超駄作!実写版映画『エアベンダー』がアメリカで評判最悪です

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  • author satomi
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超駄作!実写版映画『エアベンダー』がアメリカで評判最悪です

1日オープニングナイトに行った読者によると、コスプレで詰めかけた大勢のファンからブーイングが起きたそうですよ。珍しいこともあるもんですね...。

一休さんに矢印つけたみたいな超能力少年アン(Aang)が主人公の米TV人気アニメ 『Avatar: The Last Airbender(アバター 伝説の少年アン)』 の実写版『エアベンダー』がアメリカで「史上最悪の映画」と酷評の嵐! M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan)監督の評価は地の底まで急降下中です。

NYポストの評価は「星ゼロ個」

CNN-IBNの評価は「5段階評価の0.5」。

クリスチャン・サイエンス・モニターの評価は「D」で、「エフェクトは重く、意味は軽い」。

...とまあ、近年稀に見る不評で、この映画についてならもう何を言っても許されるようなムードですが、何がそんなにダメなの? ファンは何に怒ってるのか? 7月17日の日本公開より一足先に本家のシビアな反応を見て参りましょう。

アニメ作品紹介

原作アニメの方は、2005年にMike DiMartino氏とBryan Konietzko氏が制作しました。アメリカではポケモンと遊戯王のブームが一段落した後で、あの元素+技ワールド(+永井豪?)の影響が色濃く感じられるストーリーです。絵やギャグも日本アニメ風で、そこに中国拳法とアメリカ版アニメの要素をバランス良く融合しています。舞台設定は「古代中国っぽい、アジアの架空の国」(Nickelodeon)。

(あらすじ)その昔、水、土、火、気の4つの国で成り立っていた。各国には水、土、火、気のそれぞれの技をあやつる能力を持つベンダー(使い手)が存在し、彼らベンダーの中で、4つの技をすべて使いこなせる唯一の者が『アバター』と呼ばれていた。アバターによって世界の秩序を保たれ、人々は平和に暮らしていた。しかし、火の王国が他の国を攻撃してからは、世界の秩序は崩れてしまった。アバターだけが世界平和を取り戻すことができるのだが、アバターの後継人はたった 12歳の少年アンだった。しかも、彼はまだ「気」の技しかマスターしていないのであった...。(アニメ版『アバター 伝説の少年アン』日本語公式ページより/キャラクター相関図

映画タイトル

『Avatar』というタイトルはアメリカではこのTVアニメのタイトルとして2005年2月の初回放映から先に定着してたんですが、映画のタイトルは『The Last Airbender(エアベンダー)』で、『Avatar』抜き。ジェームズ・キャメロン監督に去年鮮やかに先を越されてしまったので、こんな頭もげたタイトルに差し替えとなったのです。

因みに映画の特殊効果はキャメロン監督の『Avatar』と同じルーカスのILMが、『エアベンダー』も担当しており、エフェクトは最高という評判ですが、3Dは「なんのディメンションもない」と酷評です。

監督・脚本は『シックス・センス』や『サイン』も手がけたインド系アメリカ人の鬼才M・ナイト。アジア系では今一番成功してる監督のひとりですね。アジア系なんだから、アジアがモチーフの本作品にはぴったんこ...と思われたのですが、いざ2008年にキャスティングが発表になってみたら...

アジア人キャラが全員白人

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...だったのです、はい。矢印一休のアン役はノア・リンガー(Noah Ringer)、サカ役はジャクソン・ラスボーン(Jackson Rathbone)、水の国の少女カタラ役はニコラ・ペルツ(Nicola Peltz)...主役クラスは全員白人! アン役の募集告知にも「白人もしくはその他の人種」とあったことが判明

そしてなんと悪者の火の国の王子ズーコ役は『スラムドッグ$ミリオネア』のデヴ・パテルで、インド人! 厄介者の火の国はみんな肌の浅黒いインド人! ガンジーの国の人たちなんですよ。

このあまりの白人偏重っぷりにファンからは「ベンダーどころかracebending(人種ベンディング、人種曲げ)ではないか!」と猛反発が起こり、人種によらない機会均等を求めるサイト「racebending.com」が誕生。そこからファンがパラマウントにキャスティングの見直しを求める抗議文200通以上を送る騒ぎとなりました。封切り後もこの論争は監督と抗議団体の間で延々と続いてます。

まあ、『ラスト・サムライ』なんかもロケはニュージーランドで後ろにシダ類がバオバオ茂ってたり、そういうのは映画ではよくある話だけども、本作品の場合、「アニメは白人が作ったのに主人公が全員アジア人で、映画はアジア人が作ったのに主人公が全員白人」という部分で悪目立ちしてる嫌いはあるかもしれませんね...。

racebending.com広報のマイケル・リーさんがUGOのインタビューでアニメ版作者2人と話した経験を語ってますけど、あちらの2人は『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』のような西欧文化一辺倒の作品とは違うものをつくろうと、文化考証の人も雇い、毛筆も中国の本物を使って、アジアの素材に対する愛とリスペクトを見せたから、それに視聴者も反応した、ありとあらゆる人種のアメリカ人が反応した、と言うんですね。

それが映画ではこんな風になっちゃった...。

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カットしてならない場面ばかりカットした

公開前に荒れたのはキャラ設定で、公開後ファンが一番ぶーぶー言ってるのは脚本です。「M・ナイトは原作の意図が全くわかっちゃいないよ」なんて言われてます。

つまりキャラクター設定や物語の鍵を握る部分がことごとくカットされてるので、特殊効果が派手な割にはエモーションのない、どのキャラにも全くもって感情移入できない駄作に成り下がってしまった、と。

全3シーズンのうち今回映画化されたのはシリーズ1(Book 1)だけですが、それでも放映回数20回以上のストーリーを2時間の映画にまとめるんですから、カットしなきゃらならないのは分かるんです。でも、「もしかしてカットしなかったらここまで酷評にはならなかったんじゃ...」という惜しい場面があり過ぎますよ。主なものを見てみましょう。

「初日興収1635万ドル(約14億円)を記録するなど全米ヒット中」と紹介されているが、米国内興収は初週7900万ドル(約70億円)で第3位、1日500万ドルのラインを割った。制作費は1億5000万ドル(約133億円)。

戦争

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脚本を書き上げた時、M.ナイト・シャマラン監督はアニメ配給元Nickelodeonと映画配給元パラマウントに、「これは新しいスターウォーズになる」と言ったそうです。こないだの来日公開記念イベントの席でも、「7歳の時にスターウォーズを観て映画監督を目指すようになった。スターウォーズっぽい部分を感じていただけたら嬉しい」と語ってます。

ずっとやりたかったんでしょう。映画の始まりでスターウォーズそっくりにサカ&カタラ登場までのあらすじを全部スクロールで流してしまってるんです! 「遠い昔、遥か彼方の銀河で...」じゃないけど!

「原作アニメも大体そうじゃない?」と言う人もいるかもしれないけど、あちらはほんの数秒ですが火の国の戦闘シーンが流れるんですよ。統制の取れた整然とした火の国のイメージ。あれでアニメの「悪役」のトーンが定まり、その直後に流れる伝説のアバターRokuが全エレメントを操るシーンで聴衆は一瞬にして、「ああ、これがアバターか」と、物語の骨子をまぶたに焼き付けます。

それが映画では意味不明な解説調がずらずら流れるだけ。

始まりのところでRokuの姿さえ見せておけば、長々と続く説明や像のクローズアップ、Fang the Dragonの精神世界にもっと重みが増しただろうに...。アバターがなんでそんなに重要なのか、アンがいなくなって何故みんなこの世の終わりみたいに嘆き悲しんでるのかも理解できただろうに...。

外した理由は分かりません。たぶん...見せるだけで語りがないから? 『エアベンダー』は何かっていうと「見せるより語りたがる」映画で、そこが一番アニメファンには納得いかないところみたい。ネットでも、「語るより見せろ」という声がとても多いのです。

アニメが5秒で説明できるものを、実写のアクション映画では最後の最後(実戦シーン)までついぞ観客に理解してもらえないというのも悲しいものがありますよね。

戦争の爪痕

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戦争自体もそうなら、それが登場人物に与える影響も、映画版では最初から軽くあしらわれています。

サカは南の水の国の最後の生き残りで、アニメではそれがいつも悩みの種。特に10代にも満たないガキんちょ束ねて軍作るんで苦労が絶えないのですが、火の国が攻め入ってくると、この子どもを駆り出して国を守るんです。それ以外に選択肢がないから。

「バカな漫画のおちゃらけ」、「しょうもないジョーク」として、あんま深く考えずにカットされちゃったのかもしれないけど、これって実はものすごく悲しい話なんですね。どうして子どもだけ残ったのか? どうしてそれほどまでに元の世界のバランスを取り戻すことが重要なのか? そこんとこ飛ばすと、よくわかりません。

映画では、サカ&カタラ兄妹はずっと前に亡くした両親のことを悲しそうに語りはするけど、一度も自分で国を守ろうとはしないし、火の国がアンを探して村に来た時なんかも待機はするんだけど負けてしまいます。この辺から南の国のベビーの旅団といったディテールの欠如がだんだん痛感され始めていき、映画は登場人物が意識的に行う選択の積み重ねでストーリーが紡がれるというより、もう結論は決まっててプロットは付け足しみたいな感じになっちゃってるんです。

味のある脇役~JetとDeserter

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2時間の枠にJetという脇役を押し込めるのが難しいのは分かりますが、「王の味方も敵も火の国の人間は一人残らず皆殺しにする!」という彼の執念がないと戦時の空気は出せません。

一方のDeserterは、火の国の下でも全員が全員悪い人じゃないことを教えてくれます。 M.ナイト監督はJetに関しては特に何も言ってませんでしたが、Deserter的な脇役をカットした理由は3月のプライベートな座談会でこう話してくれました。

Deserterは私も好きなキャラだし、大きな場面なので、第3作に動かしたよ。

笑い

映画で笑えるのは2回で、どっちもサカと水のジョークです。アニメ版のアンはシーズン1全体を通して「なんでよりによって俺が...」という弱キャラで救世主意識ゼロ、すぐペンギンと遊ぶお笑いキャラなのに、映画では最初からえらい真面目です。その理由を監督は先の座談会でこう語ってます。

戦時中だからね。楽しい時代じゃない。ユーモアもいいけど、状況に合ったユーモアじゃないと。

ヒロインSuki、Kyoshi(虚子)の戦士

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それにしてもKyoshiの戦士が完全にカットされたのは驚きましたね。明らかに撮影はしてた(トップの写真参照)し、一般にもストーリーの一部として宣伝されてたので尚更ビックリです。反乱開始にはまず軍隊を結成しないといけないし、火の国との戦いではどちらも重要な役割りを果たす戦士なのに。

Sukiがいればこそ、サカも生き生きと生彩を帯びるのに、それもなし。Sukiはサカの初恋相手のヒロインですよ? ったく! 彼らは生身の人、人間なんです。自分が武器として使うもので自らを幽閉してしまう、顔のないアースベンダーというだけじゃなくて。それもカットされてるので、なんかアースベンダーは無能な犠牲者というチグハグな描かれ方しなきゃならなかった。アニメではアースベンダーは金属のボートに幽閉されるんです。だってアースベンダーだから。土を操ることができる。それを地上の牢に閉じ込めちゃうんだもん、狂ってますよ。まあ、横道だけども。

試写会で監督に消した理由を尋ねたら、答えはこうでした。

Sukiのようなキャラも最後の最後でカットしなきゃならなくなって、あれは自分にとっても全く遺憾だった。

(撮影した分の彼女の映像はまだ残ってるのか? 残ってるならDVDのディレクターカットなんかに入るのか? と質問)

ああ、全部持ってるよ。いや、これは自分の手元に置くディレクターズカットだね。映画からカットしたものでも悪くないこともある。あまりにも良過ぎて、見る人の気が散るようなものだ。だからさ、映画の中盤の始めでこういうキャラを出すとするよね、Kyoshiの戦士たち。で、中盤ずっと流して、映画から消してしまうと、観客はどう思う。"おいおいおいおい、もっと見たいのに、どこ行くの? 第3幕でなんとか連れ戻してよ"ってなっちゃうだろう。そういう話じゃないんだよ、このストーリーは。彼らは北の水の国となんの関係もなくて、次の映画には関係大ありなんだ。だから最後の最後に映画第2作で登場してもらって、地の国の一部に組み入れることに決めたんだ。

サカからYue姫への求愛

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サカ(Sokka)の恋とくれば、途中すっ飛ばしてPrincess Yue問題でしょう。アニメではPrincess Yueとサカの求愛に3回分割いて、徐々に絆を深めていきます。儚い恋だし、アニメでも短く終わっちゃうんだけどね。映画ではいきなりふたりはラブラブと紹介されて、ジ・エンド。彼女との悲しい別れも、なんかカメラタイムがあまりに少なくて全然雰囲気出ないんですよね。

アニメのサカは根が馬鹿キャラなので、氷の橋で姫に一目会おうと戦い、もう政略結婚約束した後だと気づいても尚、戦闘訓練中ずっと思い続けるわけです。その間、Yueの裏事情と国の民を思う深い献身が描かれていく。だから自分の命を捧げる場面も取って付けたみたいなお涙頂戴じゃなく、当然の帰結と思えるんですね。

なんでそれを省いたのか? 座談会でM. Night監督、試写会で俳優Jackson Rathboneに理由を聞いてみたら、監督からの答えはこうでした。

シーズン1の最後2回放映分は、それだけでワンシーズンというぐらいの密度がある。全部ここに入れ込んでるんだよね。あれ観た時には男の子たち(アニメ原作者のMichael Dante DiMartinoとBryan Konietzko)に、この2回は死ぬなあ、殺す気かい、と言った記憶がある。裏話も伏線も全部ごった煮。映画の第3幕だって、もう手いっぱい詰めてる。観客が消化できるギリギリまでね。裏話にもきちんと光を当てるとなると、第3幕で映画の半分いっちゃうよ。

俳優のRathboneには、撮影後カットされたエキストラのシーンで、「あれを外していなければキャラ同士の関係が生き生きとしたかも」と思うものがあるかどうか、訊いてみました。

シリーズを見ても、いきなり関係が発展してる部分はある。だから言葉で語らなくても演技で見せられるよう精一杯努力はしたよ。人生には一目惚れってあるよね。目を見るだけで自分が見えるような。このふたりは本当に若く、戦時の真っ只中で、それぞれ人生にドラマを抱えている。彼女にも使命があるし、彼も南の水の国を担う立場。ふたりとも重責を抱えている。恋におちるのはあっという間だ。歩いて語ってAppa Yip Yipベビーに行く。でも、結局はこれは恋愛じゃなく戦いのストーリーだからね。恋愛関係も戦争から生まれている。

それはその通りだと思うけど、このふたりの関係はホント、もっとカメラの時間割いて発展させて欲しかったなあ。

7. AppaとMomoの人格

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一番悲しいカットは、AppaとMomoのパーソナリティーが消えてしまってること。 あのカワイイ風貌と心のお陰で、このシリーズも温かくなってるのに。「Yip Yip」が聞こえたのは映画でたった1回ぽっきり。 Momoが北の水の国で、月と海の魚の霊と戯れる場面で初めて、「ああ、そういえばいたっけ」と思い出した次第。名前で呼ばれるのも、あれが最初じゃないかな。

確かにどっちもシーズン1ではそんな重要じゃないけども、この世に実在しない生き物がいるから、誰も見たことのないマジカルな幻想の国のムードが出せるんだと。

僕が座ってた劇場の観客席の方がまだそういう生き物沢山いましたよ(コスプレ軍団)。映画で南のカモノハシ熊、ヒゲ・ペンギンをカットするんなら、ファンのために、ちょっとぐらい干し草食べたり、クシャミするAppa出してくれって思います。

(監督は第2作制作に意欲満々。日本はアニメ見てる人少ないからアメリカほど抵抗感ないかもね)

映画『エアベンダー』日本語公式ページ

(ギズ系列ブログi9.comからの再掲です)

Meredith Woerner(原文1原文2/satomi)