実は奥深い、Tシャツ誕生ストーリー

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たかがTシャツ、されどTシャツ。

Tシャツを持っていない人って、ほとんどいないのではないでしょうか。Tシャツには様々なスタイル、色、サイズがあり、老若男女問わず、受け入れられる衣服となっています。さてこのTシャツ、どこからやってきて、どのようにして多くの人に受け入れられるようになったのでしょうか。

Tシャツが現在のような地位を築いたのはそれほど昔ではなく、ここ半世紀ぐらいのことです。「襟ぐりが広く、ボタンがない半袖のシャツ」という形自体は、20世紀の始めに存在していました。しかし、それは肌着であって、公共の場で見えるように着られることは本当に稀でした。

Tシャツ型の肌着は、19世紀の労働者達がよく着ていた、ユニオン・スーツと呼ばれる赤いフランネル地のつなぎから派生したと考えられています。ユニオン・スーツは、1868年にニューヨークで専売特許が取られ、流通したもので、それ自体はヴィクトリア時代の女性の肌着から派生しています。

ユニオン・スーツは身体を暖かく保つのに非常に効果的でしたが、一方で暑い時には不向きでした。そのため、労働者の多くはユニオン・スーツを上下に分割して使用していました。こうして現在、ロング・ジョーンズ(長袖・長ズボンの肌着。言うなればババシャツとズボン下。)と呼ばれる肌着の原型ができました。

実は、ロング・ジョーンズは17世紀にすでに作られています。しかし、ヴィクトリア時代には労働者のための肌着というよりは、女性のための肌着でした。ウェストをなるべく細く見せたかった女性達は、ロング・ジョーンズを着用することで、寒さをしのぎながら、薄着のおしゃれをしていたのです。男性がロング・ジョーンズを着るようになったのは、ユニオン・スーツの後だと考えられています。

19世紀に入ると、こういった肌着をより快適に使用できるように、伸縮性のある素材で作ろう、という試みが行われます。こうして伸縮性のあるウールや綿で作られた肌着は、ボタンがなく、頭からかぶって着るプルオーバー型となりました。プルオーバー型のシャツが、いつ、誰によって発明されたかは分かっていません。しかしこれが、肌着であり、人々はその上に、必ず別の何かを着ていたということは知られています。1890年代の始め、ハバナなどでは、「公共の場でプルオーバーを見えるように着ることを禁ずる」法律までありました。

そして1904年に、Tシャツ誕生に大きく貢献する出来事が起こります。クーパー・アンダーウェア・カンパニー(Cooper Underwear Company)という会社が、独り身の男性を対象に「独身のためのアンダーシャツ(bachelor undershirt)」を売り出したのです。そのキャッチフレーズは、「安全ピンなし ボタンなし 針なし 危険なし(No safety pins - no buttons - no needle - no thread)」。この広告は、アンダーシャツにはボタンがないということを強調しています。つまり、メンテナンスが必要ないということです。この広告が行われていたのは、約1年程度で、あまり長い間ではありません。しかし、この広告を受けて、裁縫のスキルのない、若い独身男性を多く雇う必要のある組織が、ボタンのない白いアンダーシャツを制服として採用することにしました。アメリカ海軍です。

『アメリカ海軍服装規定1905年(1905 Uniform Regulations of the United States Navy)』によると、綿のアンダーシャツは水兵の制服の下に着用するように、と書かれています。しかし、ルールには但し書きがついているものです。但し書きによると、暖かい気候の時には、上長の裁量で、アンダーシャツのみの着用でよい、とあります。また、エンジンルームで働く水兵は、希望するならば、アンダーシャツで勤務してよいとあります。数年後、第一次世界大戦が始まると、アメリカ陸軍もアンダーシャツを採用し、何万人もの兵士がアンダーシャツを着るようになりました。

第一次世界大戦が終わって少し後の、1920年。フィッツジェラルドが、アンダーシャツではなく「Tシャツ」という言葉を『楽園のこちら側』という小説の中で使います。これはTシャツという言葉が、印刷物の中に初めて使われた時として、知られています。その小説のなかで、メインキャラクターはTシャツを大学に着ていきます。そして偶然にも、その後、Tシャツ流行のきっかけの一因となる「クルー・ネック・Tシャツ」が生まれた場所も、大学でした。「クルー・ネック・Tシャツ」は1932年にジョッキー・インターナショナル・インク(International Inc)がサウス・カルフォルニア大学のアメフト選手のために作ったものです。Tシャツはチームの中で重宝され、そして、そのうちに、他の学生たちが日常的に着るようになりました。

第二次世界大戦が始まる頃には、アメリカ中の高校生や大学生が、Tシャツを着るようになっていました。しかし、依然として、社会人はTシャツを肌着として捉えていました(もちろん、沢山の例外もあります。農業に携わる人達のように、暑い中、働く必要のある労働者は例外の1つです)。Tシャツが肌着から外出着に変化する最後の決め手は、第二次世界大戦から帰ってきた兵士たちです。彼らは戦地でしていたように、Tシャツをカジュアルな洋服として着るようなりました。

そして、Tシャツが大流行するきっかけが、『欲望という名の電車』でマーロン・ブランドが演じたスタンリー・コワルスキーです。マーロン・ブロンド演じるスタンリーは、劇中でも1951年の映画でも、ぴったりしたTシャツを着て、上腕を強調しています。これを見た人々は、Tシャツが、それ一枚できることのできる、セクシーな洋服であるということを納得し、取り入れました。

それから、無地だったTシャツの上に、ロイ・ロジャースウォルト・ディズニーなどのデザイナーがデザインをするようになり、ますますTシャツは一般化し、今日の地位までたどりついたのです。

なるほど。現在、とっても身近なTシャツという洋服が、はじめて印刷物に登場したのが特定されるほど、歴史の浅いものだったとは知りませんでした。Tシャツがなかったら、今より頻繁にボタン付けの苦行と戦っていたのかと思うと、発明されてよかったとしみじみと思います。

Karl Smallwood - Gizmodo US [原文]

(mio)