図書館司書が語る、特定の本を取り扱い禁止することの危険性

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本がずらーとたくさん並ぶ図書館。これだけたくさんの本があっても、何万何億とある本の中には、図書館で取り扱われていないものがあります。取り扱い禁止本には、なんらかの理由があるものです。

しかし、その理由はフェアなものでしょうか? マンスフィールド大学ペンシルバニア校の図書館司書であるScott DiMarcoさんが、取り扱い禁止書籍とそれに対する周りの反応とその危険性を自身の経験を踏まえて語っています。

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図書館という世界で、情報へのアクセスは人権の1つであり、情報の改ざんやコントロールは許されることではない。

図書館の棚に並ぶ本は、読み手がすべての事柄にバランスよくアプローチできるよう、熟練の司書によって選ばれている。私たち司書は、個人的にその本の意見に賛成だろうが反対だろうが、すべての視点を読者に提供できるよう努めているものだ。

一部の人や団体がある本に怒りを覚えたとしても、良質な図書館であるためには、視点のバランスは必要不可欠。しかし、時に、本の内容がふさわしくないという申し立てが寄せられることがある。図書館で、この本、あの本の取り扱いを禁止すべきだというリクエストだ。この特定の本を禁止することは、「チャレンジ(取り扱いが難しい)」と称され、禁止リクエストが受け入れられることもある。

地域の図書館で本の取り扱いを禁止すると、どのようなリアクションが起きるのか、私はそれをよく知っている。というのも、私自身が本を取り扱い禁止にした経験があるからだ。私は図書館司書であり、学校の図書館の責任者であり、言論の自由と民主主義を大いに支持する者である。しかし、2012年、私はマンスフィールド大学ペンシルバニア校で、ある本を取り扱い禁止にしてみたことがあるのだ。

なぜ私がその本を禁止したかについて語る前に、本の取り扱い禁止ががどれほど頻繁に起きるのかについて触れたい。

紛争など悲観すべきことが起きているとき、つまり人々の感情や恐怖が高まってるとき、人は自由を制限されることを受け入れてしまう傾向にある。2013年のボストンマラソンでの爆弾事件がいい例だ。事件後の余波として、事件後、軍警察が礼状なしで一般市民の家を捜索したり、武装車がボストンの道を走ったりしていた。

その後、ローリング・ストーン誌は、爆弾犯ジョハル・ツァルナエフの写真を表紙にした号を発行したが、大手本屋チェーンのいくつかは、これを配慮にかける行為で悪趣味であるとし、販売を拒否。雑誌を購入するかどうかの決定権は消費者に委ねられるべきだという見方があるが、ニューイングランド地方の多くの本屋はこの決定権を選択肢として読者に与えなかったのだ。

このようなことが起れば、我々は2つの制限をかけられてしまうことになる。1つは、法にそぐわない検閲と没収。もう1つは報道の自由という役目だ。「安全」や「アンチテロ」の名の下に、権利に制限がかけられてしまうのだから、なんにせよこれは、民主主義にとって大きな問題である。雑誌の表紙だろうが本だろうが、年々、検問や取り扱い禁止のものが増えてきている。

この問題をうけて、1982年以降、図書館司書や関連団体は毎年9月に、取り扱い禁止本週間を設けて、取り扱い禁止となった本の復活を求めつつ、本の世界の自由さを尊ぶ活動を行なっている。

アメリカ図書館協会(ALA)によれば、1982年以降、1万1300タイトルが、さまざまな理由で取り扱い禁止状態にある(理由とは、性的に過激、人種/宗教迫害、暴力的な表現、年齢層にそぐわない、ホモセクシャルを奨励などなど)。2014年の1年間には、311タイトルが取り扱い禁止としてALAに報告された。未報告のものもふくめば、その数はもっと多いだろう。

中には、いくつもの理由で継続的に禁止されているものもある。昔ながらの定番系からあまり知られていないタイトル、必読系からグラフィックノベルスなど、それらは実に多種多様だ。

2012年マンスフィールド大学ペンシルバニア校図書館の同僚とともに、わたしは取り扱い禁止本週間の準備を進めていた。国のあちこちの図書館で、人気の本が取り扱い禁止にある状況を知ってもらおうと計画したのだ。が、イベントは、パネルディスカッションに参加してくれたのがたったの6人というさんざんな結果となった。

なぜ企画は失敗したのか。多くの人にとって、本の取り扱い禁止というテーマはどうでもいいようなことなのか? それとも、そもそも取り扱い禁止の本が数多くあること自体が知られていないからなのか?

そこで私は、私のまわりで本が取り扱い禁止された場合、人々はどうリアクションするのかを試してみることにした。自分の周りである本が取り扱い禁止になるという、いつでも起こりかねない事態に興味を示してほしかったのだ。

この実験的取り扱い禁止本には、Dennis R Miller氏のスリル小説「One Woman's Vengeance」を選出。彼は地元の著者であり、今回の試みを話すと快諾してくれた。また、本の内容にセックスと暴力がいい具合に盛り込まれているのも、取り扱い禁止実験にちょうどよかった。

この本を取り扱い禁止するという内容を簡潔に2行で、図書館の公式便せんに書き、それをフェイスブックの図書館ページにポストして発表した。

生徒、教員、卒業生、そして一般の人からのリアクションは、それはそれは大変なものだった。もう熱烈猛烈なもの。

発表から20分もすると、地元メディアからMiller氏に取材がきた。さらに、その日のうちに、人々の感情や不満を吐露する場として、フェイスブック上で反対デモページが立ち上がった。

非常に大きな反響があった一方、生徒/教員合わせて約3,000人いる大学内から、この問題に対して私に面会を求める人がたったの8人だけだったことにはがっかりした。なぜこの本を取り扱い禁止したのか、禁止を撤回するには何をすればいいのか、それを直接私に尋ねる人は少なかったのだ。

ネット上で寄せられた大量のコメントは、主に今回の禁止に対して裏切られたという苦情や、不平不満だ。中には、このフェイスブックの場を、安全な距離をとり、ただ失礼なコメントをする場として活用している人もいた。

取り扱い禁止リスト入りした本を取り戻すには、リアルな行動がいるのだ。何にせよ、この問題を問題とも考えていなかった人々の意識に触れ、前面に押し出すことはできた。

コーヒーの日や海賊みたいに話す日など〇〇の日というのはたくさんある一方、取り扱い禁止本週間のような大きな意味をもつイベントは見落とされがちだ。

一部の本を取り扱い禁止にするということは、最終的には自由な民主主義の真髄を切り捨てることになってしまう。哲学者ノーム・チョムスキーは、1992年にBBCのインタビューにてこう語った。「もし、我々が相反する人々の表現の自由を信じられなければ、何も信じることができないのと同じだ」。

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この記事は、The Conversationに最初に掲載されました。

image: by dalioPhoto under Creative Commons license

source:

Scott DiMarco - Gizmodo US[原文

(そうこ)