アカデミー賞ではなく、エミー賞が妥当。
2018年だけで外国産の映像作品を700本追加しようというNetflix。エンタメ好きにはたまらないコンテンツが大量投下されるわけですが、最新映画『レディ・プレイヤー1』のスティーヴン・スピルバーグ監督は、Netflixはテレビのカテゴリーだと考えており、テレビ番組のように扱うべきだと語っています。
ITV Newsのインタビューでは、「Netflixがハリウッドの今後を脅かす存在になるのか?」という質問に対して、監督がハリウッドの行く末を心配する心境を語ってくれました。4:38からが本題です。
映画業界が作ってきた制作がAmazonもHuluもNetflixに移り変わってきていますよね。最近のテレビは、昔と比べて脚本も監督も役者も物語も、史上もっとも素晴らしく品質も芸術性も繁栄しています。
と踏まえた上で…。
一度テレビという形式に足を踏み入れたら、それはテレビ映画なんですよ。もし良い作品だったら、エミー賞を貰うべきですよね。オスカーではありません。
加えてこうも語っています。
たとえ2~3の劇場で1週間未満上映した映画も、アカデミー賞にノミネートされるべきではないと考えています。
確かに、ある意味配信コンテンツはハリウッドを脅かす存在になりつつあるかと思います。でも映画界を乗っ取るとか、そういう方向性ではないようです。
ですがスタジオが配信コンテンツ制作に注力しだすと、たとえば単館上映されるようなマニアックな小作品の制作が止まってしまうのでは?という心配があるようです。
多くのスタジオは小さな作品でヒットを狙うよりも、自社のブランド力と予算があって、興行的な成功が約束された作品を作りたがります。そうした小さな映画はかつて業界で日常的に作られていたのですが、それらは今AmazonとHuluとNetflixで作るようになってしまったのです。
監督の考えは伝統的でちょっと古風なところがあり、これは正しいところとそうでないところがあります。
確かに小作品は配信コンテンツに移行していますが、スタジオが制作を止めたのは制作者が生き残るため。とっくの昔にその流れが起こっていたのです。そんな赤字覚悟の低予算映画を、Netflixでやらせてくれませんか?と救ってくれたのが正しい順序なのだそうです。
小さいスタジオは予算集めを必死で頑張り、サンダンス映画祭で受賞し、大きな劇場で公開しようと奮闘してきたのです。そしてほとんどはストリーム配信産業から援助を受ける形になりました。もしかしたら“劇場映画”として受賞を狙うべく、1週間だけの劇場公開の約束付きでね。
それでも先に監督がおっしゃったように、こうしたコンテンツのクオリティーは飛躍的に向上しているのです。
ちなみに監督の作品『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、おそらくノミネート狙いの先行公開かと思われますが、昨年12月にたった9館のみで上映され、アカデミー賞作品賞と主演女優賞にノミネートされています。そして翌月にちゃんと全国公開となりました。この戦略は、たぶんスピルバーグ監督だからこその特例措置だったのでしょうね。なので上記のコメントはちょっと矛盾を感じなくもない気もしますが…?
さてこの配信コンテンツの受賞問題。これから論争を引き起こすのでしょうか? それとも「確かにそうだよね」という風潮になるのでしょうか? なんとなく見守っていきたいと思います。
Image: Warner Bros.
Source: YouTube via ITV News via Indiewire