人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンに捧ぐ(動画)

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    人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンに捧ぐ(動画)

    地球を発つ瞬間、脈拍は157まで跳ね上がったという記録が残っています。

    1961年4月12日、ユーリー・アレクセーエヴィチ・ガガーリンは人類初の有人飛行船ボストーク1号に乗り込み、発射準備態勢が整うまでの間、静かにカウントダウンを待ちました。そして数時間後、あの歴史的な言葉を残します。

    地球は青かった。なんと美しい。

    それは、旧ソ連クルシノの集団農家に生まれ、人類初の宇宙飛行士となって地球周回軌道を飛んだガガーリンが故郷の眺めに圧倒され、息をのみ、心の底からの感慨を語った言葉として世界に感動を呼び起こしました。

    地球の上空300kmを飛行中にガガーリンが伝えた細かい描写を、一言に集約したものです。その後たくさんの人が宇宙に飛び立ちましたが、みんなこの小さな惑星の美しさに打たれ、ガガーリンと全く同じ感銘を味わっています。星に到達して初めて人類は、ここが宇宙に二つとない、かけがえのない惑星だという認識を得たのです。

    これは当時としてはまさに快挙でした。米国は旧ソのニュースに大きな衝撃を受け、NASAもこりゃウカウカしてられない、早急に誰か宇宙に送り込まなくっちゃ、と追随を始めます。

    でも米国初の宇宙飛行士アラン・シェパードが宇宙に飛び立ったのは同年5月5日です(←訂正!)。それも弾道飛行でした。地球周回軌道はさらに1年遅い1962年2月20日、フレンドシップ7(マーキュリー6号)で4時間55分23秒飛んだジョン・グレンが米国では最初です。

    が、気の毒なことにガガーリンは二度と宇宙には飛ばせてもらえませんでした。共産党政権の貴重な広告塔が、うっかり命を落としでもしたら国家の一大事です。旧ソ宇宙開発の拠点「星の街」に戻って再利用可能な宇宙船の設計担当を任されたガガーリンですが、彼自身それに乗ることはなかったのです。

    1967年ウラジーミル・コマロフ(Vladimir Komarov)がソユーズ初飛行で墜落死してからは警戒が一層強まり、コマロフの補欠要員だったガガーリンは、宇宙船の訓練飛行さえ禁止となりました。

    ところがなんという運命のいたずら。1968年3月27日、ガガーリンはミグ15戦闘機で通常の飛行訓練中に突然、墜落死してしまったのです。享年34。それは旧ソ連のみならず世界が誇る真の英雄の早過ぎる死でした。

    ―Godspeed、ユーリー・アレクセーエヴィチ、Godspeed(道中幸あれ)。


    Jesus Diaz(原文/訳:satomi)

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    関連:Wikipedia,スペースサイト

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