「客観的現実」は存在しないのかもしれない

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「客観的現実」は存在しないのかもしれない
Image: Shutterstock

人それぞれに異なる現実世界がある…なんてことに?

科学は客観的現実のもとに成り立っています。誰かが実験をして得た結果と、他の人がまったく同じ条件で追試した場合の結果が同じであるからこそ、仮説が事実として認められ、新たな知識として蓄積されるわけです。でも、もし個人個人の現実が異なり、結果が違うものになってしまうなら、何が真実となるのか? そんな科学の根幹を揺るがすような実験が行なわれました。

思考実験「ウィグナーの友人」

1961年、ノーベル物理学賞受賞者のユージン・ウィグナーは、とある思考実験を提唱しました。まず、とある実験装置の観測(原子のスピンの向き、あるいは「シュレーディンガーの猫」のように猫が生きているかどうか)をウィグナーが友人に行なってもらうとします。観測後、ウィグナーは実験室から離れた場所で彼から実験終了の報告を聞きます。

この場合、友人にとっては観測した段階で結果(スピンの縦横、猫の生死)は決定していますが、ウィグナーにとっては結果を聞かない限りどちらでもある、重ね合わせの状態です。ということは量子力学的に言えば、「猫が生きている(または死んでいる)」という現実を認識する友人と「猫は生きているし死んでもいる」という現実を認識しているウィグナーの両方が正解となり、パラドックスが生じてしまうのです。

思考実験が現実に

MIT Technology Reviewによりますと、エジンバラのヘリオット・ワット大学のMassimiliano Proiettiと彼のチームは、この思考実験を実際に行なったのだそうです。すなわち、現実を二つ作り出して比較するというものです。…この表現だけでもちょっと異様ですが。

そもそもの発端は去年、オーストリアのウィーン大学に在籍するCaslav Brukner氏が、複数の粒子の量子もつれ(エンタングルメント)を同時に利用することで、ウィグナーの友人実験を研究室内で再現する方法を考案したことでした。Proiettiと彼のチームは、これを実行に移すことに成功したのです。

彼らはもつれの発生した6つの光子を利用して2つの現実を作りました。一つはウィグナーを表し、もう一つは友人です。「友人」側は光子の回転軸(上向きか下向き)を観測して結果を記録し、「ウィグナー」側はその後、観測結果と光子が重ね合わせになっているかどうかを観測します。

量子力学上、光子の回転軸は、観測されるまで上向きと下向きの状態が重なり合っているとされます。普通に考えれば、「友人」が観測した段階で回転軸はどちらかに収束し、「ウィグナー」から見ても「友人」と同じ結果が得られるはずです。

しかし結果はウィグナーの予想通りで、二つの現実は一致しませんでした。

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実験装置
Massimiliano Proietti, et al

つまりどういうこと?

複数の観測者が得た結果が一つの客観的現実に基づいており、観測者同士が結果に納得できるという考え方には、複数の前提があります。まず、「誰もが納得できる現実が存在する」ということ。そして、「観測者は自分の選択で自由に観測」し、「一人の観測者の測定が、もう一人の観測者の測定に影響しない(局所性)」ということです。

しかし、実験の結果は客観的現実がないことを示しています。つまり、「皆が納得できる現実はない」か、「私たちには選択の自由がない」、あるいは「局所性は存在しない」。これらのうち一つかそれ以上が正しいことになります。

もちろん、だからといっていきなり「俺たちはみんなそれぞれ違う現実に生きているんだ!」となる訳ではありません。この実験にも研究者たちが見落とした抜け穴がある可能性はあります。量子力学者たちはそういった抜け穴を塞ぐ作業を長年続けてきましたが、すべてを防ぎきるのは無理かもしれないと認めています。

それでも、この結果は科学に非常に大きな疑問を投げかけています。「科学は、複数の観測者が独立して観測を繰り返した上で得られた事実に基づいている」とProiettiは論文に記していますが、自身の実験でその根底を覆してしまったと言えます。観測者によって違う事実が生まれるなら、事実とは一体何なのか?

筆者は学者ではないしその道に詳しい訳でもないので、ただでさえ難解な量子力学は、聞いただけでポカンとしてしまいます。そこに来て「現実は一つではない」なんて言われてしまうともう何を信じていいのかって感じですよね。

ただ、同じレベルではないにせよ、一つの出来事に対して人によって感じ方、覚え方がまったく違うというのはよくあることです。昔の記録も結局は人の手によって書かれたもので、本当に何が起きたかを完璧に知ることはほぼ不可能です。誰もが携帯でビデオ撮影できる今ですら、見られるのは全体を断片的に切り取ったもので、解釈次第でいくらでも話は変わってしまいます。

そう考えると、ミクロの世界でも同じように完璧な事実がないというのも、不思議ではないのかもしれませんね。

Source: MIT Technology Review

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