空を飛んだことのない飛行機、ブガッティ「100P」にまつわる逸話

空を飛んだことのない飛行機、ブガッティ「100P」にまつわる逸話 1

70年の時を経て、いざ大空へ飛び立とう。

ブガッティ「100P」は、伝説的な自動車デザイナーのエットーレ・ブガッティが設計した、900馬力、時速500マイル(時速約805km)を誇るレース用の飛行機です。その当時としては革新的な技術が搭載されていたため、もしナチス=ドイツの手に渡っていたなら、第二次世界大戦の勝敗が変わっていたかもしれない…それほどのシロモノです。しかし100Pは、開発時に空を飛ぶ機会がありませんでした。それから約70年。レプリカとしてよみがえった100Pは今秋にも大空へと羽ばたく予定です。

1938年、チーフエンジニアのルイ・ドゥ・モンジュ(Louis de Monge)氏の力を借り、ブガッティは初の試みとなる、飛行機の製作に取り掛かります。彼が作りたかったのはただの飛行機ではなく、ドイツの格式高いスピードレース「the Coupe Deutsch」でライバルを打ち負かすことが出来るような、ハイスピードの飛行機でした。実際、目標達成のあと一歩まで近づいたのです。

空を飛んだことのない飛行機、ブガッティ「100P」にまつわる逸話 2

ブガッティが考案した100Pは、開発当時のSR-71のように 、その時代の最先端だと思われていた技術のさらに上を行く技術が詰め込まれた飛行機でした。大きさは全長25フィート(約7.62m)翼幅は27フィート(8.2m)で、機体と翼はバルサ材と硬材とを重ねた木材で出来ていました。この製造技術は1940年代当時においては珍しかったものの、現在でも使われているそうです。

空を飛んだことのない飛行機、ブガッティ「100P」にまつわる逸話 3

100Pのエンジン設計は革命的な直列エンジンでした。プロペラを操縦するコックピットの後ろに450hpを発揮する4.9リッター直列8気筒エンジンを2つ搭載。さらに、102度のV形をしたテールと、翼の後縁から空気を排出する、空気抵抗がゼロに近い冷却システムを備えていました。また、対気速度に応じて、揚力を大きくし抗力を減らす自動調節するフラップや自動の着陸装置も付いていました。

1939年当時、対気速度の記録はドイツのメッサーシュミット社の飛行機が出した時速469マイル(時速755km)。しかし、100Pが1940年のCoupe Deutschで飛べていたなら、おそらく時速500マイル(約805km)という新記録を出していたと考えられます。ところが100Pが出場できませんでした。生産上の遅れにより、レースの申込締切である1939年9月に間に合わなかったからです。

空を飛んだことのない飛行機、ブガッティ「100P」にまつわる逸話 4

ブガッティ自身にとっては残念な出来事ではあったものの、この遅れが第二次世界大戦の結果を変えていたかもしれません。というのも、このプロジェクトを知ったフランス政府が100P開発中のブガッティに接触し、100Pの技術を、操作性が良く軽量な新世代型の戦闘機に利用したいと提案したのです。しかし第二次世界大戦がはじまり、彼は政府のオファーを断りました。翌年、フランスはドイツ軍に侵攻されました。もし100Pの存在が敵軍に知られ略奪されてしまったら、連合国軍の航空機隊を攻撃する、敵国の戦闘機に100Pの技術が使われてしまう…その可能性が出てきたのです。

しかしドイツ嫌いであり第一次世界大戦後にフランスの市民権を得たブガッティは、ある決断をすることでその危機を回避しました。というのも、ナチスの手に落ちてしまうくらいならと、完成間近だった100Pをフランスの田舎にある納屋に隠したのです。100Pは戦争が終わるまで隠されていました。

終戦時に発見された100Pは、その後何度も売られ、オークションにかけられました。紆余曲折を経て、現在展示されているEAAエアベンチャー博物館に辿りつき、レストアされるに至ったのです。修復はされたものの、作られてから70年以上が経ち老朽化が進み過ぎたため、空を飛べません。そういった背景があって、クラシックエアプレーン愛好家たちが、5年以上の歳月をかけて、飛行可能な等身大のレプリカを作ることにしたのです。

このプロジェクト、Le Reve Bleu(青い夢)に参加している、オクラホマ州タルサ在住の元空軍パイロットで飛行機ファンのスコッティ・ウィルソンさんはネタ元KFORの取材に対し、「(ブガッティ氏が描いた)ヴィジョンや勇気に、起業家らしい精神。そこに注目しているんだ」と答えました。「結局のところただの飛行機ですが、非常に興味深い物語を持った、カッコいい飛行機なんです。」

「ドイツ軍が侵攻してきた時、100Pの85%が完成していた」と、Metro UKに語るのは、レプリカの変速機を組み立てた、ジョン・ラーソンさん。元RAF(イギリス空軍)エンジニアです。「同機が1940年に飛んでいたら、革命的だったと思う。素晴らしい飛行機だし、エットーレ・ブガッティと働いたルイ・ドゥ・モンジュは天才的なエンジニアだった。」

「(100P)は速いスピードで飛ぶように設計されていたが、変速機にはそれほどの耐久性がなかった」とラーソンさんは続けます。「設計図や画像からリバースエンジニアリングをして、完璧な変速機を設計した。」 チームは今秋にもレプリカを完成させ、英国のファーンボロー国際航空ショーやグッドウッド・リバイバルでお披露目する予定です。

もしブガッティがフランス政府に100Pを差し出していたとしたら、飛行機の歴史は変わっていたかもしれませんが、それと同時にナチス=ドイツ軍にその技術が悪用されていたら、戦後は今とは別の世界になっていたかもしれません。ハイスピードなマシンを作りたいという自分の夢を中断して、最良の判断を下したブガッティ。自動車デザインの功績だけでなく、彼の先見の明も称えられるべきかもしれません。

Bugatti 100P- Daily Mail - IB Times - Wikipedia - KFOR - Metro UK - Top Gear

画像提供: Bugatti Aircraft Association

Andrew Tarantola(米版/たもり)