中国検閲への加担、従業員1,400名が反対です。
Google(グーグル)ほど巨大な企業では無数の大プロジェクトが同時に進行されているわけです。その中にはドローンから撮影された画像をAIが自動で分析するという軍事プロジェクト、Project Mavenのようなものもあり、従業員たちが連帯して反対を表明したり、時には集団で会社を辞めたりします。今回話題になっているのは先日もお伝えしたプロジェクト「Dragonfly」に関して、従業員たちがGoogle役員たちに提出している声明です。Dragonflyとは、中国政府によって検閲されたインターネット情報のみを表示する、極秘で開発中の中国向け検索エンジン。Googleは元々、中国政府主導によるサイバー攻撃、そしてインターネットに対する規制を懸念として、中国マーケットから2010年に撤退しています。今回のDragonflyを通じて、中国政府による情報規制や検閲に加担してしまうことになる、と従業員たちは懸念しているわけです。
従業員「報道で初めて知った」「必要な会議に参加すべき」
従業員たちによる声明はThe New York Timesによって報じられました。「Google従業員は自分たちが何を作っているのか知る必要がある」と端的に、透明性について要求しています。多くの従業員は社内の連絡ではなく、外部のメディアによる報道によって初めてDragonflyについて知ったため、その点にも怒りが集まっているようです。またGoogleが表明しているAI開発に関する原則を、Dragonflyは破っていると考える従業員もいるようです。
「我々の仕事、プロジェクト、そして雇用に関して倫理的な観点から判断を下すために必要な情報を十分には持っていない」とし、役員たちに「透明性を高め、必要な会議に出席させ、透明かつオープンなプロセスを誓う」ことを要求しています。米GizmodoはGoogleにコメントを求めましたが、記事執筆の段階ではまだ回答は得られていません。Dragonflyはまだ開発中のプロダクトであり、いつローンチされるのか、果たしてローンチされるのか、という点は明らかではありません。
声明文全文
米Gizmodoは内部情報に通じた人物から件の声明文を入手しました。以下がその全文です(太字は原文まま)。
私達の業界は、倫理的な責任に関する新しい時代に突入しています。我々が下す判断は世界規模での影響を持っています。しかしDragonflyについて、私達のほとんどが8月上旬にニュース報道を通じて学びました。Dragonflyは検索サービスと個人ごとにカスタマイズされたモバイル向けのニュースを中国に届けるためのプロジェクトだとされており、中国政府による検閲と監視にも準じているとされています。8年前、Googleが中国によって検閲されていたウェブ検索事業から撤退したとき、Sergey Brinはその判断を次のように説明しています。「中国政府のポリシーのいくつか、とくに検閲に関するポリシー、反体制意見の監視に関するポリシーは、全体主義の耳標であると私は捉えています」。Dragonflyをもって、Googleが中国へと戻ることで、モラル上のそして倫理上の緊急性の高い問題が浮かび上がっています。さらにその重要性について、私たちは社外で議論を行なっています。
ここでは底流する構造的な問題について指摘します。現時点で私達は我々の仕事、プロジェクト、そして雇用に関して倫理的な観点から判断を下すために必要な情報を十分には持っていません。AI原則がありながらもDragonflyを開発する決断が秘密裏に行なわれ、開発が進められていたという事実だけをとっても、原則があるだけでは足りないということがわかります。私たちは透明性を高め、必要な会議に出席させ、透明かつオープンなプロセスを誓うことが必要です。Google従業員は自分たちが何を作っているか知る必要があります。
これらの重要な問題に直面する中、下に署名を連ねる私達は、倫理と透明性に関する緊急呼びかけを求めています。役員たちが従業員たちと協力して具体的な、透明性や見過ごしに関するプロセスを施行することを求めます。プロセスには次の項目が含まれるべきだと考えます。
1:下のレベルの一般社員を代表するスタッフも意見を出すことができる倫理的なレビュー機関
2:選任に関して意味のある意見提供がなされた上でのオンブズピープルの任命
3:Google従業員が自分たちが取り組むプロジェクトに関して、個別に倫理的な判断を下すことができるのに十分な透明性を確保するための明確なプラン
4:“倫理テストケース”の公表:Dragonfly、Maven、Airgap GCPをAI原則の観点から倫理的に査定したもの。そして倫理に関わる重要な新しい分野に関する、社内における透明なコミュニケーションと査定が定期的に、公式に行なわれること。
Source: The New York Times