ナイキエアの天才的なんだけど奇妙な歴史

1990年代のナイキエアはすごかった! 中どうなってんのかな?と思って、フリマで中古の安いやつ買ってきて分解したもんです。でもだんだん大人になって脳が発達して生体力学のこと多少齧るようになってやっと気づいたんです、ナイキエアってただの根拠ナイキシューズだったんだなって。

いや、ナイキエアだめだって言ってるんじゃないですよ。30年以上前にあのエアクッション入りのが出た時には、スニーカー業界に革命きた!という感じでした。Air Maxではステートメントアイテムになって、スニーカーマニアが生まれ、履かずに集めるコレクターが生まれもしました。

ただ、CMとは裏腹に、あの圧縮ガスで運動機能が高まるという科学的根拠は薄く、最近の調査ではむしろマイナスという話もあります。

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その辺のことはナイキもわかってるようで、創業者フィル・ナイト自身、1992年の段階で、これからのナイキはマーケティング会社だと言ってたりします。

斬新なCM戦略で途方もない利益を生んだ世界的ブランドビルダー、ナイキ。今回はその奇妙な歴史をすこし見てみましょう。

はじまりはオレゴン、そしてオニツカ

ナイキも最初からそんな感じだったわけではなくて、1964年、元オレゴン大学陸上選手のフィル・ナイトが元コーチのビル・バウワーマンと一緒に小さな会社を起こした時には、ランナー仲間に最高のシューズを届けたいという純粋な思いがありました。それでオニツカ・タイガー(現アシックス)の輸入販売業から始め、トラックに積んで陸上大会に出向いて一足一足売りさばくという泥臭い商売をやってたんです。

でもそこはそれ、スタンフォード大学でMBA修了間際だったナイトのこと。もっと利ざやの大きな独自ブランドを始めようぜってことになります。

ナイトがデザインしたクッション入りシューズはオニツカから1969年、「Tiger Cortez」という名前で発売されました。ちょうど時を同じくしてふたりは日本の工場で独自ブランドシューズの製造を始め、このラインを「Nike」と名づけます。そうして作った最初のモデルが…もう言わなくてもわかりますよね? そう、「Nike Cortez」。

よもやそんな亜種が出てるとは夢にも思わないオニツカは、お偉いさんがロサンゼルスの「ブルーリボンスポーツ(BRS)」(ナイキの前身の会社)の倉庫を視察するまでその事実を知らされていませんでした。なのに法廷では、 両社ともつくってよし、との判決が下ります。売ってるシューズは全くおんなじ。売り先のランナーもおんなじ。単にオニツカのロゴを独自ロゴに変えて売ってただけなんですけどね(上の動画は12点確認で比較している動画。違うのはロゴだけです)。

その渾身のロゴ「スウッシュ」も、地元の大学生キャロライン・デヴィッドソンさんが時給2ドル×17.5時間=35ドルで考案したものでした。後になってさすがに安すぎたと思ったのか、ナイトは10年後、スウィッシュがモチーフの金とダイヤモンドの指輪にナイキ株の封筒を添えてキャロラインさんにプレゼントしています。

かくして天才的マーケティングと詐欺紙一重のナイキビジネスは立ち上がったのであります。別に独自性のある製品を出す必要はない。創業者ふたりは早い段階でそのことに気づいていました。スウッシュ、有名選手のエンドースメント、スローガン。こういうものでブランドイメージを作り上げさえすれば、人は性能ではなく製品を信じるようになる、そう考えたのです。

NASA、ナイキエア爆誕

すべてのイノベーションはアポロ計画に通ずと言われますが、ナイキエアも例外ではありませんでした。

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70年代終わりに飛躍の下地が整ったナイキは、不屈の長距離走者スティーブ・プリフォンテインのエンドースメント契約と、バウワーマンがカミさんのワッフル型にゴム流し込んで開発した伝説の「ワッフル・トレイナー」で売れ始めます。そして1978年に出たのがナイキ初のエア搭載シューズ「エア・テイルウインド」です。

ホノルルマラソン向けに開発されたエア・テイルウィンドには、元NASAエンジニアM.フランク・ルディが開発した新技術を採用していました。ルディはアポロ計画で宇宙飛行士のヘルメット製造で使われていた「ゴムのブロー成形」を応用し、中が空洞のミッドソールを作って、そこに圧縮ガスを閉じ込めたポリウレタン製のエアバッグを埋め込み、この技術で1979年に特許をとります。

「空気の中敷きならクッションになるし、何度履いても磨り減らない」―この画期的特許で実現したナイキエアは当初エリートランナー向けに発売され、徐々にスニーカーに100ドル以上出す人なら誰でもオーケーになってゆきました。

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初期のエアは、ご覧のように外からは全く見えません。消費者は買って分解するか、ナイキの言葉を信じて買うしかありませんでした。「中まで見せよう」と考えるデザイナーが出てくるのは、まあ、時間の問題でした。

見える化で大儲けのエアマックス

'80年代にはエアフォース1とエアジョーダンがバスケットボール界を席巻します。ナイキはエッジーなブランドというイメージが定着し、一時はNBAが試合規定違反で初代エアジョーダンの使用を禁じ、ナイキが罰金を肩代わりするかたちでマイケル・ジョーダンに試合中も履き続けさせる事件もありましたが、ナイキは技術開発を進め、ナイキエアは着々と進化していきました。

そうして1986年、ナイキはついに企業価値ビリオンドルの会社に成長し、翌1987年にはもっと大きなエアバッグと、それが外から見える窓を搭載したランニングシューズ「Air Max 1」がリリースされます。

エアクッションはクリンゴンの宇宙艦をぺしゃんこにしたみたいな形に変え、端っこに見せる用のエアを詰め、真ん中には衝撃吸収用の大きめのエアクッション。これがナイキの定番となり、ハイテクデザインの象徴となります。

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エアマックスは細かい説明抜きで、技術を見える化したシューズでした(ポリウレタンの袋に不活性ガス充填しただけなんだけどね)。この単純明快さもナイキデザインの鍵を握る要素となります。

初代ナイキエアマックスIのデザインを手がけたのは、オレゴン大学陸上部の元棒高跳び選手にしてエアマックス伝説の設計者であるティンカー・ハットフィールドです。氏は「エアマックスはパリのポンピドゥーセンターの内部剥き出しデザインを見て閃いた」と事あるごとに語り、伝説の建築家レンツォ・ピアノとリチャード・ロジャースへのオマージュも忘れませんでした。

「このシューズは呼吸をする。しなやかで、足によくフィットする。ソールにはエアが見える窓があり、フレームは未来感のあるカラーで、当時のシューズとしてはかなり目立っていた」、「でも色さえ変えれば何度でも使い回しが効く。懲りすぎたデザインじゃないからね」と、ハットフィールドは数年前のインタビューでザ・ガーディアンに語っています。

エアマックスは発売のたびに新色にがらりと入れ替わり、ナイキエアはただの空気詰めシューズからパーソナルなデザインアイテムとなりました。宣伝では「エアクッション=万人共通の運動能力向上テクノロジー」というアピールももちろん続けながら。そのいい例が1994年のエアマックス2のCMのキャッチコピー、「Strangely scientific」です。

ふわふわクッションのシューズなんて、とても言えないムード。もはや「履くガジェット」です。こうしてエアマックスでハイテクシューズは社会現象になります。

エアマックス・ファミリーの系譜

因みにこの歴史紹介記事では、ランニングシューズに話を絞っていきますね。ナイキエアはもともと、陸上競技のアスリート向けに開発されたものだし、ナイキは全ランナーにクッションが効くと宣伝してましたから。その宣伝に疑問の声があがって、近年は専門家の間からナイキのようなシューズメーカーの責任を指摘する声も挙がってきています。

たとえば、理学療法士で整体生体力学の専門家のJay Dicharryさんは昨年ザ・アトランティックで「(ランでケガする人が増えた)問題の一端は、足に合わせた靴づくりを考えないシューズ業界全体にある。足に馴染ませる手法はどれも、ランナーのタイプを考えて、それに合わせたシューズをつくる手法とは言えないものばかりだ」とコメントしています。

確かに「足に合わせた」というより、エアマックスは、モア・イズ・ベターというアメリカ哲学を地でいくような製品でした。1990年代のあの有名な広告を見れば、それはよくわかります。白地に黒のシンプルな広告さえも、重厚なフォーミュラを強調するための小道具でした。マディソン・アヴェニュー(米広告業界)のこの伝統はマッドメン時代のフォルクスワーゲン広告から今のアップル広告に至るまで何十年も変わっていません。

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「Even More(もっともっと)」と、ナイキシューズはどんどん空気も窓もでかくなっていきます。上の写真の左側の「Air Max 90」では1987年の初代Air Maxより窓も空気量も微妙にでかくなっており、写真右側の「Air Max IV(通称Air Max BW)」ではさらにでかくなってます。 「BW」は「Big Window(でかい窓)」の頭文字。ほんとに窓履いて走ってるぐらいのでかさです。

だんだん小窓だけでは飽きたらなくなり、Air Max BWと同じ1991年には接地面のボトムまで窓にした「Air Max 180」をリリース。

1993年の「Air Max 93」ではリアウィンドウまで装備し、エアクッションはミレニアムファルコン状態に。

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当時小5だった僕もこのシューズは喉が手が出るぐらい欲しかったもんです。学校に履いていくだけで金持ちと思われたアイテム。本当に速く走ったり、高く飛べたりするとは、ナイキもはっきりとは断言してませんでしたけどね。

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断言はしてないんだけどTVをつけるとそこでは、バルセロナ五輪で金メダル2個とった国民的選手(別に優勝したときAir Max 93を履いていたわけではない)が、「うちのスーパークッションな(肥満の)ワイフとシューズ交換しないかね?」という王様から超人的跳躍力で逃げてたりするわけですよ。

こうして詳しい説明は一切抜きで、スター選手に履かせた映像を流すCMは続き、「more air = better shoes」というイメージが消費者の頭に刷りこまれていったのでした。

技術とデザインにブレイクスルーが訪れたのは、「Air Max 95」です。これはセルジオ・ロザーノが、それまでのハットフィールドのシンプル路線から脱皮を図ったモデルですね。エアは前半分にも入れました。カラーは緑とグレイで、まるでSF映画「エイリアン」みたいです。

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ただ本当にハイテクシューズなら陸上競技でバンバン使われてなきゃおかしいのに、一向にそういう気配はありません。1996年アトランタ夏季五輪でナイキがスポンサーのマイケル・ジョンソン選手も、本番で履いたのはカスタムメイドのゴールドスパイク。クッションゼロのシューズでした。

Max Air Max

'90年代終盤、ランニングシューズ界のトレンドは、センセーショナリズムから地道路線に移行し、ニューバランスとアシックスは、製造の質の高さと、履く人の好みに合わせて安定性とクッション性を選べる点を前面に押し出してきました。が、ナイキは飽くまでもエアマックス技術で突っ走ります。

エアを前半分にも敷いたAir Max 95が当たったのに気を良くしたナイキは、ミッドソール全体にエアを注入することを考えます。こうして、つま先からかかとまでエアクッションの「Air Max 97」が登場。

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翌1998年には適度な部位に適度なサポートを加える「Tuned Air」という新技術搭載の「Air Max Plus」が出ます(クッションをカスタムメイドする方向性は正しかった)。さらに「Zoom Air」という新技術搭載モデルもいろいろ出ました。こっちは「1歩1歩足にかかる圧力を次の1歩の反力に変える技術」(ナイキ)。90、180ときて360度エアが見える「Air Max 360」が出たのは、2006年のことでした。

「Air Max」から「Even more Air Max」を経て、「シューズ1足に詰め込めるエアの限界を極めた本当のAir Max」へ。エアマックスの1987年から2015年までの進化を1枚にまとめたのが、こちらです。

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もしナイキのCMが本当なら、陸上競技大会も五輪もこれ一色になるはずなのに、ナイキエアでゴールを切る選手は相変わらずひとりもいません。陸上界ではむしろ、それと正反対のことが起こっていました。

裸足ブーム

Air Max 360発売の数年前のことです。ナイキの営業マン2人は創業者ナイトが1億500万ドルを寄付したスタンフォード大学を訪れました。目的は、ナイキが後援するアスリートに一番人気の最新シューズを調べること。ところが同大ヘッドコーチのVin Lanannaからは意外な返事が返ってきました。「シューズは届いたけど、選手には履かせてない。裸足でトレーニングする方が速く走れて、けがも少ないからね」

これはベストセラー「Born to Run(走るために生まれた)」に紹介されたエピソードです。この本はランで足を傷めたクリストファー・マクドゥーガル記者が、どうしても走れる体を取り戻したいと願い、裸足にサンダル履きで何百マイルも走るタラフマラ族や世界的ウルトラマラソン選手らに密着取材した本です。人体の専門家たちに話を聞いてマクドゥーガルが知ったのは、20世紀のクッションシューズ・ブームもケガが増えた一因だということでした。

「現代人を悩ませている足と膝のケガの多くは、足を弱め、過剰な回内(足首回転)と膝の故障をもたらすシューズで走ることからきている」、「モダンな運動靴が登場する1972年まで、人はとても薄い靴底のシューズで走っていた。足が強く、膝のケガも少なかった」と、ハーバード大教授で人体の進化が専門のダニエル・リーバマン博士は同書の中で語っています。

この本が出るなりベアフットランニングが一躍ブームになり、ナイキも方向展開を余儀なくされ、そこで出たのがクッションを最小に抑え、曲がる力を最大に高めた裸足感覚シューズ「Nike Free」です。

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これは言うなれば「Air Max 360」から空気をシューッと抜いた版、エアマックスのアンチテーゼです。クッションの度合いは数字で表記し、裸足が0でクッション歴代最大の2000年版Air Maxが10です。製品化したのは一番裸足に近い3.0からクッション最大の7.0(Nike Free 7.0はもう発売停止)まで。上の写真はNike Free 5.0 V6です。

「現代も裸足で走っている世界中の人たちを調べてみたら、蹴りと着地のときの足の動きの幅が遥かに広く、もっとつま先を使うことがわかったんです」、「みんな足を曲げて伸ばし、横に広げながら地面を掴む。つまり足の回内運動は少なく、もっと圧力は均等に足にかかるんですね」と、ナイキのスポーツ研究ラボ上級研究員のJeff Pisciottaさんはマクドゥーガル記者に話していますよ。

Nike Freeは2005年に発売され、今ではナイキのランニングシューズのラインナップでは欠かせない一翼を担う存在です。上のプロモ動画でナイキのデザイナーが認めているように、靴底はエアなしのソリッド。

これからのランニング

10年前のベアフットランニング・ブームも一段落し、裸足で足を傷める人もいることがわかってきて、近年はクッション入りシューズに戻る人も増えています。

「なんだ、単にクッションあり→なし→あり→なしのブームを行ったり来たりしてるだけじゃん!」と思っちゃうかもしれませんけど、結局クッションの方がいいランナーもいれば、裸足がいいランナーもいる。一時的な流行に振り回されないで、自分の足と走り方に合うものをしっかり探すのが大事ってことですね。

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シューズをファッションアイテムとして買うナイキファンも無数にいます。そういうファンたちのためにナイキは、エアマックスの復刻版を出したり、初代エアマックスの技術を新デザインに採用したり、Freeのソールに採用したり、いろいろやってます。

ナイキが先取りするテクノロジーは、ファッション界の毛皮とかメタルのように、一定周期でやってくるトレンドに近いものを感じます。それは道理も理由もなく訪れては去ってゆく。ナイキのシューズに対する哲学はたえず変わっていますが、そこには科学が介在する余地はほとんどありません。だけどファンにとっては、そういうナンセンスなところも魅力の半分なのかもしれませんね。

Images via Nike

source: Nike, The Atlantic, The Guardian, Harvard Business Review, New York Times

Adam Clark Estes - Gizmodo US[原文

(satomi)