テクノロジー・エリートが頂点でそれ以外は底辺、という時代がきている

テクノロジー・エリートが頂点でそれ以外は底辺、という時代がきている 1

カート・ヴォネガットが予言した社会の分断。

テクノロジーは今、あらゆるもののコアになっています。コンピュータを使ったシステムがますます複雑化する中、私たちの生活のコントロールは、それらを作るエンジニアの手に委ねられつつあります。

1952年、20世紀を代表するアメリカ人作家のひとりであるカート・ヴォネガットが初の長編小説「プレイヤー・ピアノ」を発表しました。そこには、ほぼすべてのものが機械化され、人間の労働者が不要になった近未来社会が描かれています。この小説の中の機械はどんなハードウェアも作ってしまい、エンジニアの雇用や解雇も決め、チェスではもっとも賢い人間をも打ち負かそうとします。

ヴォネガットが虚構として描いたこうした情景が、今や現実になりつつあります。家だって3Dプリンターで建てられ、Uberではソフトウェアがどのドライバーを解雇するかを決め、GoogleのAIは碁のチャンピオンに勝利してしまいました。

ヴォネガットの描いた未来では、オートメーションが普及することで、社会がふたつに分断されています。つまり、社会を動かすエンジニアやマネージャーといった上層階級と、スキルが機械に置き換えられた下層階級です。川を挟んだ片側に住むテクノロジストたちは、飲み物や食べ物、クラブ、快適な家、安定した収入、そして権力を持って贅沢な暮らしを送っています。

たぶんわれわれが今いる世界も、同じ方向に向かっています現代のエリートは、巨大なお店やファンドや政治を動かす人たちというよりは、テクノロジーを前に進める人たちです。Appleのティム・クックCEOは中国やインドを訪問し、情報機器メーカーのボスというよりは国家指導者のような歓待を受けています。Facebookは、情報表示に意図的な操作があるといわれながらも、政治的主張を広めるための必須ツールとなっていて、マーク・ザッカーバーグCEOもほとんど政治家と肩を並べています。彼らテクノロジー・エリートたちは、億万長者や大物政治家とともに、われわれの知らないところで大統領候補の当選を阻止しようともしています(ドナルド・トランプがいいかどうかはさておき)。またそんなエリート生活で得られる富や権力は、法廷での戦いにも役立つようです。

一方、エリートでない人たちはそんなに恵まれていません。「プレイヤー・ピアノ」で、テクノロジーのせいで職場での存在価値を失った人たちは、みじめな生活を送っています。彼らは川の反対側で貧困にあえぎ、裕福なエリートに仕えるか、コミュニティーの中で発生するこまごました仕事をかき集めるようにしてなんとか生活しています。

こまごました仕事といえば、今すでにあるUberやTaskrabbitといったオンデマンド系サービスがそれを具現化しています。それらは、ユーザー側にとっては既存のタクシーや便利屋を置き換えるだけのものかもしれませんが、働く側から見れば求職の手段なのです。

たとえばUberは、乗客側にとってはタクシーに乗るための料金や待ち時間といったハードルを下げ、より多くの人にとって利用しやすくし、ドライバー側には柔軟に働ける自由を与えた、ようにみえます。でも今米国のあちこちで起きている裁判が示すように、Uberドライバーの生活は不安定で、最低賃金や労働時間制限といった権利が認められていません。彼らの多くは、安い単価で家族を支えるために昼も夜も働かざるをえなくなっています。Uberドライバーになるというのは、手に職のある人が自由を求めて独立する、みたいな話ではなく、低スキルの仕事以外に選択肢のない人が搾取されているのに近いんです。

こうした負の側面がこれからどう広がっていくのかはまだわかりませんが、UberやLyftの裁判以外のところでも、テクノロジーの社会的副作用が顕在化しつつあります。一番大きいのはサンフランシスコにおける住宅事情の急激な悪化で、多くの地元民はそれをテクノロジー業界の拡大によるものと考えています。たとえば2014年には、地元住人がGoogle社員の通勤用バスに対し反対運動を起こしました。もっと最近では、Airbnbが政治家に資金提供して自分たちに有利な法整備を働きかけていたことが発覚し、批判されています。サンフランシスコの一部の地域ではAirbnb物件が賃貸住宅の40%にも達し、家賃高騰に拍車をかけているんです。

残念ながら、テクノロジーはこれからますます社会を分断していきそうです。オックスフォード大学のCarl FreyさんとMichael Osborneさんは、オートメーションによって今ある仕事の47%が失われる予測しています。オートメーションが新たに作り出す仕事もあるかもしれませんが、Freyさんの別の論文では、新たな雇用が生まれるペースが失速していることを示しています。その論文によれば、アメリカでは1980年代、労働力の8.2%がテクノロジーの進化でできた新しい種類の仕事にシフトしていました。でもその割合が1990年には4.4%に、2000年代には0.5%にまで落ち込んでいるんです。テクノロジーの雇用創出効果は、既存の仕事が変化するスピードに追いついていないんです。

このペースでいけば、中程度のスキルでできる仕事、たとえば弁護士補佐とか経理、コーヒーのバリスタやジャーナリストだって、ロボットに置き換えられていきそうです。今現在その種の仕事をしている人は、運が良ければその職場のヒエラルキーで上位に上がり、幹部として上層階級の仲間入りできるかもしれません。でもそうじゃない人たちは、ロボットには(少なくとも当面は)できない種類の低スキルの仕事をするしかありません。でなければ、失業が待っています。

ではどうすればいいんでしょうか? 労働者を守る法整備とか、仕事の量や種類に関係なく一定の収入がもらえるベーシック・インカムの仕組みができれば、多少は庶民の役に立つかもしれません。でもそれらを導入したとしても、テクノロジー・エリートが世界を支配しつつあるという根本のところは変えられません

「プレイヤー・ピアノ」では、社会のシステムに幻滅したテクノロジストたちが反乱を起こし、川の反対側の人たちまでをも機械システムとの戦いへと導いていきます。その戦い、そしてその結末は、われわれの未来でもあるかもしれません。

image by Imanuel Pasaka

Jamie Condliffe - Gizmodo US[原文

(miho)