ポンは売る予定もない新人研修用ゲームだった

ポンは売る予定もない新人研修用ゲームだった 1

史上初のビデオゲームのヒット作「ポン(Pong)」。

開発したのはアタリに1972年に雇われた新人Allan Alcornで、同社創業者ノーラン・ブッシュネルはこの成功をバネに「ヴィデオゲームの父」と呼ばれるまでになるわけですが…そのブッシュネルも最初は商用化なんて全く考えてもいなかったって知ってますか?

そうなんです。ポンは単に新人君の腕試しでつくらせた社内研修用だったのです。

相棒テッド・ダブニーと一緒にアタリを創業したブッシュネルは、Alcorn君にこう説明しました。

「ものすごく単純な卓球ゲームを開発することで最近GEと契約を結んだんだが、やってくれるかい? 卓球ベラが2つあって、動いてる球が1個、あとは点数のデジタル表示がある、条件はこれだけだ」

実際には契約の話なんて嘘でした。Alcorn君はコンピュータサイエンスと電子工学の下地はあったけど、ヴィデオゲームの設計・開発の経験がなかったので、なんでもいいから超簡単な開発の仕事を任せて様子を見たかっただけなんです。発売予定はないんですけど、そんなこと言ったら本気出してくれないので、ただそういう話にしたのですね。

さっそく言われた通りにつくってみたんですが、これがなんだか物足りない…。そこでAlcorn君はひと工夫して、卓球ラケットのどこに当たるかによって弾ける角度が変わるようにしてみました。返球が成功するたびに球のスピードも少しずつ上げてみました。あと、これは回路が不良品だった偶然によるものですが、画面トップに卓球ベラが届かない隙間ができたんですね。上級プレイヤーはそこを狙って球を打ち込めるので、ゲーム的にはこの方が面白いことにも気づきました。

こうして数ヶ月で出来あがったゲームは、新人訓練のものとは思えない洗練度。ブッシュネルもダブニーも仰天です。でもまあ、まさか売れないよね、と思ったふたりは、地元の酒場「Andy Capp's Tavern」に試作機を置いて様子を見ることにしました。売れそうだったら、ゲームの取引先のBally Manufacturing社かMidway Manufacturing社にでも売っ払うかなってことで。

1週間後。ゲームが壊れたというので、Alcorn君が修理に呼ばれます。中を開けてみたら、なんとコイン受けに置いた牛乳パックが小銭で溢れ返っていて、コインの回路が小銭でショートしていたのです。

酒場の店主が言うには、なんでも開店前からポン目当てで店の前に行列ができるぐらいの超人気だというではないですか。これは売れる―そう直感したブッシュネルは急に売るのが惜しくなってきました。アタリで製造したい。そう考えたブッシュネルは、買う気満々だったBally社には「これは全然売れないクソゲーだってMidwayが言ってたよ」と言い、Midway社には「これは全然売れないクソゲーだってBallyが言ってたよ」と言って買う気を失せさせ、自分の思い通りにポンで商売できるようにしたのでした。

資金を調達して製造の問題を克服し、やっとのことでアーケードゲーム「ポン」は発売に漕ぎ着けます。売り出すなりポンは一大ブームとなって、1台あたり1日35-45ドル儲かる前代未聞のヒットとなりました。

もっと大きなヒットは家庭用ゲーム版です。こちらは当初、Sears Sporting Goodsから「Tele-Games」ブランドで売り出され、発売後初のクリスマスで15万台販売しました。

その後も売れに売れ、こうして新人の腕試しから生まれたゲームは商用化で初めて成功したゲームとなり、その後のヴィデオゲーム・ブームに道を拓いたのでありました。

[おまけ]

・ノーラン・ブッシュネル曰く、Atariという社名は碁の「アタリ」由来とのことです。アタリとはチェスの「チェック」みたいな状態のこと。日本語で「的を射る」の「当たる」からきた言葉。

・ブッシュネルはマグナボックス社が開発した世界初の家庭用ビデオゲーム機「Odyssey」の卓球ゲームをサンフランシスコの展示会で何ヶ月か前に遊んで、それでポンのアイディアを得た、というのが定説ですが、ブッシュネル自身はこの説を否定しています。「そのゲームは遊んでない。そもそも展示会にも行ってない」っていうんですね。「遊んでたぞ」と言ってる目撃者もいますが、全員マグナボックス社員です。

・いずれにせよアタリはマグナボックスに特許侵害で訴えられます。卓球ゲームは先行技術がもっと前からあったし、ブッシュネルなんて大学時代からこれで遊んでたので、法廷に持ち込めば先行技術ディフェンスで勝てると言われてました(後に任天堂はこれでマグナボックスを訴え返して敗訴してますが)。が、なんせ当時はアタリも零細で訴訟費用(当時の金額で150万ドルともされる)がありませんでした。結局、勝算が薄いと見たマグナボックスがアタリに70万ドル現金払いでライセンスする好条件を提示し、両者は和解します。

・この和解のとき、「一緒にポンのコピー訴えて高い使用料をとってやろうぜー」という条件もつけました。お陰で他のコピーと違って、アタリは当初の70万ドルという安いライセンス料だけで済みました。

・あとひとつの条件は、「向こう1年間、アタリで開発した新製品はどれも版権をマグナボックスに譲渡する」というものでした。しょうがないのでアタリは1年、全部開発段階でストップをかけて、製造を止めます。契約日もCESの1週間前になるようにサインしたので、1年後のCES展示会では1年で溜まりに溜まった製品をドッとリリースできました。それまで時おり様子を見にくるマグナボックス弁護団には、テキトーなこと言ってごまかしてたようです。

・ブッシュネルは複雑系が好き。ポンが売れないと最初思ったのも、「単純過ぎるから」という理由からでした。アタリ創業前にブッシュネルとダブニーのふたりは「コンピュータースペース」というゲームをつくっています。これは世界初の商用のコイン投入型ビデオアーケードゲームでした。宇宙を飛びながら自分が撃たれる前に敵の戦艦を撃つゲームなんですが、「あまりにも複雑過ぎて操作がわかりづらい」と一般には大不評でした。唯一人気を博したのは大学で、特に電子工学専攻の学生の間では割と好評だったようですけどね。

・Alcornはこう言ってます。「ノーランが僕にあれを任せたのは、思いつく中で一番単純なものだったからさ。つまり彼にとってそれは、なんの価値もないゲームだった。彼は次に当たるゲームはコンピュータースペースより単純なものではなく、複雑なものだと信じて疑わなかった。でもそれを僕には言わなかった。言ったらやる気失せるからね。でもどっちみち捨てる気だったんだよ」。自らの主義主張を覆すヒットで「ヴィデオゲームの父」と呼ばれるようになっちゃうなんて、面白いですね。

・ポン試作機第1号は、全回路とも配線を手作業で行いました。アタリの近所の激安ショップで75ドルで買った日立の白黒テレビの動画出力を使って、それを木箱に詰め、コイン投入口の下に牛乳パック置いておしまい。

・操作説明にはこう1文あるだけでした。「ボールを落とさなければ高得点になります」

*本稿はToday I Found Out初出記事を許可を得て再掲しました。

Daven Hiskey - Gizmodo US[原文

(satomi)