色ってどんな風に発見されるの?

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  • author たもり
色ってどんな風に発見されるの?
Image: Jim Cooke via Shutterstock

時には偶然に、時には狙って。

18世紀初頭、ドイツの化学者ヨハン・ヤコブ・ディースバッハは研究所での仕事中、コチニールカイガラムシから赤い顔料を作ろうとしていました。コチニールカイガラムシとは小さな虫で、その抽出物は食物から口紅まであらゆるものを染めます。ディースバッハ氏はこの洋紅色の抽出物をミョウバン、硫酸鉄と炭酸カリウムと化合すれば彼が望むような淡い赤色を作れると仮説を立てました。しかし、そこには問題が…。同氏が使った炭酸カリウムには異物が混入しており、顔料の化学組成を変えてしまっていたのです。ディースバッハ氏は知らず知らずのうちに、赤色よりも遥かに価値のある色を作っていたことに。それは、深い海のような青色でした。

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プルシャンブルー

何世紀もの間、青は自然からは少量しか見つからない非常に希少な顔料だと考えられてきました。同名の変成岩から作られたラピスラズリのような顔料は、貴重な金属である金ほどの価値があったのです。しかし、ディースバッハ氏の失敗のおかげでその顔料は今ではかつてないほど早く、安く、そしてたくさんの量を人工的に作れるようになりました。同氏の青色はプルシャンブルーと呼ばれ、史上初めて作られた人工的な色のひとつだと考えられています。それ以降、たくさんの色が発見されてきました。

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YInMnブルー

色を発見できるものだと考えるのも変な話です。科学者に聞いてみればその多くが、実際はそういうことじゃないと答えるでしょう。2009年にYInMnブルーと呼ばれる青い顔料を作り出したオレゴン州立大学の科学者、マス・サブラマニアン教授は「色を発見することはできない」と言います。「“特定の波長において特定の反射をする素材”を発見できるだけ」だと。意味論的な話は抜きにして、計画的な科学研究あるいはまったくの偶然を通じて、私たち人間はその歴史の中で新たな顔料を発明してきました。

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ティリアンパープル

石器時代の先祖たちは濃い泥土をすり砕いて、素朴な赤色であるオークル色を作れると学びました。古代エジプト人は、希少な緑色を生み出すためにシナイ半島の塩基性炭酸銅の鉱物を採掘しました。その後、産業革命の最中には慎重に検討された(あるいはプルシャンブルーとティリアンパープルのように思いがけない)科学的探究を通じて、科学者たちは進歩した化学から色を作ったのです。人工的に作られた鮮やかな色の急発展によって、画家らは自然の中に見る色合いをもっと正確に再現できるようになり、それが印象派の芸術運動が起きるのを手助けすることとなりました。2500以上の顔料が保管されていいるハーバード大学のStraus Center for Conservation and Technical Studiesの所長ナーラーヤン・カーンデーカルは、同僚とともに収集された顔料の歴史を紐解く新作『An Atlas of Rare & Familiar Colour』の中で「人工的な顔料の数はそれ以降、劇的に増えました」と語っています。

今や新しい色を作り出しマーケティングを行なうことは一大ビジネスです。新しい顔料を開発する研究所はそういった発見を、注目を集めるような大型なライセンス契約へと展開できますからね(アニッシュ・カプーアが購入したベンタブラックの独占使用権のように)。新たな色を見つけ出したいという意欲にもかかわらず、顔料の開発は今もなお、芸術と科学とが思いがけない形で混ざり合っています。「色はあまりにも繊細なので、特定の色を反射する素材を作ることはとても難しい」とサブラマニアン教授は言います。目にする色の多くは、新たな色の異なるバージョンを生み出すためにほんの少し微調整された同じような化合物に基づいているもの。本当に新しい色にはワクワクしますが、珍しいのです 。

フェラーリ・レッド:論理的研究の失敗が生んだ宝の山

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「フェラーリ・レッド」

1970年代初頭、ミシガン州立大学では化学者たちが、反芳香族化合物(炭素、窒素と酸素からできた、反応性が高く非常に不安定な化合物)の新種を見つけるための実験に乗り出していました。彼らにとっては、そのような化合物が可能かということをみるための理論的研究だったのです。当時、その研究グループを率いていたドナルド・ファーナム氏は「実用性のあるものを作ることにはまったく興味がなかった」と回想しています。

ファーナムと同僚研究者たちがその成分に鉱物を混合して熱したところ、思いがけないものが出来上がりました。試験管の中には明るい赤色の粉、触れるものすべてを染めてしまう顔料を見つけたのです。「それは我々が予期していた物質の特性を持ってないことにすぐに気づいた」と彼は言います。ファーナム氏は実験が半分失敗したとしても、この顔料は興味をそそるものだと結論付けました。この発見について化学ジャーナルに論文を発表したところ、製薬会社チバ・ガイギーに所属する人物の目に留まりました。大手である同社は染料として使えるかもしれないと考え、ファーナムの化合物を合成することに。チバ・ガイギーの読みは正しかったのです。

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2004年9月24日、フランスで開催されたパリモーターショーで披露されたフェラーリ「F430」

その顔料、PR254は宝の山でした。ファーナム氏が発見した化学化合物は、最終的には半導体などや多数の関連する顔料の化学的基礎として使われることに。現在では、自動車の塗料として使われることからたびたび「フェラーリ・レッド」と呼ばれます。ファーナム氏がこの顔料で得た功績は科学論文だけです。特許の保有もせず、すべては科学の一部だからといってこの予期せぬ発見からは金儲けもしていません。「どういうわけか、金儲けをするために作ってはいないんだ」と彼は笑いながら言いました。「楽しみのために作っただけだよ」とのこと。

鉛錫黄:歴史に埋もれ、再発見された古典顔料

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『牛乳を注ぐ女』1657〜58年、ヨハネス・フェルメール Image: Wikipedia

色の発明にまつわる物語は時の流れに埋もれてしまったこともありました。「古典派巨匠たちの黄色」と評されたこともある陽気な色、鉛錫黄(ネープルスイエロー)の場合は失われてしまったものの再び発見されています。Art Analysis and Researchの創設者であり主任研究員のニコラス・イーストーは、鉛錫黄のもっとも初期の使用例は3世紀のローマン・ブリテンの戦争画からのものだと説明します。しかし、画家や陶芸家たちが明るい色合いを作るために鉛と酸化スズで出来たこの有毒な組み合わせを用いるようになる13世紀までは一般的に使われることはありませんでした。ヨハネス・フェルメールのお気に入りの顔料のひとつである鉛錫黄は重要な黄色顔料でしたが、17世紀に画家らが鉛アンチモンの顔料へと置き換えたのです(その理由はわかっていません)。やがて鉛錫黄は人気が落ち、絵画から消えてしまいました。「鉛錫黄を使わなくなった経緯があまりに複雑だったため、人々はそれを忘れてしまった」とイーストー主任研究員は言います。

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カナリーイエロー

化学者たちが発光分光法のような、顔料にある特定の要素を割り出す現代の顔料分析技術を使い始める1930年代まで、この顔料の存在は忘れ去られたままでした。発光分光法とは、化学者らが顔料の試料を熱して、その炎の強さに基づいて成分を特定できるというものです。1940年代には、この方法を用いてルネサンス期の絵画における顔料を研究していたドイツの化学者リチャード・ヤコビが、何度もスズの形跡を見つけました。発光分光分析より前は幅広い成分を分析する方法はなく、何を探しているのか把握しておく必要がありました。「スズの検査をしようと思わなければ、見つけることはなかっただろう」とイーストー主任研究員は語っています。鉛錫黄を効率的に再発見したヤコビは、今では歴史的な絵画の技術を再現する画家に主に使われているカナリーイエローの合成バージョンを作ることにしました。

YInMnブルー:200年ぶりに発見された、新しい青

PR254のように、YInMnブルーもまた実験の失敗から生まれた色です。2009年、オレゴン州立大学の化学者であるマス・サブラマニアン教授と学生たちは半導体用に新素材を作れるか確認するためイットリウム、インジウムそして酸化マンガンの電気的特性を調べていました。彼らは元素を混合し、およそ華氏2000度(セ氏約1093度)まで加熱。混合物を加熱炉から取り出したところ、コバルト色に似ているもののもっと明るい、青い顔料に気づいたのです。

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研究所で合成されたYInMnブルーの写真 Image: Wikimedia

「本当に驚いた」とサブラマニアン教授。マンガンが通常そうであるように、物質は黒か茶色になると彼は考えていたのです。しかしながら青色は、まったく持って予想外でした。「学生に『何からこの色が? 間違いなく私の指示通りに実験したのか』と聞いたよ」 学生たちは再び実験を行ないましたが、またもや明るい青色が得られました。そのとき、サブラマニアン教授は何か特別なものがあると気が付いたんだそう。「これは大発見だとすぐに気づいたので、特許を申請した」と回想しています。

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YInMnブルー

数百年前のプルシャンブルーの例からもわかるように青は滅多に偶然出くわすことがない顔料だとサブラマニアン教授は説明します。YInMnブルーは、19世紀初頭のコバルト色以降、初めて生産された無機青色顔料です。そしてコバルトとは違い、YInMnは安定しており熱を反射し、色褪せません。サブラマニアン教授がこの顔料の特許を申請した後、Shepherd Color Company(シェファード・カラー)がライセンスを受け、それ以降絵具やプラスチック製品が生産されました。去年、Crayola(クレオラ)はYInMnブルーの新色クレヨンを発表し、鮮やかな青色はBLUETIFUL(ブルーティフル)と名付けられました。

チタニウムホワイト:「無害な白」を求めて

名前は知らなくても、存在は知っているかもしれません。この顔料は現代における主たる白色で、数多くの思いがけない製品の色のベースを成している二酸化チタン化合物です。「ほとんどの住宅塗料や日焼け止め、食用着色料まであらゆるものにありますよ」とイーストー主任研究員は言います。「私は、スキムミルクにも入ってると思ってるけどね」とのこと。

何世紀にもわたって使われてきた鮮やかで有毒な白色である鉛白(えんぱく)の、毒性のない代替品を化学者たちが求めてできたのがチタニウムホワイトです。チタニウムは今では豊富な鉱物として知られていますが、その発見は18世紀末で、化学者ウィリアム・グレゴールが見つけました。1世紀以上もの間、化学者たちはその元素をあれこれと研究してさまざまな化合物を作り出していましたが、常にほんのちょっとずれた色合いを生み出していました。そして20世紀初頭、ノルウェーとアメリカの化学者たちが不透明で乳白色、着色力が強くそれでいて無害な化合物を思い付いたのです。

イーストー主任研究員に言わせれば、(科学的な発見が一因となったものの)チタニウムホワイトの発明よりも、急に豊富であることがわかった元素の商業的な使い道を見つけるためテクノロジーを意図的に使ったとのことの方が大発見なんだとか。「偶然発見されたものもあるが、それ以外の色はよく考えられた試みによって作られている」と彼は言います。「その時代の過程やテクノロジーを反映している」と。そのうえ、美術界への影響は明白です。「我々にとって絵画の真贋を論じることは、20世紀絵画の偽造品を判別する鍵となる発見でもある」と説明してくれました。チタニウムホワイトは特定の画家の初期と後期の間の目印として存在していました。「ピカソのような画家はキャリアの初期には使いませんでしたが、1940~50年代にかけては使っていました」とイーストー主任研究員。「そのため、1920~30年代のピカソの絵画にチタニウムホワイトが使われていたら思わず疑うね」

Image: Shutterstock, Wikipedia, Wikimedia
Source: Wikipedia, University of Illinois, natural pigments, YouTube, Harvard Art Museum, NY Times, Coatings World, Art Analysis & Research, Mauritshuis, Kremer Pigments, BBC

Liz Stinson - Gizmodo US[原文
(たもり)

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