やめてからがつらい、Facebook。
GAFAM(ガファム)ってご存知ですか? G: Google、A: Apple、F: Facebook、A: Amazon、M: Microsoftの5大IT企業をこう呼ぶそうです。 その5大企業を生活から全部シャットダウンしたらどうなるかという実験をしたKashmir Hill記者の6週間の体験記です。
2週目:Facebook
これまで記者として、去年の大きなスキャンダルも含めFacebookのいろんなことを書いてきました。SNSがなくなったとしても寂しくなんてないだろうって思っていたけれど、今、スマホの画面を見ながらなんだかとっても寂しい気分になっています。そう、2週目はFacebook断ちをしているのです。FacebookだけではなくInstagramもWhatsAppもFacebook メッセンジャーもOculus Riftもです。Facebookに関連する全てのことを断ち切ります。Facebookアプリを削除するだけじゃなくて、今回は私のデバイスというデバイスすべてからマーク・ザッカーバーグを消し去ります!
実は最初はAmazon断ちの時と同じようにVPNを使って(またテクノロジーはDhruv Mehrotraさんにお任せ)Facebookが使用しているIPアドレスでのコミュニケーションをすべて遮断するつもりです。でも今回の実験はもうちょっとプラスでやってみようと思っていることがあります。
やめるのは簡単
Facebookの個人データの取り扱いは問題視されてきましたが、去年は特にひどいものでした。なのに、まだFacebookを使い続けてしまうのはストックホルム症候群だからじゃないでしょうか。私は2007年にFacebookを始めてそれ以来ずっとFacebookに投資してきたような気分になっているんです。パーティや休暇の写真、親友、知人、同僚、愛する人たち、そしてなんで友達なのかわからない人たちなど含めて1,000人以上のコネクションが存在します。私はFacebookをやっていない人は実在の人じゃないのかも、とか妙に怪しいなどの記事を書いたことさえありました。そしてFacebookを使ってAirbnbやSpotifyなどの他のサイトにログインすることもあります。
Facebook、やめられるのでしょうか。もしやめたら、やっぱり寂しくなるのでしょうか。Facebookで作り上げた友達は私を思い出してくれるでしょうか。Facebook断ちをするにあたって、最後に一回ログインすることにしました。すると36もの通知が。
「おお! 何かがあったのかな?」なんて思いながらベルのマークをクリックすると、そのうちの35の通知はある一人の友達が私がちょっと前にシェアしたあるリンクについてコメントしていることの通知でした。Facebookはとにかくアプリを開いて欲しいのか、すごい数のあんまり大事ではない通知を送ってくるのです。

Facebookをやめるのはツイートを消すような感覚でした。するべきだけどしたくはないこと。消したら予期していなかった悪いことも起こるかもしれない。でもやるしかありません。「削除」のボタンをクリックしました。
アカウントはその場ですぐ削除されたので、びっくりしました。アカウントを削除しようとしたら、Facebookは友達のプロフィール写真を並べて「私がいなくなったら寂しくなるよ」なんて書いて引き止めたりするのかなと思っていましたが、一旦消しても30日以内にFacebookにログインすればまたアカウントを復活できるとだけ教えてくれました。なのでカレンダーに29日後にログインするようにリマインダーをセットしておきました。Facebookを消すというのは、30日後に全ての情報をサーバーから消すって意味ではないようですけど。
Facebookを思い切って消したあとすぐにやったことは、Airbnbのサイトへ行くこと。実はFacebookのアカウントでAirbnbのアカウントを作ったので、これまでずっとやってきたいい貸主の評価が消えてしまうんではないかと心配していたのです。でもログインしようとするとパスワードをお忘れですか? と聞かれメールアドレスを入れるとアクセスできました。Spotifyも同じやり方でした。ただプロフィール写真がなくなっていて名前が消えて8桁の番号になっていたくらいです。私の大好きな英単語遊びのアプリ、Words With Friendsも大丈夫でした。もしかしたらこの先Facebookアカウントを消す人が増えることを予想してこういう会社は他の方法でログインを簡単にできるようにしてあるのかもしれません。

Amazon断ちは他のウェブサイトやサービスまで使えなくなりましたが、Facebookは断ちは大丈夫そうです。Dhruvさんが作ってくれたカウンターシステムで、データをどれだけ通信しようとしているか数えられるようになりました。Amazonの時は異常な感じで30万回。そしてFacebookはゆっくりで1万5000回でした。
私の生活からFacebookを切り離すのは、技術的には簡単でした。DhruvさんのIPアドレスブロックもうまくできていたのですが、難しかったのはWhatsApp。人権抑圧国家ではブロックを回避するようにデザインされているアプリなので、接続がうまく行かない場合はすぐに他のサーバーを見つけて繋がるように作られているのです。
楽しみが減る
技術的には簡単でしたが、心理的にはキツい実験でした。友達がどうしてるかを見ていたInstagram。スマホで時間を無駄に使っていたはずだったのに、なくなると寂しかったです。でもびっくりしたのはFacebookです。やっぱりなくなると寂しかったのです。
Facebook断ちの初日は、いきなりキツいハロウィンの日。だって1歳の娘のモンスターズインクのブーのコスチュームの写真を投稿できないからです。(ちなみにコスチュームはAmazon断ちの前にAmazonで買っておきました)そして友達がなんのコスチュームにしたのかを見ることもできません。それぞれにメッセージかメールで聞くしかないのです。メールで聞くって変な感じですよね。私たち一家のモンスターズインクの仮装を見てくれたのは、トリックオアトリートで来た子供達、道ですれ違った人たち、そして私たちの仮装写真を送った親戚のグループメールにいる人たち。それだけ。こういうイベントの時はFacebookを使わないと楽しみが減ってしまうことに気づきました。

Facebook断ちは選挙日とも被りました。ある朝、夫と郵送での投票のことを話していたら、夫のいとこがFacebookで選挙についての意見でいい投稿をしていたと教えてくれました。私は「あとで見てみるね」とつい言ってしまいましたが、そう、見れないんでした。夫はその投稿内容を説明してくれたのですが、それまで考えもしなかったけれど、Facebookが存在しなかったら、この会話もなかったっていうことになります。
おかしな話ですよね。Facebook上の選挙に関する情報は最悪だってニュースで聞いているのにも関わらず、それでもまだFacebookを情報源にしたいって思っている自分がいることは結構ショックな発見でした。私は思っていた以上にFacebookを使っていたんでしょうか。
築いたネットワークを去るのがいや

Facebookがなくなった穴を埋めるように私はTwitterに似たSNSでMastodonというものを始めました。2、3つぶやいてみたけれど、結局また新しいSNSをやるっていうこと自体に疲れを感じて、何度かログインしてやめてしまいました。SNSの影響はリアルでとってもパワーがあることだってわかりました。
Mastodonが2016年にローンチされた時にViceでこんな記事をみました。
「あなたの友達で誰もMastodonをやっている人がいないから、あなたもやっていない。あなたがMastodonをやっていないから、あなたの友達もやっていない。私もこの記事を書くって編集長に約束してなければMastodonをやっていない。」
そうなんです。Facebookでネットワークを築いて、そこを去るのがいやで、やっぱりまた始めてしまうのです。
FacebookがInstagramとWhatsAppを買収してソーシャルニュースと写真シェアの分野を強めることとなり、おかげで私は自分の友達の輪とのコミュニケーションができなくなり、Facebookでジャーナリズム賞を受賞したって自慢もできず、可愛い娘がキリンに餌をやっている動画をInstagramにあげることもできなくなっています。
また私の友達の輪からのニュースも受け取れなくなってしまいました。後日談ですが、Facebook断ちが終わってログインして最初に上がってきたフィードで、仲のいい友達が出産したことを知りました。すぐにおめでとうの電話をしたのですが、Facebookを使っていなかったらそのことを知らずにいたわけです。彼女は「Facebookに書いておけば、みんなに知らせられると思って」と言っていました。FacebookやInstagram、WhatsAppをやめると、参加していたコミュニティから断絶されるというわけです。
Open Markets Instituteの副所長Sarah Millerさんが一度私に言った言葉があります。「Facebookはマーケットパワーも持ちすぎた。Instagramを買収するのを許すべきではなかったと思う」と。Open Markets Instituteは去年一年間、Facebookのような巨大テック会社は厳しく規制されるべきだと声をあげていた機関。Sarah MillerさんはFreedom From Facebookというグループのスポークスマンも務めています。
Millerさんはケンブリッジ・アナリティカ社のFacebook利用者8700万人分のデータを不正に収集したという疑惑やFacebookの情報の扱いの問題は、Facebookが競争相手がいない状態で個人情報の門番とならざるをえなくなり、荒れている状態になったという兆候を示していると考えています。
Freedom From FacebookはFacebookは独占とみなし、分解されるべきだと連邦取引委員会に迫っています。今の所罰金でいいのではないかという方向になっているそうですが、Millerさんは罰金では十分ではないと考えているとのことです。というのも、Facebookが持っている会社はなんとアメリカ国内のSNSで生じるモバイルのトラフィックのうち77%も占めているから。「もしある会社に競合相手がいない場合、顧客を守るという刺激がなくなってしまう」とMillerさんは懸念しているそうです。
Facebookがあっても何も把握できてない

さて、Facebook断ちの後半ですが、Instagramは私がしばらくアプリを開いていないことに気づいて友達がどうしているか知りたくない?なんていう内容のメールを送ってきました。確かに友達がどうしているのか全然わからない状態でした。友達は色々なSNSで近況を報告しているのを私がちゃんとチェックしていると思い込んでいるので、実際会えば話しますが、わざわざ私に直接、これしたよ、ここへ行ってきたよという連絡をしてこないんですよね。
もう一つ気づいたことがあります。アップされるフィードを見ていると、その人のことを全部わかっているような気になっていたということです。最近久しぶりに遠くに住む友達と会う機会がありました。彼女とは毎週、「今週のお気に入り写真」というのをメッセージで送りあってきた仲です。すごくちゃんと連絡をしてきたつもりでした。でも彼女と数日一緒に過ごして話してみると、彼女の身の回りに起こっていたことを実は全然わかってなかったということに気づきました。デジタルのコミュニケーションでは伝えられることに限りがあるということがわかったのです。
Facebookがなければ、何が起こっているか把握していない気分になるのに、Facebookがあっても実はもっと把握なんかしていないっていうことがわかって、まるで諸刃の剣だなと感じました。
この実験をして面白かったことの一つは、この記事を書き終わって私の編集者に見せた時のこと。実は彼はFacebookもInstagramもやっていない人だったのに、記事を見てから始めることにしたんだそうです。「何かおもしろいことがあった時に、メッセージを直接するほどの仲良くない人にも同時に教えることができるじゃん」と思ったから、だそう。
Amazon、Facebookと来ましたが、このシリーズが本当に巨大テックをやめる上手な説得になっているのか、ちょっとわからなくなってきていました。だって逆に私の編集者がFacebookを始めることになってしまったので...。
さぁ、次はGoogleです。