韓国でも、そんな妨害電波の被害を受けたとか...。
それはある日、カリフォルニア州サンディエゴで正午を過ぎた頃でした。空港の管制官が空港に入ってくる飛行機をモニターで確認しようとしたところ、システムが機能していないことに気づきました。同じ頃、海軍医療センターでは、医師を緊急に呼び出す際のポケベルが機能を停止しました。港のトラフィック管理システムも、使用不能になりました。街では携帯電話を使おうとした人が電波がつながらないことに気づき、銀行ではATMから現金を引き出せなくなりました。この混乱は、2時間続きました。
この謎の出来事は2007年1月に起こり、原因解明には3日を要しました。そしてその原因は、サンディエゴ港で海軍が行っていた訓練でした。海軍では、通信不能になったときの対応手順をテストしようと無線信号を妨害していたのです。その際、うっかり市街の一部地域に送られるGPS衛星からの無線信号もブロックしてしまったのでした。
ではなぜ、GPSからの信号がブロックされると、そんな混乱が起こるのでしょう?
実はGPS衛星は、いまやカーナビに位置情報を送っているだけの存在ではないのです。GPSは見えざるユーティリティになっていて、我々が意識しないうちに大きく依存しているのです。携帯電話会社ではGPSの時刻情報を携帯電話とそのタワーの連携のために使っています。また電力会社ではGPSを複数の電気グリッドを同期させるために使っています。銀行や証券取引所では、不正防止のためのタイムスタンプとして使っています。社会のGPS依存度は年々高まっているのです。
一部からは、脆弱な技術に依存し過ぎではないかと懸念の声があがっています。サンディエゴで起こったような事態を引き起こすには、海軍の訓練のような特殊なことをする必要はありません。GPS妨害機があれば事足りてしまうのです。
GPS妨害機は、車のダッシュボードにも取り付けられるような大きさのプラスチック製デバイスです。これはインターネットで購入でき、たとえば上司に居場所を監視されたくないトラック運転手などが使っています。この機械のせいで、すでに空港でも問題が起きており、いくつかの都市では携帯電話の電波もブロックされています。妨害機ひとつで数km範囲のGPSを妨害できます。そのため、世界中の研究者がGPS妨害の被害を防ぐため知恵を絞っています。
・「弱い信号」がまさに弱点GPSは、衛星からの無線信号で動きます。それを発信しているのはアメリカの軍事用衛星群、NavStarネットワークです。少なくとも24の衛星がつねに稼働していて、地球上どこからでも最低4つが見えるようになっています。
各衛星はつねにその位置と、搭載された原子時計で計測した時刻を発信しています。GPS受信機はそれを自分の時計と比較し、各衛星からの距離を計算します。GPS受信機が最低4つの衛星にロックオンして時刻差異を計算すると、正確な場所がわかるという仕組みです。現在、多くの受信機はGPSを安価に正確な時刻を教えてくれる仕組みとして使っています。
「問題はGPS信号が非常に弱いことです。2万km先の車のヘッドライトみたいなものなんです」と言うのは、イギリスのRoyal Institute of Navigationの元プレジデントでコンサルタントのデビッド・ラスト氏です。でも、衛星へのエネルギー供給が限られているため、信号をこれ以上強くすることは難しいです。
ラスト氏は、GPS信号をブロックすることがいかに簡単か、それが現在のテクノロジーにどれだけ影響しうるかを自ら体験しています。2010年、彼は北海で500トンの船舶THVガラテア号に乗り込み、ある実験を行いました。ガラテア号は艦隊の誇りであり、最新のナビゲーション設備を持っていました。ラスト氏は、ガラテア号がGPSなしで何ができるかを見極めるため、シンプルな妨害機からGPS衛星と同じ周波数でノイズを発信しました。
ラスト氏が妨害機を作動させるやいなや、船は異常を来しました。ナビゲーションシステムのディスプレイを見ると、ガラテア号は突然マッハのスピードで北ヨーロッパとアイルランド上空を飛んでいるかのように表示されていました。アラームが鳴り響き、船のナビゲーションバックアップであるジャイロコンパスはクラッシュしました。ジャイロコンパスがGPSを修正用に使っていたためです。レーダーも同様でした。船の衛星との通信すら途絶えました。アンテナを正しい方向に向けるためにもGPSを使っていたためです。「クルーはきちんと訓練されて説明も受けていたので、何が起こったかはちゃんと理解できました。」とラスト氏は語ります。「でも、我々と同様、彼らも驚いていました。」
・運転手の裏技が思わぬ事故にラスト氏が試したのは、一般に流通しているシンプルな妨害機でした。米国やイギリス、その他の国でもこれらを使用するのは法令で禁じられていますが、こうしたローテク機器はインターネットで30ドルも出せば買えてしまうのです。販売側は、プライバシー保護のために使うものだと主張しています。車の位置を記録する機器をブロックできるので、居場所を知られたくないトラック運転手にはポピュラーになっています。また、この妨害機を使えば道路料金用の車載器の電波もブロックできます。犯罪者が盗んだ車に付けられたトラッカーを不能にするために使う場合もあります。「当初は、妨害機は若者がこっそり自宅の寝室で組み立てているのかもしれないと考えていました」とラスト氏は言いますが、「でも今は中国の工場で生産されています。」
ラスト氏はGPS妨害機が地上でもガラテア号と同じような大混乱を起こすのではないかと懸念しており、そんな懸念をしているのは彼だけではありません。2010年11月にNASA主催の「宇宙ベース測位、航法及びタイミング」実行委員会は、妨害機が都市で作動されれば大惨事になりうると警告しました。どの程度出回っているかはわからないのですが、同委員会参加者はリスクはどんどん大きくなっていると指摘しています。将来的には、「スプーファー」と言われる、GPS受信機が受け取る情報を微妙に変えてしまう機器が問題をさらに大きくする可能性があるとしています。
昨年ニュージャージー州ニューアーク国際空港で起こった事故では、混乱を起こすには妨害機たったひとつで足りることがわかりました。空港の管制官は、航空機が視界の悪い中でアプローチできるように新しいGPSベースの着陸システムをインストールしたばかりでした。が、そのシステムは1日1、2回勝手にシャットダウンするようになり、その原因を突き止めるまでに数ヵ月かかりました。その原因とは、ある運転手がニュージャージー・ターンパイクの近くで高速道路料金をごまかすために使っていたポータブルGPS妨害機だったのです。このドライバーは1日2回その場所を通っていたのですが、そのたびに空港のシステムをダウンさせていたというわけです。
今後の空港の管制システムはGPSなしでは動きませんが、鉄道に関しても同じです。連邦鉄道管理局では、鉄道の運行管理プランの中心にGPSを使おうとしています。また警察や消防などが現場に急行する際にもGPSはますます重要になってきています。
・GPSは見えざるユーティリティGPSが使えなくなると、ナビゲーションができなくなるだけではありません。「我々は、気づかないうちにGPSに依存しているのです」と語るのはGPS World誌の編集者で、かつて米空軍のGPSシステム構築にも携わった経験を持つドナルド・ジュエル氏です。彼によれば、現在稼働しているGPS受信機は10億台以上にのぼると考えられていますが、その90パーセント以上が衛星から正確な時刻データを受信することだけを目的にしているのです。
携帯電話は、そうした使い方をしている典型的な例です。電波塔ではユーザーの移動に合わせて別の電波塔に受け渡すため、相互に同期を取り合う必要があります。GPSの時刻信号は、そのための安価かつ確実な手段となります。各電波塔の時刻合わせはお互いを認識するためにも使われています。実際、多くの無線通信機器ではGPSでの時刻合わせを同期に使っています。おそらく、2007年のサンディエゴでの混乱はそのために起きたのでしょう。・時は金なりGPSでの時刻合わせは株式など金融取引のタイムスタンプとしても使われます。ATMも無線で通信することがあります。これは、同期が必要な時刻ベースの暗号コードを使うためです。サンディエゴでの事故の際にATMが停止した原因はいまだに分かっていないのですが、このことがおそらく関係していると見られています。
電力会社もGPSの時刻を電力グリッドの管理の際に使っています。複数の電力供給元の周波数サイクルが合わない場合、供給元同士が部分的にキャンセルしあうので、効率が下がります。正確な時刻信号があることで、各サイクルの開始をピンポイントで捉えることができます。たとえば米国の電力グリッドでは、5000社以上の供給元の同期が必要になります。それでも2006年には、太陽の黒点活動によってGPSが一時不能になり、電力供給先が把握できなくなって請求を誤るという事件が発生しました。GPSのエラーによる停電もありうるということです。こうした問題の可能性をふまえ、法律でGPS妨害機を取り締まる動きが出ています。今年2月には、FCC(連邦通信委員会)が妨害機の販売者・所有者に罰金を科することを発表しました。が、当局にとって問題なのはほとんどの販売者が東アジアにいること、法律では妨害機の利用のみをカバーし、所有にまでは及ばないことが多いことです。
・セーフティネットに向けてそうしたことを背景に、航法研究者がGPSのバックアップとなるものを要請しており、英国の国立物理学研究所などが対応に乗り出しています。
幸い、バックアップは我々の身近にすでにあり、そのアイデアも1940年代からあったものです。GPSのように、ナビゲーションと正確な時刻通知をしてくれる、それはEnhanced LORAN(eLORAN)です。
Basic LORAN(LORANは、long range navigationの略)はGPSと同じようなものですが、衛星ではなく地上ベースの無線信号を使います。地球全体のカバレッジはありませんが、GPSより得意なことがあります。LORANはGPS信号よりずっと長い波長でより強力なので、妨害することはほぼ不可能になります。その新バージョンのeLORANでは、より信頼性の高い発信機と、改良されたセシウム原子時計が使われます。ソフトウェアも修整され、誤差は約10メートル、時刻はGPSとほぼ同等の正確さです。将来の受信機では、ユーザーも気づかずにeLORANに乗り換えることも可能だろうと前出のラスト氏は言っています。
ヨーロッパでは、イギリスの全国灯台協会のチームがeLORANをテストしていて、イギリス政府にその拡大を推奨しています。が、大西洋の向かい側の米国では、現行のLORANのサービスを停止しようとしています。米国政府はこれまでのところeLORANに投資するようにという進言をすべて却下しています。年間約2000万ドルかかるのですが、これはGPS衛星ひとつ打ち上げるよりは少ない金額です。「政府内でも先見性があり技術的なノウハウのある誰かが理解してくれることに望みをつないでいます」とジュエルさんは言います。
また、今から20~30年でGPS信号は必要なくなるかもしれません。もし原子時計が安価になれば、正確な時刻が必要な機器そのものにすべて埋め込んでしまえばいいのです。ナビゲーション機能に関しても、いつかは外部からの信号なしでもIMU(inertial measurement units、慣性計測装置)を使えば出発点からの動きをトラックしてくれます。現在IMUは、方向の計測にジャイロスコープを、速度の計測に加速度計を使っています。こうした情報と時間情報を併せて使うことで、加速度は速度と距離に変換され、相対位置が計算されるのです。
現在、IMUは移動1時間あたり1.5kmのずれが生じ、大きくて高価です。でも米国国防高等研究計画局では、マイクロチップサイズの原子時計と、同様に小型で正確な加速度センサーを使って性能を改善しようと計画しています。
こうしたセーフティネットが立ち上がってきてはいますが、GPSなしの生活を知らない世代が増えており、妨害機も増殖しています。それにつれて、サンディエゴで起きたようなGPS停止による混乱もより頻発しうると考えられます。
無意識のうちに生活インフラになっていながら、脆さの見えるGPS。法律面や技術面など、対策を急ぐ必要がありそうです。
David Hambling(原文/miho)