人間とクマは「友達」になれるのか?

人間とクマは「友達」になれるのか?

お互いを尊重した生活はできるのでしょうか?

自然とは美しくも恐ろしい。それを最も端的に表しているのがクマかもしれません。写真や動物園で見るのは可愛いけど、自然の中で出会ったらこれ以上恐ろしい存在はありません。日本でもいまだにクマによる被害、そしてクマに対する被害は無くなっておらず、ほぼ毎年のように死亡事件も起きています。人間とクマは、果たして生活を共にすることはできるのでしょうか?

米Gizmodoでは、この疑問を環境保護の専門家や自然主義者、作家などに投げかけ、答えを探りました。

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2016年末、ロシアでクマが結婚式の司式者をつとめた写真が広まりました。結局、この写真はフェイク(訳注: 司式者役のクマ、ステパンは本物のクマですが)と判明しましたが、こういった写真が人気になるということが、あることを明確に物語っています。人間とクマの間の何千年という歴史や、背筋の凍るドキュメンタリー映画などがあるにも関わらず、私たちはどこかでクマのことを、森に棲んでいる、可愛くて大きなイヌのように考えたいのです。

そう考えるのは間違っているのでしょうか? 人間とクマの間に、飼い主とペットのような、あるいはせめてお互いに無害になる関係は築けるのでしょうか? 野生の熊の保護を訴え、最後には無残に食い殺されてしまったティモシー・トレッドウェル氏のドキュメンタリー『グリズリーマン』などの例を見ると、答えは「不可能」であるように感じます。

しかし、私たちがインタビューした専門家たち(クマを研究し、共に生活し、彼らの生存環境を守るために活動している人たち)は、人間とクマのすべての絆が流血に終わるという考えは否定しています。ほぼ全員がクマは野生の動物であると認めています。例え親しげに鼻をすり寄せてきても、サーカスで20年を共にして自転車をこがせていても、ある日突然爪で襲われたり食べられたりする危険性は高いのです。しかし、私たちと彼らがどれだけ近づけて、そもそも「近づく」とはどういうことなのか、という点に関しては意見はさまざまです。

Oded Berger-Tal博士

動物の習性を種の保全に適用することを説明した『Conservation Behavior: Applying Behavioral Ecology to Wildlife Conservation and Management』の編集者であり、イスラエルのネゲヴ・ベン=グリオン大学で砂漠生態学の教授を務める。

はっきり言って、不可能でしょう。

まずクマは野生動物で、「友情」という観念は人間の作ったものです。オンラインには、野生のクマに人間が餌を与えたり一緒に遊んでいる「可愛い」動画が多くあります。それを我々が見ると、家庭で飼っているイヌと近い友情があるように感じやすいでしょう。クマは大抵の場合大人しいので、可愛いビデオができてしまいます。しかしクマは実に賢いので、人間、あるいは特定の人物が食べられるものだとすぐに覚えてしまいます。

問題は、クマは人間の作り出した「友情」というコンセプトが理解できないのです。なので、母グマが子どもを守ろうとしたからか、冬眠前で手当たり次第に食べ物を探していたからか、人間の手からものを食べていたクマが、次の日にはその人を食べてしまうことも十分ありえます。『グリズリーマン』は典型的な例です。ティモシー・トレッドウェルは、グリズリーと何日も接触し、グリズリーを手懐けたと言っていましたが、ある日ガールフレンドとともに食べられてしまいます。またこの話は、こういった「友情物語」の最大の犠牲者も物語っています。それは、クマです。2人を襲ったクマは殺されてしまいました。なぜでしょう? クマは本能に従っただけですが、我々の目には彼らを友のように思った男を「裏切った」ように見えるからです。我々は人間の概念を動物に押し付け、従わないものは殺してしまうのです。

人間や人間の居住区を食べ物と関連付けさせることは人間にとっても危険ですが、クマにはもっと危険です。「人間=手軽な食べ物」と一度考え始めると、執拗にその食べ物を得ようとし、その運命を人間の手に委ねることになります。そして人里に近づいたクマを人命保護の名の下に殺そうとする人間は、クマが知らないし理解もできない人間の価値基準でその生死を決めてしまいます。ですから、「友情」などというものとは程遠いものです。

video: Film Trailers In HD And HQ

Gordon M. Burghardt

テネシー大学の心理学、生態/進化生物学殊勲教授、Journal of Comparative Psychologyの元編集者、『The Genesis of Animal Play: Testing the Limits』および『The Inevitable Bond』の中の「アメリカグマの生態調査の一環としての人間とクマの関係構築」に関する一章の著者。

友情とは何か? どう推し量るのか?という疑問を乗り越えれば、クマと人間の友情はより一般的な異種族間の交流に近いものがあります。ペットのネコは「友達」なのか? イヌや亀は? 何十年も前に我が家で子熊を数匹育て、習性の研究のためにクマと行動をともにし、クマと人間(クマとイヌも)の親しい関係の例や文献を見てきた経験から言えば、近い交流が可能で、飼われているクマの場合、その関係が大人になっても続くことは明らかです。

もちろん、クマは巨大で力強いので、判断を間違えれば重傷や死もありえます。それに、多くの人にとってクマの感情や思考を読み取るのはイヌよりも難しいので、それもひとつの障害です。同じ質問を、家で育てられたチンパンジーに置き換えてもいいでしょう。チンパンジーで可能なら、高い知能と社交性、遊び好きな習性をもつクマでも可能なはずです。飼い犬のほうが一年に多くの人を殺していますが、「イヌは人間の親友」ではないと否定する人がどれだけいますか? 私たちは、他の種族や彼らとの関係を、何でも人間になぞらえて考えるのをやめるべきなのです。

video: Orphaned Wildlife Center

Fred Koontz

シアトルのウッドランドパーク動物園で環境保全課副課長。現在、グリズリーの救出に取り組んでいる。

人間との関わりが不十分なため、野生のクマと強い関係を築くのは不可能に近いでしょう。

しかし自然保護論者として言えば、人間は野生のクマに親しみを持つべきだし、彼らを尊重し、彼らの保護を支持し、人間にも恩恵のあるエコシステムの形成に彼らがどれだけ重要であるかに気付くべきです。友情には尊重が欠かせません。この場合、それが一方向であるということです。

例え動物園であっても、クマは決して飼いならされているわけではありません。どれだけ長く動物園にいても、彼らは野生動物です。飼育員はある程度の関係を築き、クマもそれを認識してお互いに多少の尊敬は生まれるかも知れませんが、「友情」とは呼べません。どんなクマにも潜在的な危険があります。

なので、クマと友達になる可能性はないと思います。ですが、尊重、思いやり、共感の関係を持とうとすべきです。

Thomas McNamee

『The Grizzly Bear』(1984、1990)、『The Return of the Wolf to Yellowstone』(1997)、『The Killing of Wolf Number Ten』、その他の著者。

その疑問の裏側には、定義の疑問も隠れています。そもそも、異種族間の友情とは現実的なものなのか? ペットのイヌや馬と、本当の意味で友達になれるのか? 友情とはお互いの間にある程度同じ貢献が必要なのではないか? それなら、どんな動物とも友情は結べません。

では、イヌやネコ、馬などとの間で最も近いものというと、感情的な親近感やある程度のお互いへの共感でしょうか。それならば間違いなく可能です。ただ、熱帯魚やヘビではもちろん無理ですが。では例えば、赤ちゃんのタヌキを手懐けたら? フーム。その中間でしょうか。そのタヌキのことは多少理解できるようになるでしょうが、タヌキがこちらを理解することはあまりないと思います。

モンタナ州にはCasey Andersonという人がいて、彼はブルータスと名付けた、800ポンド(訳注: 約363kg)のグリズリーを所有しています。彼はブルータスを子どもの頃から育て上げ、今では馬のように背中に跨ることもできます。彼は『Expedition Wild』(ナショナル・ジオグラフィックのシリーズ)というDVDにも出演し、まるで昔の映画の恋人同士のように走り回っている姿が撮影されています。彼らは友達のように見えますし、Andersonもブルータスを「親友」と呼んでいます。

でも思うんです。もしAndersonがうっかりブルータスを怒らせたら、そしてブルータスが彼を殴ったら、どうなるのだろうと。クマは決して冷静な動物ではありません(必要がないのです。冷静さを要するライバル無しに進化してきたのですから)。他の動物やクマ同士の場合、怒ったグリズリーは前足で相手に殴りかかります。その力は人間の頭蓋骨を砕くのに十分です。それに1平方インチ辺り1000ポンド(訳注: 2.5平方cm辺り約454kg)という咬合力での噛みつきもあります。

Casey Andersonとブルータスの間にどれだけの感情的な親近感や互いへの共感があるのか? 彼らのビデオを観て、Andersonのブルータスへの心からの愛を聞くと、2人の間に感情的な繋がりが無いとは思えません。しかし、長年研究されてきたクマの生物学的な現実がある以上、ビデオを観ている人、特に子どもたちは懐疑的であるべきです。そうでなければ、無知な感情や願望的な考えが人間側の気持ちの押し付けに繋がり、グリズリーの大切なアイデンティティである野生を否定することになってしまいます。

とにかく、ブルータスの場合はよく訓練された、とても危険な友達だと考えるのがいいでしょう。

video: National Geographic

Michael Dax

『Grizzly West: A Failed Attempt to Reintroduce Grizzly Bears in the Mountain West』著者、元イエローストーン国立公園ツアーガイド、モンタナ大学にて環境史の修士号を取得。Yes! MagazineやHigh Country Newsなど多くのメディアに寄稿。

映画などに現れる訓練されたクマを見る限り、ある程度のレベルまでは明らかに可能です。しかし野生のクマに関して言えば、答えはノーです。

イエローストーン国立公園で数年ツアーガイドをしていましたが、その間にもクマに殺された人は複数います。理由はさまざまですが、突き詰めると結局、人間がクマを尊重せず、公園内なら少しは安全だろうと甘く見たのが原因です。

例えばアラスカのブルックスレンジなどは、クマに十分な食料があり、鮭を捕らえるのに最適ななだらかな小滝があります。そこには人もたくさん来ますが、クマに殺されたという事件はひとつもありません。食料がたくさんあるので、人間を脅威と感じないのです。

しかし、生まれてすぐに人間と会う機会が少なく、人間慣れできないイエローストーン国立公園では絶対にありえません。私が自然の中で遭遇したクマはどれも、私を完全に無視するか怯えて逃げてしまいました。

今、「人間が意図せずグリズリーの凶暴性を遺伝的に奪ってしまった」という仮説が立てられています。ルイス・クラークの日誌(訳注: 太平洋へ向かって陸路で探検した初のアメリカ人探検隊)を読むと、彼らが撃ったクマが、撃たれながらも半マイル(訳注: 約800m)追跡してきて、死んだときには体内に弾が8発入っていたそうです。

この仮説は、人間が凶暴なクマを狩っている間、大人しいクマは山に逃げていき、結果として大人しいクマが今まで生き残ってきたということです。そうだとしても、クマは友達にはなりえません。

方針として、クマが人間を食料と関連付けるのは避けなければいけません。そうなるとクマは人間の近くで生活しはじめ、いつか事件が起こるでしょう。

video: Dolynny TV

Doug Peacock

自然主義者であり、『Grizzly Years: In Search of the American Wilderness』、『The Essential Grizzly: The Mingled Fates of Men and Bears』など多数の本を執筆。彼の考古学、気候変動、北米における人類史に関する研究が認められ、2007年にGuggenheim Fellow、2011年にLannan Fellowを授与。

クマと交流することはできますが、「人間の親友」と呼べる関係ではないでしょう。

人類が地球に登場してまだ20万年程度。人類はグリズリーと10万年ほど関わってきましたが、彼らは野生動物なのです。私の知っている人でグリズリーと仲がいいのは動物調教師です。例えば、『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』やその他の映画に出演したクマ「バート」を訓練したDoug Seus。彼はクマと素晴らしい関係を持っています。彼は1日2、3時間を1,400ポンド(訳注: 約635kg)はあるクマとのレスリングに費やしています。その絆はクマが小さい頃から作られ、彼の飼育法で16年間過ごしたクマは、言ってみれば思考の発育が思春期あたりのままで停滞しており、こういったクマを私たちは亜成体と呼びます。

ティモシー・トレッドウェルのことは知っています。アラスカでの初めての年を過ごした後、アリゾナにいた私を訪ねてきました。私の支持を得たかったのかも知れません。アドバイスはしましたが、間違いなく話半分で聞いていましたよ。BoopieとかHoneyとか変な名前をクマにつけて可愛がっていましたが、残念ながらティモシーは大きな勘違いをしていました。クマのような野生動物は、自分たちのルールの中でしか人間を受け入れません。そして人間側の都合や期待に一切影響を受けないのです。

大体10年間の中で、野生のグリズリーと数週間ほど交流を持つことは何度かありましたが、そのうちの何頭かは実に危険でした。

1頭、毎年姿を現す大きくて黒いグリズリーがいました。私のキャンプ地から小さな谷を見下ろすと、10頭程のグリズリーがのどかにハックルベリーなどを食べているのが見られたのですが、一度その大きなグリズリーが現れると辺りは大騒ぎになりました。彼が現れると、子連れの母グマたちは散るように逃げていくのです。

ある日、小さな山脈の頂上にある自分のキャンプ地に向かって丘の上を歩いていました。冬の嵐が来ていたので、早く登らなければいけなかったのです。突然、例のグリズリーが丘の側面に現れました。彼の少し上には母グマと1才ほどの子グマがおり、例の巨大グマは、母グマを見つけたら追いかけるだろうと私は思いました。

それは私の真下で実際に起こりました。大きな咆哮が聞こえたのです。親子は私から30、50フィート(訳注: 約15m)先で、私に気づかず丘を横断して逃げていきましたが、子どもが遅れていたため、黒いグリズリーが次第に追いつき、彼女の数フィート後ろまで接近しました。追いつかれる寸前で母グマは振り返り、応戦しました。自然界で最も壮絶な音、グリズリー同士が本気で戦う音が聞こえました。戦いは3、4分続いた後に急に止まり、黒いグリズリーは母グマに体の横を向け、終わりの合図を出しました。

嵐が来ているので、私はキャンプに戻らねばなりません。が、私の前には不完全燃焼の戦いで怒り心頭の巨大なクマがいたのです。恐らく彼は、何もいなければ丘を降りてハックルベリーを食べに戻ったでしょう。ですが、彼は私とキャンプの間にいます。こうなると、彼と交渉しなければなりません。私がクマに話しかけるときは、両手を突き出して顔を横に向けます。頭を正面に向けて向かい合うのは、クマにとって対立を意味するからです。

私の声を聞くと彼は突進してきました(彼にとっては軽いホップだったと思うのですが)。たった一度のジャンプで、私たちの間の距離は一気に半分になりました。彼が前足を地面に叩きつけた時には、彼は10ヤード(訳注: 約9m)まで迫っており、私は覚悟を決めていました。他の手はなく、ひたすら話しかけるしかなかったのです。

すると、ついに彼は頭を潔く横に向けて道を譲ったので、私はその周りをまわってキャンプ地に向かいました。

クマを動揺させたくないので、普段は焚き火はしないのですが、その晩だけは焚きました。暗くなってから1時間後、彼が丘の急斜面を登ってくるのが聞こえました。そちらに向かうと、暗闇の中で彼の赤い目が焚き火にあたって見えました。彼は30フィート(訳注: 約9m)向こうにおり、いくら話しかけても動きません。その後も、1時間半ごとくらいに別の斜面から何度も戻ってきて、それを朝の2時まで続けました。後日、私は荷物(テント、寝袋、汚れたシャツ)を同じ場所の高い木に吊るしておいたのですが、彼はそれを引きちぎっていました。奪われたものは無かったので、これは「さっさとこの山から出て行け」という彼のメッセージだったのです。もちろんそうしました。

video: ForTheGrizzly

Shannon Donahue

クマの生態の研究、保護を行なう団体、Great Bear Foundation会長。

広大な自然と野生の象徴でありながら、ちょっとした人間臭い仕草をするなど、クマは人間の想像力を掻き立てるカリスマのような存在です。クマは人間と同じ土地を共有し、同じ食料を食べ、私たちのようにバランスのとれた孤独の静寂と社交的な行動を楽しみます。好奇心はクマの生態の鍵であり、置かれた環境において調査したり新しいことを試そうとします。だから、変化に対応したり、新しい食料源を利用したり、危機を回避できるのです。好奇心が大切なのは人間も同じで、だからこそクマに魅了され、時にクマと友達になろうとしたり、交流しようとするのかもしれません。

クマは生息地域の食物連鎖の頂点です。なので、予測できるリスクに対して、利益と危険を天秤にかけるだけの自由が多少ききます。例えば、他のクマや人間が周りにいる状況で鮭やハックルベリーを食べるなど、クマにとって時にリスクを犯すことは利益があるのです。他のクマや人間の危険性を理解した上でクマはリスクを受け入れ、ストレス反応を抑えて、冬を越すのに必要な栄養を蓄えるために潤沢な食料源を利用できるのです。

こういった反応は順化のプロセスのひとつで、人間に近づいても悪い結果がない場合、人間の存在に慣れていきます。クマが人間に順化していくと、私たちをピクニック食材、ゴミ、釣った魚、ペットフードなどの食料と結びつけて考えるようになり、人間と関わることで短期的な利益があると学習します。これは「条件付け」と呼ばれ、お互いの関わり方に影響する、人間にとってもクマにとっても危険なことです。

人間とクマがお互いに対するリスクを理解し、私たちがクマにアプローチしなければ、人間とクマは同じ場所を共有できるでしょう。写真を撮るために近づきすぎたり、キャンプ地やピクニック場所から怖がらせて追い払わないと、私たちと関わっても安全だと誤解してしまいます。彼らは頻繁に自分たちが近づける境界線を試そうとします。そこでクマに譲ってしまうと、私たちのゴミをあさったり、鶏小屋を襲ったり、家にすら侵入して食べ物を探すようになります。人間に近づいて食べ物を得るように学んでしまったことで、毎年クマが無用に殺されています。クマは食料を守るために凶暴になりうるので、これは人間やペット、家畜にとっても危険です。だから、国立公園局はゴミ捨て場に近寄るクマを70年代から追い払い始め、市や州、政府機関はゴミやペットフードなどをクマに与えるのを禁止しているのです。

クマは野生の象徴であり、私たちの好奇心を掻き立てる魅力的な動物です。しかし、人間が彼らと関わると野生を害してしまい、お互いを傷つけるようなリスクを負わせるように教えてしまいます。クマと交流を持つことは可能ですが、それは大抵の場合クマの死に終わり、時には人間にも被害が及びます。彼らは野生に生きるべきです。

自分はロボットじゃないって本当に言い切れる?

top image: Jim Cooke/Gizmodo US
source: Twitter, YouTube(Film Trailers In HD And HQ, Orphaned Wildlife Center, National Geographic, Dolynny TV, ForTheGrizzly
参考: Wikipedia

Daniel Kolitz - Gizmodo US[原文
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