留守番電話って悪くない、普段言えない言葉が出てくるかもしれない

ピーっという発信音の後に、ご用件とお名前を…。

留守番電話、最近いつ使ったか覚えていますか? メッセージを残すのも、残されるのもしばらくないように思います。たまに残っていても「またかけます」なんて内容で、んじゃ残さなくてもいいだろ!と思うこともしばしば。電話して相手が出なければメールしておけばいいでしょ、現代の多くの人はそう思っているのでは…。

しかし、そう思っていない世代があるのです。それは、お父さんお母さん、おばあちゃんおじいちゃん世代。彼らは、留守番電話を残したがる傾向にあります。残さなくていいよ!と思っているあなた、米GizmodoのLeslie記者が「そう思ってたけど、違ったわ!」と自身の留守番電話体験談を語っています。聞いてみましょう。

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うちの母親は、留守番電話に関しては何を言ってもダメだ。何度、留守電残すのやめてと言っても、母はなんで?という様子。残すな、なんで? 残すな、なんで? この流れが数年続いていたが、やっと母親が正しいということが最近わかった気がする。

留守番電話に対する意見は、世代によって異なる。40前の人達は、なぜいちいち留守電を残すのか、なぜメールで用件を伝えないのかいまいち理解できない。留守電がなくても、メールしなくても、着信履歴がある。かけなおしたり、メールしたり、こちらだってその履歴しだいでアクションをとることはできるのに。留守電を残さない方がエチケットとしていいのではないか。留守電が残っていると気になってしょうがない。極端だけれど、中には、留守電を残すなんて失礼な話だなんていう人もいるかもしれない。が、留守電は実はそんなに悪いものじゃない。悪いどころか、いいものだ。むしろ必須だと言ってもいい。

うちの家族の話を少々。うちの父は、今年7月に他界した。死という人生における1つの出来事は、日常を一変させる。一度発生すると、それに関して様々なことが起こり、こなしていかねばならず、その一連の流れのスピードを緩めるのは難しい。ましてや、立ち止まって、誰が何を言ったか、誰が差し入れにキャセロールを持ってきてくれたか、ウォータープルーフのマスカラを何本使ったか、そういったことに目を止めるのは無理な話だ。流れを止めるものは何もない。しかし、この怒濤の動きの中で、まるで時間をワープするようなものとして、私は留守番電話の存在を再認識した。

父親が死んだ後、1ヶ月ほど私の電話はなりっぱなしだった。メールして言えばよかったのだが、電話で誰と話す気も起きなかった。電話にでたところで、かけてくれてありがとうというだけで、結局建て前だけの話で終ってしまうだろう。でも、友人、知人は私と話をしたがった。そこで、彼らは留守電を残した。

留守電が残っていても、すぐさま聞く気にはならなかった。が、留守電メッセージがそこにある、必要になればいつでも聞けるというのは、どこか確かな心地よさがあった。Snapchatのような最近はまっている5分ほど没頭するがすぐ消えてしまうものと比べて、留守電はずっとそこにある。1度聞いてもまだそこにある。自分自身が消してしまわない限り、ずっとそこにあるのだ。

留守電のメッセージは、もちろん私のためでもあるが、それと同じくらい残した彼らのためでもあったのだと思う。死など大きな出来事が起きた時に、人は何を言っていいのかわからなくなる。だから、留守電という誰からも静止されない形で話ができるのは彼らにとってもよかったのだと思う。

また、普段面と向っては言わないようなことも、留守電では言える。すぐさま返事がこないという仕組みがそうさせるのだろう。邪魔されずメッセージを残しながら、きっとこの意味が上手く伝わりますようにと願うのだと思う。何を言っていいかわからないシチュエーションだからこそ、留守電機能は、彼らの言うべきことを引き出す役割を果たす。

なにも留守番電話で、悲しい話をしようというのではない。こんなことがあったから、私は留守番電話の価値をわかったといいたいだけだ。また、留守電は人生のアーカイヴにもなる。

例えば、私の電話にはもう何年も消さずに残っている留守電メッセージがある。中にはあまりにも大切で、間違って消しても大丈夫なように、SoundCloudにアップロードしたやつもあるほどだ。

前にルームメートが、私の飼い犬のフリをして留守電を残したことがある。保存した。ミズーリ州で教師をしている友人が、彼の生徒の面白い発言の話を留守電に残したことがある。けっこうたくさん保存した。たまにかかってくる酔っぱらいコールだって面白い。(もちろん、もう関わりたくない元彼とかのではない場合に限るが)人ってのは面白い、素晴らしい。2分間の留守電に吐き出された言葉、夜中の酔っぱらいコールを朝に聞く楽しみ。なかなか悪くない。

留守電に関して、絶対と言えることがある。時には、人の声を聞くのもいいものだということ。Eメールだってチャットだって悪くない。ただ、電話をかけるというのはそれなりに手間がかかる行為だと思う。メールを打つのと、電話で話すのは真逆の位置にある行為。自分の感情を文字にするよりも、言葉にして話す方が難しい。例え、その感情が「どうしてるかなと思って電話してみた」だとしてもだ。

感傷的になっているのではないが、留守電にはそのクラシックな良さもあると思う。今回のことで、留守番電話を考えるたびに、父親のことを考えずにはいられないと思う。父のカレンダーは、誕生日に電話すべき人々のメモで埋まっていた。何百という人が、父から誕生日に電話があり、バースデーソングを歌われていたのだ。電話をとれば、彼らの耳にむかって歌い、電話をとらなければ、留守電に向って父は歌っていたのだ。

この3ヶ月、本当にたくさんの人たちから、あなたのお父さんが誕生日に残したバースデーソングの留守電があるという話をきいた。なんでもっとちゃんと留守電を聞いておかなかったんだろうと後悔していたところ、先日父の残した昨年のバースデー留守電を消去フォルダーから見つけ出した。保存した。

認めるのは難しいが、うちの母は間違っていなかったと思う。留守番電話ってのはいいものだ。今は、まだその良さがわからない人もいるだろう。留守電とか意味ないってと言う人もいるだろう。その気持ちもわかる。留守電はうざい、うざい時もある。うざいうざいと私もいつも言っていた。でも、今は思う、留守番電話がこの世から消えてしまったらきっと寂しいだろうと。

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いかん、泣けてきた。「何を言っていいかわからないシチュエーションだからこそ、留守電機能は、彼らの言うべきことを引き出す役割を果たす」これは、確かにそうかもしれません。相手のリアクションなしで、こちらの伝えたいことを話す機会はなかなかないもの。書くんじゃない、話すからこそ、読み返して編集できないものだからこそ、感情が強く現れるんですね。留守電かぁ、いれてみるかな。

image by Tara Jacoby

Leslie Horn - Gizmodo US[原文

(そうこ)