しょうゆ卓上瓶をデザインした、栄久庵憲司さんの原点

しょうゆ卓上瓶をデザインした、栄久庵憲司さんの原点 1

世界はまた一人、偉大なデザイナーを失った。

栄久庵憲司さんの名前は聞いたことがなくても、そのデザインを知っている人も多いのでは? 2月8日に85歳で亡くなった栄久庵憲司さんは、20世紀のインダストリアル・デザインを象徴する作品の数々に携わってきた方です。彼がその道を志したきっかけは、故郷、広島が原爆で焼け野原になったのを目の当たりにしたことでした。

栄久庵さんがデザインしたものには独特なフォルムのキッコーマンのしょうゆ卓上瓶ヤマハのオートバイなどがあります。1961年にデザインした赤いキャップがついたしょうゆ卓上瓶は、戦後の凄惨な状況から高度経済成長期へと突入した1960年代の日本の明るい未来を象徴していました。

新幹線E3系「こまち」をデザインしたのも栄久庵さんでした。このように、20世紀におけるもっとも影響力を持つデザインのなかには彼の声が反映されたものもありました。栄久庵さん自身は、インダストリアル・デザインの草分けだったレイモンド・ローウィに影響を受けていたんだとか。

しょうゆ卓上瓶をデザインした、栄久庵憲司さんの原点 2
Images by ヤマハ・YA-1 via Yamaha Community.fr;

しょうゆ卓上瓶をデザインした、栄久庵憲司さんの原点 3
新幹線こまち by ykanazawa1999/CC.

1945年、広島に原爆が投下された当時、栄久庵さんはまだ10代で父と妹を失っています2010年のインタビューでは、デザイナーになろうと決意したその時の恐怖と哀しみをこのように語っています。

デザイナーになると決めた時、私は広島にいました。戦後すぐのことです。原爆投下のあとすべてが無になりました。焼け野原となった町に佇み、自分の家を見下ろしましたが、何もなかった。私はガタガタと震えていました。そして私はモノと結びつきたかった。なぜなら人は長い間、モノと結びついていたからです。人の生活にモノを取り戻すために何かする必要があると思いました。他も利すれば自らも利するということです。だからデザイナーになろうと決心したのです。

そして彼はインダストリアル・デザイナーになるため勉強し、同様の志を持つ学生たちと一緒になり、その後数十年働くことになるGKインダストリアル・デザイン研究所を立ち上げました。オートバイや新幹線、そしてしょうゆ卓上瓶に至るまで、モノは居心地の良さ、楽しさと喜びの拠り所となるべきという考え方を自身のキャリアを通じて貫いたのです。

しょうゆ卓上瓶をデザインした、栄久庵憲司さんの原点 4

Quartzが取り上げていた「人が生まれ、年を取り、病にかかり死ぬのと同じように、工場ではモノが生まれ、幾年も役に立ち、そして最後には死ぬ。すべて同じことだ。」という一節は前述のインタビューでモノの一生と人の一生について語ったものですが、これほど墓碑銘にふさわしい文はないでしょう。

ご冥福をお祈りします。

Top image by Kiersten Chou/CC

Kelsey Campbell-Dollaghan - Gizmodo US[原文

(たもり)