「魔法の世紀」落合陽一インタビュー:「社会の中にファンタジーを実装する」

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11月27日に発売された、メディアアーティスト落合陽一さんの著書「魔法の世紀」。

魔法って何のことだろう?と思った方も多いのではないでしょうか。「いまはちょうど映像から映像以外への転換点」であり、「映像の時代と、コンピュータの時代との対比で書いた本」だと語る、落合さん。

その気になる中身についてお話を伺いました。

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コンピュータとは何者か?

ギズモード(以下ギズ) 「魔法の世紀」の最初は、「コンピュータっていったい何者なのか?」という問いかけを紐解いていく章ですよね。

落合陽一さん(以下落合) 「ジミー・キンメル・ライブ!」に、バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティとドクがタイムトラベルしてきた回が、めちゃくちゃわかりやすいです。

ショーにタイムトラベルしたマーティとドクは、スマートフォンに初めて出会います。ドクは「小さなスーパーコンピュータだ…これがあれば天文学者たちは複素方程式を解くことだってできるぞ…」と感動に打ち震えるのですが、ホストのジミー・キンメルは、写真を撮ったり絵文字を送ったりできる携帯電話だよ〜と説明します。

落合 コンピュータが当初の予定の、弾道計算や暗号などの解析や専門のための計算装置のままで、「メディア装置」にならなければ、天文物理学とか複素方程式を解いてたわけです。そういう時代から(今のスマートフォンが)大きく逸れたのは、コンピュータがメディア装置になって映像と音を扱うものだっていうマルチメディアコンピュータの時代があった後、コミュニケーションデバイスになったからなんですよ。

ドクは、アイバン・サザランドより一回り年上の時代設定なので、高校や大学で物理をやっていたときにコンピュータはありません。そして研究を始めた後には、パンチカードでプログラミングして数式を解くのが主流だったはずです。それゆえ現代のコンピュータ観との差は大きい。この演出は、マルチメディア装置以前のコンピュータってなんだったんだろうっていうことを問いかけていて、それについて本の最初に書いてます。

コンピュータって電化製品か、ガジェットかって思われるけど、情報と知性という人間の本質的な思想の問題をはらんでいて、そのおもしろさがありますよね。コンピュータと人の組み合わせで起こる進化によって、人間の思考のプロセス自体が変えられているんです。

例えば、ザハ・ハディドやフランクゲーリーのような脱構築派の建築ってとんでもない形だけど、だいたいコンピュータで構造計算がされているから建つんですよ。子どもの妄想のような自由な形の建物が建つ時代になった。

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ザハ・ハディド設計の「Heydar Aliyev Center」 Photo by Elnur / Shutterstock.com

落合 「深層と表層」という表現でこの本にも書いてありますけど、コンピュータによって見た目の美しさと内部の構造が接続されているから、我々が自由にやっても(現実のものが)できてしまうんですよね。そこには人間の慣習として○○であるべき、ということより発想の自由さが勝っていく。

そうやって、思考や文化そのものにコンピュータは入ってきているけど、意外とコンピュータって何なのかわかってないから怖いって言う人もいる。人間はコンピューターに滅ぼされるってよく聞くけど、俺たちって藍藻類に滅ぼされたことあるか?っていう話ですよね。我々、陸上生物は藍藻類のおかげで地上に出られてるけど、そいつら全員が植物の犬かっていったらそうでもない。インターネットは藍藻類に近いと思うんです。藍藻はミトコンドリアが必要とする酸素を生み出していて、いわゆるスマートフォンにとっての電波みたいなイメージ。

ギズ そう考えると、コンピュータはもう目に見える箱やディスプレイの形の「モノ」としてではなく、人間が意識しないところで人間と密接に関係してるわけですね。

落合 「魔法の世紀」を出したときに、ほかのメディアアーティストの人に「『魔法』と言うことで、すべての説明を放棄するからよくない」って怒られたことがあった。だけど、説明が放棄されるのがコンピュータの時代の本質的な社会問題であって、その本質的影響をどうやって理解するかがすごく重要。まあ、僕が魔法とかいうと何かにつけて批判したい人はいるものです。賑やかしだと言いながらね(笑)

ギズ みんなスマホがどうやって動いてるか、知らないですもんね。

落合 全員がGithubのコードやPythonのコード読めるわけじゃないからね。その辺の人にどうやってGithubだけでものを説明するんだよって(笑)。専門化と脱専門化の二極化を見極めていかないといけない。

みんなが「魔法使い」になる世紀

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ギズ 落合さんはいま「魔法使い」と呼ばれてますが、魔法の世紀がやってきて、みんなが魔法の恩恵を受けて生きていく時代になったら、みんな魔法使いみたいなものじゃないですか。そのときご自身や、同じようにテクノロジーアートの求心にいる人たちってどういう存在になっていくのでしょうか。

落合 それは最近おもしろいと思ってる話です。「魔法使い」って名前は好きなんだけど、あと10年でみんなが魔法使いになると思うから、自分のキャラとしては計算機文化だと思っているんですよ。計算機カルチャーと、その向かう先にやたら詳しい人。魔法使い化に関しては、白魔法が使える人、光魔法が使える人、音魔法が使える人という感じで、物理で切るのかもっとカルチュアルなところで切るのかわからないけど、そういう細分化がどんどん進んでいくと思います。隣の人が何やってるか大枠には理解できるけど、それ以上はよくわからない。だから尊敬できるし、みんな違ってみんないい。

社会の中にファンタジーを実装しよう

落合 いまの時代、明らかに求められているのはファンタジーなんです。社会の中にファンタジーをどう実装するかということが、均一化の時代の中で、コミュニケーションを確保し、それでも人がアイデンティティを保っていくためにとても重要だと思っています。ファンタジーって何かというと、「リアリティがプログラミング可能な状態」と定義できます。

VR(仮想現実)やAR(拡張現実)の、AとかVは、コンピューターによってもたらされた情報という質量のないもの。現実という逃れられないものに情報を付け足したり、情報で作ったほうに入ったりすることによって、現実は変わらないけれど何かちょっとずつ変えようというのが基本思想です。それはモノでもいい、ヒトでもいい。能力でも環境でも、それが計算機とミックスされることでデジタルネイチャーであればいい。

触れるプラズマの光「Fairy Lights in Femtoseconds」 by 落合陽一

でも、質量のある側が変わるとしたらどうか。例えばみんながハロウィンのコスプレしたり、ほんとに速く走れるようになったりするのであれば、もうそれは、なんとかリアリティっていう問題ではないよね。これまで現実は逃れられないものだったから問われてきたけど、もう現実は主題にはならなくなるんだろうなと思います。小さな物語が混じり合ったファンタジーの時代なんだと思います。

だからこの本でもVR、ARの話はほとんどしてません。俺たちはもう現実にじゅうぶんコンピューテーションを入れていて、現実自体がわけわかんなくなってるからです。だからいま、現実感とかなんとか現実って呼んでる人のただのパラダイムなんですね。…こういう未来を考えるのにとても重要なことがたくさん書いてあるわけです。ということで、ぜひ読んでください(笑)

ギズ ありがとうございました!

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まだまだ聞き足りないこと、たくさんありますか?

そこで、「魔法の世紀」の出版を記念して、12月2日(水)22時から、ギズモード・ジャパン(@gizmodojapan)と落合陽一さん(@ochyai)の公開Twitter Q&Aを行ないます。

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質問は当日セッション中も受け付けますので、それまでに「魔法の世紀」も読んでくださいね。

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ギズモード・ジャパン✕落合陽一 「魔法の世紀」出版記念 公開Twitter Q&A

日時:12月2日(水)22:00〜23:00

概要:書籍「魔法の世紀」をテーマにテクノロジーやアート、インターネットについて、落合陽一さんにギズモード・ジャパンがTwitterタイムライン上でインタビューします。またフォロワーの皆さんからの質問にも落合さんが答えます。

参加方法:

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source: 「魔法の世紀」

(斎藤真琴、撮影/Yohei Kogami)