映画『ミュージアム』大友啓史監督にインタビュー。「マンガと映画は違う、お互いのオリジナルを尊重したい」

映画『ミュージアム』大友啓史監督にインタビュー。「マンガと映画は違う、お互いのオリジナルを尊重したい」 1

カエルのマスクをかぶった謎の男が「私刑」と称して連続殺人事件を起こしていく、巴亮介さんのマンガを原作とした映画『ミュージアム』。今回は本作を手がけた、大友啓史監督にインタビューして参りました。

NHKの職員から映画の映画監督へ転身し、実写映画版『るろうに剣心』を大ヒットさせた大友監督に『ミュージアム』の魅力、マンガを実写映画化するにあたって心がけていること、造形の制作の裏側やこだわり、レーティングについて感じていることなどを語っていただいています。

一部ネタバレがありますので、ご注意ください。

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――原作のマンガ『ミュージアム』を読んだ時にどのような印象を受けましたか? また、どのような点が魅力の作品だと感じましたか?

大友啓史(以下、大友):悪意の塊のような作品だと思いました(笑)。胸くそ悪いという印象でしたが、それが確かな作品の魅力にもなっている。と同時に、『セブン』や『ソウ』といった映画に近い世界観が展開されていて、原作者の巴亮介さんはきっとそういう類の映画が好きで、このマンガを描いたんじゃないか?という気がしましたね。

一方で、単にフィクションに影響されているだけではなく、その枠におさまらないような、リアルな世の中、今の日本の社会で起きている出来事とつながっているような不気味さを感じました。今の社会を生きている日本人にとって、どこか身につまされるというか、変な表現になりますが「手が届いてしまう恐怖」というか。

胸くそ悪い、後味が悪いだけではなくて、この作家は今の社会を生きている人で、観察力に富んでいて、それをベースにしたいろんな実感があって、こういうマンガを描いているんじゃないか、と感じました。

――原作のそういった魅力を意識して映像化していったのでしょうか?

大友:そうですね。裁判員制度の現実が描かれているのもそうですけど、特にカエル男(妻夫木聡)のスタンスにはシニカルな批評性があります。もちろん、カエル男が「私刑」と呼んで実行している犯罪は絶対許されない類のものですが、それを受け止める側がどこか断罪できない正論というものが、設定の中に多少なりとも用意されている。

35歳にもなって、母親のスネをかじって生きている引きこもりの男に対しては「母の痛みを知りましょうの刑」、自意識の塊のようなエリート女性裁判官には「ずっと美しくの刑」、好きな男ができた途端今まで可愛がっていた犬を殺処分してしまう女性には「ドッグフードの刑」ですから。

ある種、今の社会の中の人間のワガママやエゴといったものがカエル男のリサーチの中で詳らかにされていくので、その断罪の仕方が『必殺仕置人』みたいなところもあるんですよね。「私刑」、プライベートな処罰という表現に、その辺の意図がかなり反映されているように思いました。

――監督は複数のマンガ原作の映画を手がけていますが、マンガを実写映画化する際に気をつけていることはなんでしょうか? マンガのコマをそのままトレースするといったことは考えるのでしょうか?

大友:大友:コマのトレースといったことはまったく考えていませんし、トレースしようと思ったこともありません。二次元と生身でやるということは、まったく別物ですからね。

実写映画化するとなると、背景やシチュエーションが変わりますし、生身で演じている人間の生理も入ってきます。二次元のマンガの場合、いわば作者は神様ですよね。天気だって好きにコントロールできますし、人物の表情も決められます。一方で、実写の映画を作る場合、コントロールできないことがどうしても増えてきます。全行程において、驚くほどたくさんの人が関わり、完成するまで大きな額のバジェットも必要ですからね。

本で読んだんですが、昔、黒澤明監督がこだわったように「今日の天気の雲の形が気に入らない」と言って撮影中止、何日もコンディションを待つといったことは、今やできません。今の日本はそういったことが許されている制作条件ではないので、むしろ条件に合わせて作っていく能力が作り手には要求されます

たとえば、俳優も生身に落とし込んでいくと、マンガの沢村(主人公の沢村刑事)とそれを映画で演じる小栗旬くんとでは実際の年齢が違いますし、考えていることもマンガの沢村と生きた小栗くんでは違いますよね。沢村というキャラクターに投影すべきことで、実際に「現在(いま)」を生きている小栗くんが考えていることがいっぱいあるわけです。すべての役を演じる、すべての役者たちも同じです。

役者にかぎらず、撮影やカメラアングルなどもそうで、マンガは作者がコマ割りして、中のフレームもレンズも含めて、すべてひとりで決めていくのでしょうけど、映画は集団芸術なので、多くの人間の主体的な意思を経て決定されていきます。むろん決定の中心にあるのは監督の意志であることは間違いありませんが。

ただ、先ほども言ったように、原作の根本的な核さえ守って作れば、自ずとそれは伝わると思っています。あくまでも「マンガを実写映画化」しているわけですから、マンガをそのまま実写化しているわけではありません。そこに僕たちの考えや解釈が投影されていくのは当たり前のことです。マンガと映画は異なるメディアですからね、どっちが偉いも何もない、お互いの成り立ちに基づくオリジナリティを尊重したいということです。

――自分の好きなタイム感で読めるマンガと自分の好きなタイム感とはまったく関係なく進んでいく映画を観るのとでは、楽しむ側の意識もまったく異なると思うのですが、そういったところもマンガを実写映画化することの難しさなのでしょうか?

大友:そのとおりだと思います。マンガは好きなところでページをめくる手を止めたり、前のページに戻ったりできますけど、映画はDVDが出るまではそれができません。

劇場で映画を観るということは「体験」です。劇場ではひとりではありませんし、怖いシーンではキャーキャー言う人もいるでしょうから、それは間違いなく共有体験になります。暗闇の中で集中して大画面を見ますし、しかもテレビとは違って音は聞くものというより浴びるものになるので、映画館で映画を観るということは五感をフルに使う行為です。字幕を必要とする洋画は別として、基本的に邦画では、音楽はもちろんセリフやさまざまな環境音を音として認識しますよね。

一方でマンガは、基本的には聴覚に影響がなく、視覚だけで楽しむメディアです。セリフや効果音も文字で表現されるので、読者は視覚で音を認識していく。だからマンガは視覚だけで、しかも自分のペースで完結できる。作る過程で指揮棒を振っていた作者から、読み終わった後は読者が神様になって、自分でその世界のイメージを補完していく

「実写映画版はイメージと違う」とか、原作の熱狂的なファンからは時々お叱りを受けたりもしますが(笑)、結局のところ映画を創るということは、すべて肉体化、具体化、具現化していく作業になるので、多くの人の中で数あるイメージを、僕なりのイメージ一つに固定化せざるを得ない。原作ファンの想いを受け止めつつ、自分なりに一生懸命誠実に取り組んで、後は僕の創り上げるイメージと、読者が想定していたイメージがあまりズレがないことを祈るしかないんですよね。

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小栗旬さんが演じる主人公の刑事・沢村

――カエル男のコスチュームの造形が不気味で、非常に印象的だったのですが、どのようなこだわりを持って作ったのでしょうか?

大友:殺人者がなんらかのお面をかぶっている、パーティーグッズのようなお面をかぶっているというのは多くの映画でありますけど、そういうお面を見ても、その作品のために作られたわけではないことが多いので、「カエルのお面のパーティーグッズである」ということ以外に意図が感じられなくて「だからなに?」って思ってしまうんですよね。

ですから、この『ミュージアム』という個別の作品の中で、「霧島(カエル男の正体)という人間がかぶっているのはカエルの面である」という必然性を、まずは探さざるを得ない。原作がそうだから、という理由だけではなく、ですね。試行錯誤の結果、霧島という人間が作ったとしたらどうなるんだろう?と、それを手掛かりに考えました。アーティストを自称しているような男ですし、あれだけ死体の造形とかに知恵と手を加えていたり、沢村の妻子のダミー人形を作っていたりするので、造形の専門的な能力が実はあるんじゃないか?と思ったんです。そうでないとマンガに登場しているような物はなかなか作れないという気がしたので、明確にキャラクターづけしていきました。

例えば霧島が特殊メイクアップアーティストとか、そういう世界を目指していたとしたらどうだろうか、と。もしかすると天才的な能力、プロの技量がある。一方で、ハリウッド映画の世界で活躍できるような実力があったとしても、陽射しを浴びることは出来ないからロサンゼルスでは働けない、スクリーミング・マッド・ジョージさんのようにその才能を認めてはもらえない、とか。そういったコンプレックスもキャラクター造形に取り込めるんではないか、と。

その上で、マスクに彼の個性や主張が出てくると面白いかなと思いました。霧島なら、どんなカエルの面にするかも徹底的にこだわるよね、と。まずは演出部やキャラクターデザインチームに、カエルについていろいろと調べてもらいました。

古代エジプトの壁画などを見ると、よくカエルが描かれていて、カエルは卵をたくさん産むことから命の象徴だったり、命の神様だったりするんですね。カエルが連続殺人を犯す、つまり生の象徴が逆に命を奪っていくというのは、アーティストが考えそうなことだよね、などなどさまざまな情報をベースに考えましたね。

世界中のカエルを調べるとオレンジのものなどもいますけど、そこまでいくとやりすぎだと感じたので、まずは日本に普通にいるアマガエルをモデルにしています。マンガのデザインだと口は横一線なんですが、ちょっと笑っているように見えるとユーモアが感じられて逆に不気味だよねと口角を上げたり。原作のように横に目が出ているタイプも試したんですが、雨合羽のフードをかぶったときにシルエットが決まらないので、霧島の美意識を考えてもう少しスリムにしたり。アゴのところもカエルがゲロゲロ鳴いたときの動きのイメージに合わせてふくらませたり、雨に濡れたときにヌメり感が出るようにしたり、人を小馬鹿にしているように見えて面白いから目が動くようにしたり、かなり細かいデザインになりましたね。

人って何かしらでストレスは解消できるはずなんですけど、「陽射しを浴びられない」という霧島の体質は、実はかなりのストレスにつながっていると思うんです。我々は休日になると、南の島に行ってボーっと何をするでもなく陽射しを一日浴びていたいと、そう思ったりしますよね。実はそれでほとんどのストレスが解放されたりもする。でも霧島の場合、どんなに時間やお金があろうとも、南の島の陽射しの下でボーっと過ごすことなんてできない。普通の人と同じようなストレスを解放する手立てがない。だから、鬱屈していく、エネルギーがどこかへ偏っていく。そういうエネルギーの偏り、「なんでこんなことに手間をかけて、そんな危険を冒すの?」という偏執がどこかに見えるといいなと考えながら、マスクもキャラクターも作りあげていったんですね。

彼は陽光の下に出られない時点でもう人生を棒に振ってると思っている。だから犯罪のようなリスクも冒せるんですよね。そうやって溜めこんだ鬱屈を晴らしている。そもそも偏った人間が一般的な人たちの楽しみや幸福を捨てて、より偏執的に「自らの作品作り」に集中しているみたいな背景が、マスクを含め、霧島のいろんな部分からにじみ出ると面白いかなと。

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撮影でも使用されたカエル男のマスク

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目や血管など、細部にまでこだわりが

――カエルの男のマスクと同様、非常に凝っていた死体の造形を作る上で、またそれを撮影する上で苦労したことはなんでしょうか?

大友:基本的に造形は、やると決めてしまえばそんなに苦労はありません。「やる」というのは、制約や結果を恐れず、まずはリアルに作るか作らないか。その後に出てくるのは「映す」か「映さない」かだけです。それこそカメラのフレーム、カット割りで決まっていきますけど、自分の撮り方の場合「とにかく現場に本物を用意しましょう」なので迷いは一切ありませんでした。

まずは被害者たちはどういう風に殺されたのか、死んだときのポーズを決め、被害者役ひとりひとりの全身の型をとっていきます。完成形としては、匂い立つようなものを目指しました。実際撮影現場でそれを見た俳優たちは、昼食も喉を通らなくなってましたから、まさに狙い通りです(笑)。もしかしたら沢村の奥さんと子どももそういう状況に陥ってしまっているかもしれない……それが主人公の恐怖感であり、妻と子どもを助けなければいけないという行動原理につながっていきます。沢村と心情を共有してもらうためには、お客さんにも刑事たちと同じ状況を体感してもらう必要があります

と同時に、どの被害者もだまって殺されているわけではないはずで、それぞれもがいたり、逃げようとしたりしているので、動きを感じるような、動きが残っているような新鮮な死体を作ってくださいと造形チームにはしつこく伝えましたね。後はハエをVFXで足したりしています。ウジとかハエとかの数によって伝わり方は全然違いますから。

恐らくハエがたかっていないと、造形物だということがなんとなくわかってしまう。ところが、VFX処理が進んでハエの数が増えてくると、作り物という意識が抜けてきて、「ちょっとやばいねアレ……」って変わってくると。不思議なもので、ハエが何匹いるかだけで臭いの伝わり方も違ってきます

単純に造形物だけではなくて、それを見ている登場人物たち――まだ新人刑事である西野刑事(野村周平)が吐いていたりとか、そこでお客さんは体験を共有していくと思うんです。裁判員として選ばれた素人の彼ら彼女らも、参考資料として事件現場の写真を見せられて、事件の全容を判断していくことになる。

カエル男の殺人が進むに連れて、沢村の奥さんもまた同じよう目に遭っているんじゃないか?という疑念、具体が、劇中の沢村と一緒にお客さんの脳裏にも残っていきます。そういうことが僕は、この映画にとって大切だという気がしたんですね。

人間は傷つけば血が流れるし、腹の中を見れば他の動物たちと同じであるといった当たり前のことを、非日常的な暗闇の中で体験する。そして暗闇を出た瞬間に平穏な生活を実感できる、そういう映画になるといいかなと。そんなことを考えながら、編集段階でギリギリのところを探っています

――死体の造形をかなりはっきりと映していることに驚いたのですが、レーティングとの戦いはあったのでしょうか?

大友:当初は当然、少しでも多くの人に見てもらうコンディションを作るためには年齢の指定がつかないほうがいいと、プロデューサーも含めてみんな考えるわけです。脚本もそう考えて作っていました。でも、原作を読むと、どう作っても少なくともR-15だろうと予想していたんですね。プロダクションの間も、一切そういう方向では手抜きをしてませんから。

でも編集したものを映倫へ見せたら、結果的に「G」(すべての年齢が鑑賞できる)だったんです。「えっ、どういうこと!?」と思いました(笑)。レーティングを見て「大友が日和りやがった」と言う原作ファンはいっぱいいると思いますけど、全然そうではないんですよ(笑)。

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妻夫木聡さんが演じる(!)、カエル男(の中の人)

――ホラー映画は現実の恐怖のシミュレーションの役割を果たしたり、人間の内なる暴力性を発散してくれたりする、つまりは世界平和のために作られているといった考えから、子どもに見せるかどうかの判断や見せたあとの説明は親の教育に任せるべきという意味も込めて、「極端に言うとレーティングは必要ない」と考えている人もいますが、監督はどう思いますか?

大友:それについては一言では答えられませんね。もっとも作り手の意識としては、ターゲットとそれに見合った表現を考えると、当然レーティングに対して一考せざるを得ません

たとえばこの作品の場合、終盤に絶望的な状況の中でお父さんとお母さんが究極の選択を問われるシーンがあるんですけど、子役のオーディションをやった時にそのシーンを実際にやってみたんですね。そうしたら、会議室で仮の役者を呼んで、そのシーンのシチュエーションを作るだけで、ほとんどの子が怖くて泣いてしまった。子どもたちは感受性が強いから、セットを作ってこの状況をリアルに再現したら、演じている子どもが本当におかしくなってしまうんじゃないかという恐怖すらあって。

いつもであれば俳優をどんどんリアルに、本編と似たような状況に追い込んでいくんですけど、本作に関しては、健全な精神と肉体をちゃんと持ってしっかり一線を引ける人じゃないと、逆に思いっきり演じるのは難しいかなと。小栗くん、妻夫木くん、尾野真千子さんの3人が少しでもコンディションが悪くて、ああいう状況やセットのシーンで、ふっと魔がさすように入り込んで撮影した瞬間に下手すると本当にどうかしてしまう可能性があるんじゃないかと。だから「カット」と言った瞬間にしっかり現実に戻るというかね、ふっと笑顔をこぼせるくらいのタフな俳優をキャスティングしたいとは思っていました。まあ舞台に近いですかね。眼の前にいるお客さんに魅せる表現として、しっかり意識していくというか。そういう関わり方がそもそも問われた作品ですね。

『ミュージアム』みたいな映画が上映される世の中というのはやっぱり平和でなければいけないし、見終わったあとに「いやあ、怖かったねー」とか「やばかったね、この映画!」とか「日常では体験できないハラハラ・ドキドキを体験できたよね」とか思いつつも、こういうことが現実に起きたら本当に危ないということをお客さんは冷静に理解していくわけですよね。だから、嘘と真の線引きができる理性というのは必要だと思います。そういうことから考えると、我が子にその理性が育っているかどうか、親の判断なりPG-12は必要ですし、世の親御さんたちによろしく頼みますというしかない。

線引きがまったくない世の中になってしまうと、逆に面白くないですよね。矛盾したことを言っちゃうようだけど、ダメと言われると、子どもって余計見たくなるじゃないですか? そういうまだ見てはいけないとされているものを、どこかでこっそり見ようとするというところから、何か大事なものが始まっているような気がするので(笑)。

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大友啓史監督とカエル男(のマスク)

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映画『ミュージアム』は11月12日(土)全国ロードショー。

© 巴亮介/講談社 © 2016映画「ミュージアム」製作委員会

source: 映画『ミュージアム』オフィシャルサイト, YouTube1, 2, 3

スタナー松井