いまこそユートピアSFが必要な理由

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  • author Eleanor Tremeer - Gizmodo io9
  • [原文]
  • 福田ミホ
いまこそユートピアSFが必要な理由
Image: Chelsea Beck/Gizmodo US

現実がディストピアだからこそ。

いま米国ではNetflix(ネットフリックス)とかHulu(フールー)、Amazon(アマゾン)といった動画配信サービスを中心に大予算のオリジナルドラマがばんばん作られていて、「TVの黄金時代」なんて言われてます。ただその手のドラマ、または映画でも、最近のヒット作には『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』『オルタード・カーボン』『ハンガー・ゲーム』…とダークなディストピアものが目立ちます。米Gizmodoの兄弟サイト・io9では、ライターのEleanor Tremeer氏が「むしろユートピアものが必要じゃない?」と問題提起しています。


『オルタード・カーボン』 とか『ブラック・ミラー』とか、いまメインストリームメディアにはディストピアものがあふれています。最近の政治経済の閉そく感を見れば、ディストピアが流行るのも仕方ないとは思います。でも逆に、ユートピアを描いた映画とかドラマを最後に見たのはいつでしょうか? 私みたいに『スタートレック』シリーズをエンドレスリピートしている人はさておき、たいていの人はもう長い間、ユートピア体験から離れているんじゃないでしょうか。

気候変動やらいろんな形の人権侵害、差別などなど、いま世間で問題になっていることは、これまでさまざまな虚構のディストピアの中でも描かれてきました。こうしたディストピアは、多くの人が現実に抱えるフラストレーションのはけ口となっています。でも現実がTVの中の暗い世界に近づけば近づくほど、私たちにはむしろまったく違うストーリーが必要になります。ユートピアフィクションは、現実を知りつつあえて「人間はもっと良くなれるし、実際もっと良くなるはず」という希望を掲げます。そして他の人はともかく私はいま、そんな夢を見たいんです。

ディストピア脱出後こそ、見てみたい

ディストピアフィクションがユートピアフィクションより人気がある理由はたくさんあります。まずユートピアとは、そもそもの意味からして、争いのない完ぺきな社会です。だからドラマなんか起こりようがなくて、視聴者はストーリーに共感できないのです。

でも別に、ディストピアフィクションが自己耽溺的な悲劇ポルノだと言いたいわけじゃありません。ディストピアフィクションのヒーローの多くは、自由を求める戦士です。『ハンガー・ゲーム』の主人公・カットニスは、圧政者を覆そうと革命の顔となるし、『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』の主人公・オブフレッドは、逆境にもめげずに軍事国家・ギレアドに逆らおうとします。

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Image: George Kraychyk/Hulu
『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』では、エリザベス・モス演じるオブフレッドが暗い未来と戦います。

ただ本来、彼らヒーローの戦いは物語全体の始まりでしかないはず…ですが、ヒーローが勝利した後に何が起こるのかまではめったに語られません。でも書き手にとっても視聴者にとっても本当に難しいのは、混乱とか争いの中からどうやってより良い社会を作るのかということじゃなく、理想の状態はいかにして維持できるのかってことです。

SF作家であり自称・頑迷な理想主義者のRedfern Jon Barrett氏は、フィクションのユートピアは多くの人にインスピレーションを与えるだけでなく、ユートピアの現実化にも役立つと語っています。「ディストピアフィクションはどれも、そのシナリオの現実化を阻止するのには役立ちませんでした」とBarrett氏。「『1984』は監視社会を防ぐことができず、『ブレードランナー』は企業による環境破壊を食い止められませんでした」。

Barrett氏は、ディストピアが受動的なのに対し、ユートピアは能動的だと感じています。「希望でいっぱいの未来を提示すれば、それが実現する可能性を高められると信じています」。Barrett氏は、インスピレーションが変化を起こす大きな力になると考えています。実際、フィクションのユートピアが現実のイノベーションのヒントになった例も見られます。

現実を前進させた『スタートレック』

一番良い例が、なんといっても『スタートレック』です。多分ユートピアものとしては一番メジャーで、もっとも息の長い作品でもあります。『スタートレック』誕生以来の50年で、たとえばタブレット(ピカード艦長の「PADD」)や3Dプリンターなど、何十もの発明にインスピレーションを与えてきました。また多くの人に宇宙飛行の夢を与えてもいて、中でも顕著な例ではアフリカ系米国人女性として初めて宇宙に飛んだメイ・ジェミソン氏がいます。彼女は『スタートレック』に登場したアフリカ系女性・ウフーラに触発されたと語り、『新スタートレック』にも出演して敬意を評しました。

『スタートレック』は冷戦時代に生まれた物語でありながら、人類がすべての争いを解決した未来を描いています。そして人類は、他の文明に平和のメッセージを送るべく旅に出たという設定です。

『スタートレック』の作者・ジーン・ロッデンベリー氏の息子、ロッド・ロッデンベリー氏は、ユートピアの思想をお茶の間にもたらしたことがこの作品の成功の秘訣だったと考えています。「私は、人という動物は何かからインスピレーションを受けなくてはいけないのだと感じています。失敗したり間違いを犯したりしてもそこから学び、自分自身だけでなく人類全体をより良くするために正しい判断ができる、そういうキャラクターを見るのは良いものです。そしてそれこそ、『スター・トレック』の人物なのです。それは、人類がお互いの違いや新たな変化に対する恐怖を克服してひとつになった未来という思想なのです」。

Video: dustblooded/YouTube
『スタートレック』の主人公カーク船長が「戦闘本能はあるでしょう。でも抗えるはずだ」と諭すシーン

ときには説教じみてるとか青臭いとか言われることもありますが、それでも『スタートレック』が支持され続ける、シンプルな理由がひとつあります。それは、人類のバッドエンドを思わせる時代にあっても、ハッピーエンドの想像を可能にしたことです。『スタートレック』誕生から数十年後のいま、政治は相変わらず腐敗し、紛争はあちこちで起き続け、地球温暖化も着実に進行しています。でもそんないまこそ、ハッピーエンドを思い描くことが、それを実現するための第一歩になるかもしれないんです。

ユートピアの落とし穴

共感や責任感、多様性を重んじるといった『スタートレック』のメッセージはいまも生きています。でもユートピアフィクションなら何でもいいというわけじゃなく、『スタートレック』だって完ぺきではありません。

まず多くのSF作品において、ユートピアの生まれ方がお座なりです。たいていは何かしらすごい大変動のおかげで邪魔ものが一気に片付き、その後みんなで理想的な世界を立て直した、という設定です。『スタートレック』でも『Woman at the Edge of Time』という作品でも、第三次世界大戦をその「大変動」として利用していました。そういう意味では、彼らのユートピアは悲観的なところから始まっています。他の作家、たとえば『ゲド戦記』で知られるアーシュラ・K・ル=グウィンは、地球とはまったく別の星にユートピアを作り出し、人間の歴史やしがらみから逃れています。

理想の世界を作りだそうとするとき、作家が陥りやすい落とし穴は他にもたくさんあります。世の中の不平等さをちゃんと考えてなかったり、排他的な思想をよりどころにしたり、登場人物を白人だらけにしたり(『宇宙家族ジェットソン』みたいに)といったことで、いろんなユートピアドラマ・映画がユートピアの評判を落としてきました。

フェミニスト文筆家のローリー・ペニー氏はこれには理由があると言い、「ユートピアとはファシズムである」と指摘しています。たしかに歴史を振り返ると、完ぺきな社会を作り出そうとする流れが最悪の人権侵害につながってきました。ディストピアを作り出す張本人たちは、それが実在の人物でも虚構の登場人物でも、彼らの描く世界こそ完ぺきなのだと信じていたのです。

Video: levisk1212/YouTube
『宇宙家族ジェットソン』のオープニング

「ユートピアとは、多くの人がそう考えるように、固定した社会です。そこから何も変化しないし、してはいけないことになっています。化石化し、閉塞しているのです」とペニー氏。「真のユートピアとは、ユートピアを探し求めることです。それは地図上の一地点であり、そこでは旅することそのものが重要なのです」。つまりペニー氏いわく、完ぺきな未来よりも「現状より良くなろうとしている社会の方がはるかに面白い」のです。

そしてもしかしたらそれこそが、現代の視聴者が共感できるようなユートピアを作り出すカギなのかもしれません。つまり、より良い世界はディストピアから生まれることができる、と示すことです。

ユートピアとは、対話である

ユートピア作品で我々にインスピレーションを与えるために必要なのは、一分のスキもない素晴らしい社会を作り出すことではありません。ユートピアの核となるのは、人間は何か素晴らしいものを作りだすために協力できるんだという思想です。これはメインストリームなフィクションが得意とすることです。たとえば『アバター 伝説の少年アン』では主人公の少年アンがファイアネーションによる世界制覇を阻もうとし、『スティーブン・ユニバース』では主人公とその姉たち「クリスタル・ジェムズ」が横暴なダイアモンドから地球を守ろうとしています。平和主義と知恵、そして友情の力で戦う彼らヒーローたちは、その置かれた状況が不完全であっても、真のユートピアンだと言えるのです。

Video: Steven Universe/YouTube
『スティーブン・ユニバース』の主人公、スティーブンを紹介する動画

興味深いことに、いまここで例にした番組はどちらも子供向けアニメです。そのこと自体、我々の社会についての居心地の悪いメッセージではないでしょうか。つまり人間は、ユートピア思想を子供向け番組のネタに使いつつ、大人にとっては幼稚すぎると切り捨てているわけです。

これは一種のあきらめなのでしょうか、それともただの現実主義なのでしょうか? たしかに現実的に考えれば、ユートピアが本当にやってくるとは思えないし、我々はおとぎ話を見たいとも思っていません。それより多分、ディストピアに食いつく方が簡単です。陰惨な世界を1時間も見ていれば、我々の普段の生活がちょっとはマシに見えてきますからね。でも、それこそが問題の根幹です。つまり私たちは、自分がいまいる世界が完ぺきでないときに、素晴らしい世界なんか見たくないのです。

前出のロッデンベリー氏ですら、この世界の不完全さがひしひしと感じられる昨今、より良い未来を信じるのは難しいと吐露しています。「最近私は正直、いまの政治状況を見てがっかりしています」。それでも彼はまだ、彼の父が描いたより良い世界のビジョンは実現可能だと信じています。ただし、我々が変化を起こし続ける限り、です。「私は人間にはできると本当に思っていますが、いまはそこにたどりつくために適切な判断をしているのかどうかがわかりません。これは長期戦です。我々はより長期の未来に向けた投資をする必要があるんです」。

では、どうすればいいのでしょうか? 虚構の中でユートピアを作るとしたら、それをどうやって作るか、それ自体がストーリーの一部となるし、そうでなければ、我々を触発する要素がありません。この種のバランスの取れた、政治志向のフューチャリズムは『エクスパンス -巨獣めざめる- 』で見られますが、このドラマはディストピアでもユートピアでもない、その間のどこかにあります。『ブラックパンサー』でも、理想主義的なワカンダと他の抑圧された場所を対照的に描いています。そしてワカンダという比較的理想に近い社会でも、さらなる改善ができることを示しています。

Video: ATB Productions
『ブラックパンサー』でワカンダが初登場するシーン

前出のバレット氏はこのコンセプトを「アンビトピア」(ambitopia、訳注:ambi=両義的な + topia=地域)と呼んでいます。それはより良い社会と、抑圧的体制を並列させる語り口で、これによって両方の良いとこどりができます。つまりディストピアを通じて我々が変えるべきことを、ユートピアを通じて私たちが目指すべき社会を示すのです。それこそが重要です。私たちが目指す完ぺきな社会はつねに地平線の一地点でしかなく、我々はつねにそこに向かって動き続けるべきなのです。ユートピアとは、旅です。それはハッピーエンドではなく、私たちが自分を継続的により良くしていくプロセスなのです。

私たちは、子供のときは明るい未来を夢見なさいと教えられ、大人になるとそれは非現実的だと言われてしまいます。うんざりするニュースばかり見ていると、ユートピアなんておとぎ話だ、という考えに負けてしまうかもしれません。でもそんな暗い現実の中にあっても、希望には現実を変える力があります。私たちがユートピアを夢見る勇気をもっと持てれば、それがどんなにありえない夢だと思えても、世界の終わりを食い止めるためのヒントを手に入れられるのかもしれません。

理想はまず語られてこそ実現されるわけですね。

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