2017年もテクノロジーがあらゆる面で大きく飛躍した年でした。そして、テクノロジーと私たちを繋ぐデザインも同じように、さまざまな成長を見せてくれました。と同時に、それまで私たちが当たり前だと考えていたデザインに限界が見えてきた年でもあります。2018年は、もっとこんなデザインが流行ってほしい…。そんな希望を、米GizmodoのLiz Stinson記者が5つにまとめてくれました。それではどうぞ!
2018年を予想していくと、ようやく責任感を持ち始めたテック企業から退屈なハードウェアにサヨナラする私たち自身まで、デザインに関してはいろいろとエキサイティングなことが待っています。以下は、今年もっと流行ってほしいデザイントレンド5つです。
アルゴリズムの透明性
2016年を「AIがメインストリームにおどりでた年」だとするなら、2017年は「メインストリームがAIを理解できないとわかった年」でしょう。マシーンラーニング? ディープニューラルネットワーク? 私がピザにパイナップルを入れたかったことを、どうしてドミノ・ピザのアプリはわかったの? テック企業はそういった仕組みの裏側をブラックボックス化したがります。
自分たちの知的財産を守るためでもあるし、複雑な裏側を隠すことでユーザーフレンドリーにしたいという狙いもあります。大体の場合はたいした問題ではありませんが「誰がローンを組めるか」とか「危険な状況下でどうやって自動運転するのか」など、よりシリアスなことをAIに任せ始めると、アルゴリズムが何をどう判断しているのかを知るのは重要になってきます。

去年は「Explainable AI(説明可能なAI、略称 XAI)」が勢いづき始め、その目標に向かって少しずつ進歩してきました。XAIはAIが判断を下すプロセスを透明化し、アルゴリズムに責任を持たせることを目的とした分野です。 国防高等研究計画局(DARPA)には、アルゴリズムがどういう過程を辿って判断にたどり着くのかを説明できるマシンラーニングの技術を、集中して研究するプログラムがあります。また、Capital Oneなどの金融機関では、データ処理のブラックボックス化の規制に対応し、アルゴリズムの透明化に動いています。
AIが自身の思考プロセスを一般人に理解しやすく説明できるようなるまでには、まだまだ時間がかかるでしょう。しかしアルゴリズムの透明性は、全てのテック企業、特にユーザーデータを利用しているソーシャルメディアは今年から真剣に考えるべきです。
2016年の大統領選の結果を見てもわかるように、自分たちのアルゴリズムのプロセスを隠すとどれだけ痛い目を見るか、Facebookは身をもって感じています。同様に、今までシリコンバレーに対しては長い間無干渉だった政治家たちも、検索エンジンとして独占的な力を持った結果問題のある行動が目立ち始めたGoogleなどに対して、アルゴリズムの透明性を求めるようになりました。しかし、透明性を政府に強制される必要はありません。ユーザーから警戒されたり不信感を抱かれているテック企業にとっては、いいビジネスチャンスでもあるのです。アルゴリズムがどうやって決断を下したのかを可視化すれば、新しい技術(今ある技術もですが)に対する不安を和らげることができます。しかしもっと重要なのは、機械とそれを使う人の間に信頼関係を築くことができるということです。
ミニマリズムの終焉
ミニマリズムを嫌うのは難しいでしょう。消費主義の否定が根底にあり、見た目にも美しいミニマリズムは、日常の混沌を癒すような空白のキャンバスを与えてくれます。しかし、人生を変える魔法として近藤麻理恵さんの書籍を何年も目にしたり、どこにいっても同じような真っ白なレンガの壁を見るにつけ、ミニマリズムというムーブメントそのものにも陰りがみえてきた気がします。
かつては理想のライフスタイルと思われたものも、今となっては結局消費主義の一部のように感じてしまうのです。ありがたいことに、ここ最近はトレンドがシフトし、より大胆で退屈しないデザインが主流になりつつあります。ホームインテリア業界では、ラインのはっきりしたスカンジナビア風がなりを潜め、エキセントリックな70年代の家のような、ずんぐりしてキラキラし、カラフルなスタイルが台頭しています。ミニマリズムのスウェーデン代表とも言えるIKEAですら「More is More」のコンセプトを受け入れはじめています。

オンラインでは、TumblrやInstagramなどで、ギンギラギンでやりすぎなデザインを集めるアカウントが賑わっています。容赦ない色の使い方やテクスチャはたしかに過剰ですが、ミニマリズムの堅苦しいルールに比べてどこか気分が楽になるのです。とはいえ、ミニマリズムは2018年以降も完全にはなくならないでしょうね。トレンドが片方に大きく偏れば、それだけ反発も大きくなります。教訓があるとすれば、ミニマリズムにしても、デザインにならってミニマルに摂取すべきなのでしょう。
穏やかで健全なUXデザイン
2017年はテック企業にとって、今までの業の裁きを受けたような年でした。特に顕著だったのがソーシャルメディアでしょう。Facebook(フェイスブック)にはびこるロシアのボットから、絶え間ないTwitter上の荒らし、それらから目を背けられない私たち…。日常的にソーシャルメディアを使うことに、利点を見いだせなくなってしまったんです。2017年の終わりには、Facebookを使いすぎることは精神衛生上よくないとFacebook自体がブログ投稿で認め、何億人もの人がそれにうなずかざるをえませんでした。
私たちのテクノロジーへの過剰な執着は、一時的なテクノロジー断ちの必要性を高めました。シリコンバレーの一部ではそういった新たなデザインのパラダイムを受け入れ、ユーザーの健康を使用時間より優先させようとしています。彼らの狙いは、私たちの生活を支配するテクノロジーではなく、静かに補強するようなアプリやテクノロジーの開発です。
これは一部で「calm tech(落ち着いたテクノロジー)」と呼ばれています。パロアルト研究所のに所属していたMark Weiser氏、Rich Gold氏、John Seely Brown氏などが提唱していて、彼らはcalm techについての本も執筆しています。
また、Googleの元倫理学者であるTristan Harris氏は、私たちの集中力を離さないシリコンバレーに対し、テクノロジーやアプリのデザインに疑問を投げかけることでその力をゆるめようとしています。
去年登場したcalm techで、一番のお気に入りは「Minutia」。アートプロジェクトとして開始したこのフォトアプリは、アプリの使用時間が1日1分に限られています。この制限が素晴らしく、ユーザーをはてしないコンテンツの蟻地獄に誘い込まないだけでなく、次にアプリを見れるようになるまでに期待と興奮を高めてくれるのです。今年必要なのはそういったテクノロジーです。つまり、ユーザーの注目をどれだけ長く集めるかではなく、最適のタイミングで注目されるかどうかで成功をはかるテクノロジーの登場です。
今年は、このように中毒性を抑えたUX(ユーザー・エクスペリエンス)デザインのSNSやアプリが登場するのかもしれません。
サラバ、退屈な典型的ハードウェア
消費者に向けられたテクノロジーは、冷たい印象のガラスや光るプラスチック、角ばった形など、いかにもテックな見た目でした。そういった無機質な製品が何年も出続けましたが、そろそろハードウェアがもっと柔らかく、表現性のあるデザインになるべきです。
たとえるなら、ナイトスタンドに鎮座してベッドルームの私たちに語りかけるガジェット。そして私たちも、まるで相手が人間であるかのようにコミュニケーションをとります。このスタイルは、これまでにないテクノロジーを必要とする親密さでしょうね。

今年はプロダクトデザインに関して、もっとテック企業に内なるクレイジーな面を出してほしいです。すでにその兆候は出ていますしね。去年の秋にGoogleがリリースした新しいスマートスピーカーは、柔らかいポリエステルに包まれ、ホワイト、グレー、そしてあたたかいサーモンピンクの色から選べました。その数ヶ月前には、MicrosoftがSurface Proのアップデートをリリースし、ティールとマルーン・アルカンタラ、そして高級車にも使われる防水生地に包まれたキーボードを備えていました。
いっぽう、スウェーデンのスタジオであるTeenage Engineeringは中国企業のRavenのために、非常に奇妙なスマートスピーカーをデザインしました。そのうちひとつは、チェリーレッドの6軸ロボット 「R」。ペットみたいに体をひねったり頷くことができるんですが、Amazon EchoやGoogle Homeのように言葉で答えることもできます。これって、奇妙だし人を選ぶデザインでしょう。でも、「R」は感情のこもったガジェットが生まれる未来の片鱗を見せてくれます。それって楽しみじゃないでしょうか。
こんな例は、Appleが今まで長い間広めてきたような、洗練されて感情を切り離したデザインからの脱却と、より思慮深く実験的なものにトレンドが移っていることを示しています。今年はそういった製品がもっと生まれるといいですね。
より包括的なデザイン
歴史的にも、多くのデザインは平均的なユーザーを中心に考えられてきました。車もアプリも飛行機のシートも、人口の多くを占めるタイプの人に向けてデザインされてきたのです。こうすることで、デザインのプロセスがシンプルになったのは間違いないでしょう。皆のためにデザインすれば誰も除外しない、というように。ですが、実際には逆なんです。
昨今の「包括的」デザインの台頭は歓迎されるべきです。MicrosoftやGoogleは過去数年、今までよりも多くに配慮がゆきとどいた製品やサービスをデザインするため、これまであまり目を向けられなかったマイノリティ層の抱える問題を解決するデザインを開発してきました。つまり、特別な補助を必要とする人達にも利用できる製品を作れるなら、それだけよりよい製品となるという考え方です。
この場合の配慮とは、視力に問題のある人のためにスクリーンのコントラストを調整し、結果として普通に見える人にとってもより快適な体験になる、というくらい簡単なことかもしれないし、Googleがやったように、モバイルOSのすべてを音声で操作可能にさせる、という複雑な試みでもあります。携帯のカメラを通して見たものを音声で伝えるMicrosoftのアプリ「Seeing AI」にしても、盲目の人のために開発されましたが、将来的にはARアプリを使う誰にとっても便利になるでしょう。

当然、どちらの会社も新しい包括性をPRに使っていますが、これを批判するのは難しいことでしょう。企業の宣伝文句としての「デザイン志向」から離れ、アクセシビリティを念頭に置くことでより多くの人が利用できるようになる変化は、間違いなく正しい一歩ですからね。
Image: ©2018 teenage engineering via Teenage Engineering
Source: DARPA, lifehacker, IKEA, Tumblr, Instagram, Calmtech.com, Wikipedia(1, 2), Minutia, Teenage Engineering, Microsoft, Facebook
Liz Stinson - Gizmodo US[原文]
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