愛すべきトリップ感を求めて三千里。
最近、日本でもメキメキと人気を集めている若干17歳のニューカマー、ビリー・アイリッシュ。感度の高いファンならばとっくにチェックされてると思いますが、海外メディアでは毎日のように彼女の音楽活動のみならず、言動やファッションを逐一報道する過熱ぶりです。
で、そうした欧米の音楽ファンや音楽メディアの間では「ビリー・アイリッシュの曲はヘッドフォンで聴くとASMR愛好家にはたまらない」と言われているらしくてですね。ビリー×ASMR、なるほどそういう語り口もあるのかと意外に思いまして。
ASMR(Autonomous Sensory Meridian Response)。音フェチとも言われていますね。簡単に言うと、聴覚や視覚を通じて、脳が感じるゾワゾワっとした反応のことをそう呼びます。
今ではYouTubeでさまざまなASMRコンテンツが配信されていたり、ポップカルチャー界隈では、声優やVTuberによるささやきボイスなどがASMRとして扱われていたりします。音楽方面では、SpotifyがASMRプレイリストを作ってたりして、こちらも注目ジャンルであることには違いなし。
じゃあ、ビリー・アイリッシュはどのへんがASMR的なのか。その道のプロとして、ASMRを研究されている慶應義塾大学環境情報学部准教授の仲谷正史さんと、ASMR YouTuberとして活動されているまさよC(Lipstick)さんに、お話を伺ってみました。
※記事中の動画は、イヤホン・ヘッドホンでのご視聴を推奨します。
仲谷正史(慶應義塾大学 環境情報学部 准教授)
2017年より現職。JSTさきがけ研究者。共著書に『触楽入門』(朝日出版社)と『触感をつくる――《テクタイル》という考え方』(岩波科学ライブラリー)。
──そもそも、ASMRや立体音響とはどういうものでしょうか。
仲谷正史さん(以下、仲谷さん):ASMRを日本語に丁寧に訳すと「自発的に官能的な感覚をもたらす反応」となり、五感を通じた感覚刺激(たとえば視覚・聴覚を通じたもの)によって、生じることが知られています。ASMRそのものは、人間の反応のことを指していたのですが、広義には視聴覚コンテンツによって生じた心地よい感覚や体験のことまで意味する範囲が広がっています。
また、YouTubeで「ASMR」とタグを付けられた音声付き動画が提供されるようになったことによって、心地よい音やその動画そのものを指す場合も見られるようになりました。
──そもそも、耳の近くで音があるとゾワゾワしたり、ささやき声がくすぐったく感じるのはどうしてでしょうか。
仲谷さん:耳の近く(身体の近接場)で音が聞こえる事自体は、人間を含む生物にとって生存を脅かす危険な状態であることを示します。たとえば、虫の羽音が聞こえたら、異物が近寄っていることの証拠です。人間だけでなく、犬猫やネズミでも、このような音を聞けばそちらの方向を振り返り、どう反応するかを判断します。
人間の研究では、近づいてくる音に対しては(遠ざかる音と比較して)汗をかくような生理応答を引き起こしたり、いち早く反応することができる性質があることが示されています(Bach et al., 2009, Looming sounds as warning signals: The function of motion cues)。このような生体を守る反応の1つが、ゾワゾワ・ゾクゾクするような恐怖反応と考えています。
一方で、ささやき声がくすぐったく感じるのは、「物理刺激としてくすぐったい」と「記憶の中の体験と照らし合わせてくすぐったい」の2つに少なくとも分解できるかと考えます。
前者の場合、物理的な音波が耳の中に入ってきて音を私達は聞いています。この物理刺激は微弱な機械振動刺激なので、その刺激自体がくすぐったい可能性があります(耳かきの梵天を実際に入れたような状態)。後者の場合、その音を聞いた時のシチュエーション(子供の頃にあやしてもらった、など)を思い出して、その時の体験を想起して「くすぐったい」と体感している可能性があるでしょう。
──ビリー・アイリッシュの音楽はASMRと言えるのでしょうか。
仲谷さん:ビリー・アイリッシュの代表的な楽曲である『bad guy』を取り上げて議論をしてみましょう。
先行研究(Barratt and Davis, Autonomous Sensory Meridian Response (ASMR): a flow-like mental state, Peer J 2015)では、ASMRを引き起こす共通したトリガーとして、Whispering voice(ささやき声)、Crisp sounds(カリカリした音)、Slow movements(ゆっくりとした動作)などを挙げています。
この中でも、以下の要素。
・冒頭の、ささやくように歌うところ (Whispering voice)
・1番の「Bruises on both my knees for you..」以降の Crisp soundsとしてのFinger crapの音(後にHand crapの音も加わります)
・音を左右に振って、音源が動いているように感じさせている点(Repetitive movements、Slow movements)
などは、ASMRを引き起こす要素であるので、確かに『bad guy』はASMR要素を持ち合わせていると言えます。
──ビリー・アイリッシュの楽曲に立体音響の要素は入っているのでしょうか。
仲谷さん:立体音響の定義は、空間のどこに位置するかを音を手がかりにだけで体験する(音源定位できる)ことを指します。冒頭のダッダッダッというBillieのささやくような声が多重録音になっていて、左から聞こえたり右から聞こえたりします。これによって、左か右のどちらかにいることはわかりますが、それ以上の細かさではわからないのが原状の作品です。
一方で、単にステレオ録音をするのではなく、バイノーラル録音といって、頭や耳の形を模したダミーヘッド型マイクロフォンだと、左右だけでなくその間のどのあたりにいるのかもわかります。サカナクションの山口一郎さんがそのような試みを行なっていて、2015年の情熱大陸でもバイノーラルマイクロフォンを使って録音をしていたり、『夜の踊り子 ZEPP ALIVE ALONE』が音源としてリリースされていたりします。
しかし、『bad guy』のようなASMRを引き起こす効果は目立って感じられないかもしれません。このことは、バイノーラルマイクロフォンで録音したからといって必ずしもASMRを万人に引き起こすわけではないことの1つの事例とも考えられます。
──少しテーマから逸れますが、人間にとって耳は性感帯であるともされています。であれば、ASMR音源やビリーの歌は、快楽に訴えかけているのでしょうか。
仲谷さん:耳介に触れられることで、人によってはセクシュアルな感覚を引き起こすことはありますが、万人に共通しているかといえばそうではないでしょう。また、ASMRを引き起こす音源が心地良い体験を引き起こすことがあっても、快楽的であるというのは言い過ぎのように感じます。
それゆえ、ビリーの歌は感覚体験としての心地良さゆえセンシュアルとは考えますが、快楽(Pleasure、もしくはセクシュアルなPleasure)を生じさせるまでのものとは言えないと私は考えます。
──イヤホンやヘッドフォンで聞くことが増えた昨今、ビリーの歌い方はトレンドにハマっているのでしょうか。
仲谷さん:ラウドスピーカーでは表現できない、微妙な息遣いやささやくような歌声を取り入れたという点では、イヤホンやヘッドフォンで聞くことは楽曲制作の時点で意識していたと感じます。ですが、「トレンドにハマっているか」はわかりません。『bad guy』自体は、クラブで流してもおそらく聴衆を熱狂的にさせるでしょう。なぜなら、ASMRを引き起こすこと以外にも『bad guy』は音楽的に面白い効果を含んでいるからです。
全編を通して効果的に使われている比較的に速いビート、途中でクラブのBooming音を彷彿させるような転調、Duhという言葉にならない音、2番の「tough/rough/enough/puffed guy」と韻を踏んだ歌詞の耳あたりのよさなど、音楽によってもたらされる心地良さを存分に含んでいます。
Radwimpsの『スパークル』の歌詞風に言えば、「心地よさの教科書のような曲と声」でしょうか。このような音楽の心地良さに加えて、ASMRを引き起こすような効果も持ち合わせているため、イヤホンやヘッドフォンで聞いても、あるいはラウドスピーカーで聞いても楽しめる、マルチラウンドな楽曲と言えるでしょう。
総じて、人間の感覚を喜ばせる楽曲であることは、これだけのヒットを引き起こしていることからも、明らかであると思います。TwitterやInstagramなど、文字や視覚重視のメディアコンテンツ消費が一日の大半をしめている現代人にとって、ビリーのようなセンシュアルな楽曲は、ただ聞いて感じて心地良いという体験を提供している点で、求められている(ある種、トレンドにハマっている)のだと考えます。
補足ですが、『bad guy』にはジャスティン・ビーバーと歌ったバージョンもありますが、オリジナルとは異なる印象を受けます。これは、ジャスティンの声はビリーの声と比べてASMRを引き起こすような効果は少ないからかもしれません。ジャスティンの声が比較的聞こえやすく、ビリーのかすれるような声とは質が異なるからかもしれませんが、曲全体の雰囲気も、明るくなっているようにも私個人としては感じました。このような感じ方には個人差があると思います。
もちろん、ASMRを引き起こすことだけが、ビリー・アイリッシュあるいは『bad guy』の魅力ではないを付記しておきます。
まさよC(Lipstick)
独特なASMR動画を多く制作しているASMR YouTuber。咀嚼音やスライム、ヘアカットなどなど、「耳元で音が聞こえてゾワゾワする」を、多面的な角度で表現している。
──ASMRコンテンツを作る側の人から見て、ビリーの楽曲やボーカルはASMR的なんでしょうか。
まさよCさん:ASMRの基本はささやきですので、ささやくような歌い方を多用しているビリーのボーカルはASMR的だといえます。僕は洋楽が好きなのですが、洋楽やK-POP好きな人には比較的音フェチの人が多いのです。そうした人たちは歌を楽器として聞く傾向があり、言葉や咀嚼音を一種の楽器のように感じられます。ASMRには定番フレーズがあり、「sksk」や「tickle」などがASMRトリガーとして知られています。
こうした音は、若い人が特に求めているように感じますね。昔の洋楽ではギターの音が求められていたのが、だんだんとラップになって、ビリーのような歌い方や楽曲に繋がっていったように思います。また、スマホのおかげでイヤホンやヘッドフォンで音楽を聞くことがメインになった影響も大きいでしょう。ASMRはヘッドフォンありきですから。あと、ピコ太郎がブームになった時期がありましたが、パ行の発音(破裂音)は人間が心地良く感じる音で、ビリーも真似していました。
──ASMRを歌に応用するのは難しいことなのでしょうか。
まさよCさん:なかなか上手くいかないですね。ASMRにはリズムがあまりないので、それをリズムにのせると上手くいかないんです。もともとASMRは眠気を誘う音で癒す効果があるものですから、それをダンスっぽい音楽にできるビリーは画期的だと思います。ビリーは共感覚に優れているといわれていて、ASMRは聞く側にも作る側にも変性意識状態(トランス状態)を作り出しやすやすいのですが、この共感覚の鋭さが強いトランス状態を促しているのではないかと思います。
また、今の若い世代は物語ありきでコンテンツを楽しんでいます。ビリーの場合はトランス性の高い曲に加えて、あのビジュアル表現も相まって若い世代に受け入れられているように感じます。若い子たちはわざとらしさを嫌いますしね。ビリー自身も10代ですし、リスナーにもビリーと親しい年代の人が多く、ここはシンクロしている要素かなと。
──ASMRコンテンツにおいて、誰がやっているのかといったビジュアルは大事ですか?
まさよCさん:ASMRは一種のロールプレイなんだと思うんです。自分が何かになることで相手もその気になり、それがトランス状態に繋がっている。ビリーのライブを見てみると、お客さんは踊ってるんじゃなくて一緒に歌ってるんです。これは、自分もビリーのようになれる、あるいは同一性を感じているからはないでしょうか。
一部の洋楽ファンはビリーのことをニルヴァーナの再来と言ってたりするんですけど、その前にあったパンクブームに近いと思います。パンクの「誰にでも真似できるという」というスタイルが、リスナーである思春期の子たちが抱えるモヤモヤ感とシンクロしていて、それって現状のビリーの図式と同じだと思うんです。とするならば、ASMRにとってビジュアルはとても大事です、実際にASMRのアルバムも出てるんですけどあまり売れないんですよね。
──ご自身でASMRコンテンツを作られているときは、どのようなねらいをもって作っていますか?
まさよCさん:発音はとても考えています。ビリー・アイリッシュの場合はアイリッシュというくらいなのでイギリス訛りが入っていて、tickleの「ク」や、はねる部分を意識してるんですけど、それはリズムでいうとハネ感になるんですよね。それが韻になって心地良さに繋がります。実際、音楽を聞いても鳥肌が立つ人と立たない人がいるんですけど、鳥肌が立つ人は変性意識状態になりやすいんです。ASMRはゾクゾク感が大事ですから、そうした鳥肌のようなゾクゾク感が出せるようには常に意識しています。
──ちなみに、まさよCさんがASMR動画をはじめられたのは何がきっかけだったんでしょう?
まさよCさん:僕はもともとバンドをやっていて、その動画を撮るために一眼レフカメラとバイノーラルマイクを買ったんです。僕は本職が美容師なんですけど、バイノーラルマイクで検索してみると素人がシャンプーしてる動画がたくさん出てきたんですよ。そうなるとこっちは本職ですし、僕自身も音フェチですし、どこが気持ち良いのか完全にわかっていますからね(笑)。
──ビリーのようなASMRアーティストは今後増えると思いますか?
まさよCさん:むしろ今すでに頑張ってるアーティストはいると思いますが、どこも苦戦してると思います。リズムを作ってしまうとASMRとは違うものになってしまいますから。
ASMRは音楽よりも絵本の読み聞かせに近くて、YouTubeだと雑談や実況が最近流行ってるじゃないですか。あとはPodcastとか。そうしたラジオ的なコンテンツが今は流行ってるし、ASMRもその一派といえますね。ちょっとジャンルは違うけど、大人だったらサウナが今流行ってるじゃないですか。あれも瞑想のようにトランス状態を作るものですし、ASMRしかり、現代人はそうしたものを求めてるのかもしれませんね。
──まさよCさん的には、どういう要素を満たしてるとASMRなんだと思いますか?
まさよCさん:背中がゾクゾクするもの、ですね。アイドルやモデルの人たちがアクセスを目的にそうした動画を作ってますけど、音フェチじゃない人たちの作ったものはすぐにわかりますから。ビリーがASMR的だというのは、音楽面やビジュアルに加えて、感覚的な部分で10代のリスナーとシンクロしてるのも欠かせない要素だと思います。アメリカは病んでますからね(笑)。
ビリー・アイリッシュ『ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?』
Billie Eilish “WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?”

発売日:2019年3月29日(金)
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