカイラブの隕石シールドが外れて修理が必要になり、NASAが有人ミッションを送るべく大わらわのとき、NROがガンビットを打ち上げて現場写真を撮り、NASAのエンジニアによる計画を助けたんです。


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ヘキサゴン・プログラム


KH-9ヘキサゴンは、1971年から1986年の打ち上げ20回のうち19回が軌道に無事載るあらゆる意味で文句なしの成功でした。32億6200万ドル(約3240億円)かかったロッキード製のプログラムは正式には「広域撮影光学偵察衛星」、一般には「ビッグバード」と呼ばれました。その存在は2011年まで公表されませんでしたが、開発は1960年代、コロナの後継として始まりました。

初代ヘキサゴンはF値3.0のライトシュミットカメラを搭載、焦点距離は60インチ(約1.5m)で解像度は2フィート(約60cm)、再突入用カプセルは4台搭載していました。最後の3世代ではパノラマカメラ搭載、アップグレードされた電力供給系や蓄電池、再突入カプセル用の窒素充填機といったものも追加されました。それらのおかげで衛星の寿命も長くなりました。それまで、ほとんどの偵察衛星は短命で2~3ヵ月しか使われず、フィルムがなくなったらもうお役御免でした。でもフィルムのペイロードが増えたために、KH-9の最後の世代では宇宙に275日間も滞在することができました。

1973年から1980年にかけて、ヘキサゴン衛星は地球上のあらゆる地点を2万9000枚の画像に収め、競合する衛星地図作成プログラムのランドサットより画質もやや高いものでした。ほとんどの画像は2002年以降機密を解除されていますが、軍事施設やイスラエルの大部分といったセンシティブな地域の画像は今でも厳重に守られています。


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ケナン・プログラム


KH-11ケナンは偵察衛星の中でももっとも進んでいます。最初の打ち上げはNROが1976年に行いました。米国の衛星としては初めて電子光学センサーとCCDを搭載し、それによってリアルタイムの監視能力があったと言われています。ただハードウェアについてはほとんど知られていることがありませんが、多くの人はハッブル宇宙望遠鏡と同じくらいのサイズで、同じような直径2.4mの鏡を使って解像度は6インチ(約15cm)とされています。

推測ではKH-11は1998年の大使館爆破事件後に機密解除された画像や、前年に公開された中国やロシアの画像を撮影したと言われています。さらにその後継のKH-12は、CIAがオサマ・ビンラディンの隠れ家を探すのに使った画像を提供したとも言われています。KH-11は全部で15機打ち上げられ、1976年から1990年はTitan-3Dロケットで9機、1992年から2005年にはTitan IVで5機、最後に2011年Delta IVで1機が打ち上げられました。費用は22億~30億ドル(約2190億~2980億円)と推定されています。


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偵察衛星開発の勢いはかつてほどではなくなりましたが、それは冷戦終結のためでもあり、民間の衛星技術が進歩したためでもあります。でも我々のインテリジェンス収集手段としては、今も不可欠な存在です。今は衛星が撮影したフィルムを空中で回収する必要もないので、地上の兵士たちの作戦立案に使える情報を提供するという新しい使い方も見出されつつあります。衛星写真は1991年、湾岸戦争の「砂漠の盾」作戦で初めて使われ、その後イラクやボスニア、コソボ、アフガニスタンでも活用されています。


RaytheonNRO、FAS 12、Wikipedia 12345Oneonta、Images:NRO、CIA、NASA]

Andrew Tarantola(原文/miho)

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