ニュートンの「創造的休暇」のウソホント

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  • author satomi
ニュートンの「創造的休暇」のウソホント
Image: DeFacto-CreativeCommons

「万有引力とはひき合う孤独の力である」(谷川俊太郎)

知の巨人アイザック・ニュートンはペスト禍でケンブリッジ大学が休校になったとき100km離れた田舎の実家にこもって万有引力の法則を発見し、目に針を刺し、微積分まで深めたってのに、コロナ疲れとか何を言っておるんじゃ!ニュートン様の「創造的休暇」を少しは見習おうぜ!というコメント、みなさまも何回か回ってきてるんじゃないでしょうか。

ほかにも…

「シェイクスピアはペスト禍で劇場が閉鎖になって職にあぶれたとき『リア王』を書いた」

「ボッカチオはペスト禍で疎開中、仲間とシェアした話をもとに『デカメロン』を書いた」

というバージョンもあって巣ごもりのバーは高くなるばかり。戦う前に折れる!というみなさまのためにニュートン巣ごもり伝説のウソホントを少し解きほぐしてみたいと思います。

奇跡の18カ月

ニュートンの生家には小さな農園があって、今もりんごの木が再現されています(万有引力発見300年の1964年に東大付属小石川植物園に記念植樹されて日本全国に広まった)。品種は「ケントの花(Flower of Kent)」。さすがニュートンのりんごだけに、熟れると地面にボトッと落ちます。

これが頭にゴ~ンと落ちてきて万有引力の法則がパッとひらめいた…というのは、みなさまも知っての通り、完全なおとぎ話。晩年ニュートンが仲間内に語った言葉(「実家でりんごの木をボーッと見ているときに空の月と枝のりんごに同じ自然の力が働いているとひらめいた」)に尾ひれ羽ひれがついて広まったものです。本当にりんごの木を見てひらめいたものかどうかはニュートンのみぞ知る、です。

奇跡の出発点はずっと前だった

家ごもりの18カ月にニュートンが成し遂げたことは奇跡としか表現のしようのないものでした。MITのThomas Levenson教授は次のように列挙しています。

・微積分法の発明

・微積分法を用いた時空の運動法則

・引力測定実験

・りんごをはじめ宇宙の万物をつなぐ引力の法則

・光とレンズの研究(自分の目に針を刺したのもこれ)

ただ、これらのアイディアは休校がきっかけでひらめいたものではありません。伝記には大学の寮でテスト勉強しているときにもうひらめいていた…と書かれているんです。なんでもニュートン直筆のノートが残っていて、そこに「物質、時空、運動…宇宙の法則、そして…光、色、視覚」と向こう20年の研究目標がすべてリストアップされているんだそうですよ?

ニュートンが微積分法の確立につながる命題に挑み、幾何学の新アプローチの基礎固めを終えたのは1964年で、家ごもりの数カ月前でした。

無色透明に見える太陽の光が実は虹色の集合体であることを初めて実証したプリズム分光実験も、着手したのは1660年代後期です。つまり、ロンドン大火でねずみが死滅してペストが終息し、1666年に大学に戻ってから。

万有引力の法則が日の目を見たのはさらに遅く、世界を股にかけて星を追う金持ちの子息エドモンド・ハレーが彗星のように現れ、14歳年上のニュートン教授に「彗星はどんな軌道を描くんですか?」と問い、ニュートンが持ち前の超人的集中力で1年半かけて「プリンキピア」にその回答をまとめ、ちゃっかりハレーの持ち出しで出版した1687年のことでした。つまり万有引力の法則を生んだものは棚ぼた的なひらめきではなく、ニュートン自身が言うように、「飽くなき知の探究」だったのです。

孤独なニュートン

ニュートンはそもそも孤独な生い立ちでした。父親は生前に戦死。クリスマスの朝、未熟児で生まれ、そう長くないと言われながらも奇跡的に生き延びた子で、母親は3歳のときに隣村の司祭と再婚。祖母と実家に置き去りにされたニュートンは会いにいくことも叶わず、最愛の母を奪った義父を恨んで家ごと焼き払うと脅し、本だけがなぐさめの寂しい少年でした。司祭が亡くなると母親は父親違いの弟1人と妹2人を連れて戻りますが、まもなくニュートンは下宿生活に入ります。

学校の成績はパッとしなかったけど、恐ろしく正確な日時計を作る子で、タダモノじゃないと思ったおじのすすめで大学に進学。農家の後継ぎと思っていた母親から学費は出なかったので、大学の下働きをしながら通う苦学生となりましたが、大学初の数学教授アイザック・バローに才能を見出され、授業で習わない難問を出されてみっちり鍛えられます。

バロー教授はニュートンにとっては生まれて初めて出会う父親のような存在でした。下働きしなくて済むように奨学生の身分を与えたのも教授なら、インスピレーションと学位を与えたのも教授。ニュートンは休学中もその期待に応えられるように精一杯がんばって、見事後任の教授にスピード出世したのですね。なので「休学中は教授に邪魔されず研究に専念できた」というのとは若干違うかもです。

恩師には恵まれたものの学生にはまったく人望がありませんでした。これについてはカク・ミチオ氏などは「アスペルガー症候群だったんじゃないか」と言っています。

空っぽの講堂で誰もついていけない講義をし、初期の論文が騒ぎになると、それに懲りて15年間1文字も出版せず真理の追究に没頭します。学会でライプニッツ、ロバート・フックとの先取権争い、フラムスティードとの彗星論争に疲れ果て、一時はまた実家にひきこもって錬金術と聖書研究に明け暮れる時期もありました。古典力学の始祖がオカルト趣味、終末予言者なんて、ニュートン偉人伝ではあまり触れられないことですが。

1日4時間睡眠が普通で、水銀実験も相まって精神は次第に病んで孤独を深めていきます。生涯独身。孤独な夜の果てにニュートンが見たものは、天地を超えてあらゆるものがひかれ合う力でした。そう考えるとざわめいていた心がしんと静まって厳粛な思いに包まれます。


「自然とその摂理は夜の闇に沈む。

ニュートン出でよ!と主が言うと、すべては光輝いた」

(Alexander Pope)


Sources: New Yorker, BBC, Big Think

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