ウイルスとは、なにか。
世界中が新型コロナウイルスを封じ込めようと模索しているいま、ウイルスがほかの生命体と根本的に異なる点が次々と浮き彫りになりつつあります。
ウイルスは従来の「いきもの」の定義に当てはまらない、とも言えるでしょう。それだけ、やつらはわたしたちのような細胞性生物とは一線を画した存在なのです。
不可解な存在
姿の見えない敵と戦うほど恐ろしいことはありませんが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を引き起こす新型コロナウイルス(正式名はSARS-CoV-2)との戦いは、まさにそのような苦戦を強いられています。
もちろんこれが初めてのパンデミックではありません。これまでも人類はウイルスの脅威に幾度となく直面してきました。人間にとって、ウイルスとは排除したくてもしきれない自然の摂理だと言えるのかもしれません。
なんとも不気味な存在であるウイルスは、わたしたちが思っているところの「いきもの」とは折り合わない特徴をいくつも持っています。そもそも、
「いきもの」とはなんなのか。「いきる」とはどういうことなのか。
これらの根本的な問いに対する科学者の見解が分かれているため、ウイルスが「いきもの」なのかどうかについても見解が分かれているのです。
「いきもの」の定義
たとえば、かの「猫」で有名な物理科学者のシュレーディンガーが、著書「What Is Life?(直訳:生命とは何か?)」において
いきものとは、エントロピー(無秩序・乱雑さを表す熱力学の指標)に抵抗するものすべてである
と定義したのは1944年です。
なにもしないままだと宇宙の物質やエネルギーは拡散し、無秩序と崩壊の一途をたどるはずのところを、その流れに抗って営みを継続していくものが生命体なのであって、物質に命が宿るためには「同じ状況に置かれた無生物よりもずっと長い間その営みを続けていく」必要があると書いています。
興味深い考えではありますが、熱力学の第2法則を生命体の定義に当てはめたに過ぎず、残念ながら定義の範囲が広すぎてあまり定着しませんでした。

時を経て、2010年にカナダの生物学者・Peter MacklemとAndrew Seelyが提唱したいきものの定義とはこのようなものでした。
自己完結していて、自己制御・自己編成できて、生殖可能で、開かれた熱力学的ネットワークの構成要素として挙動しており、また構成要素同士が互いにつながり合い、植物・動物・菌類・または細菌類として秩序と無秩序の相転移において安定性と適応性を兼ねた複雑な領域に存在するもの
…わけがわからないですよね。
「秩序と無秩序の相転移において」なんて、科学というより謎めいたロックバンド「Tool」が書いた歌詞みたい、正直なところ。
一方ではNASAも、宇宙生物学者が万が一地球外生命体と出くわしたときに備えて独自に生命を定義していますが、こちらはたいへん簡潔でよろしく、
自立している化学的システムのうち、ダーウィン的進化を遂げられるもの
となっています。わかりやすいのはいいんですが、やや単純すぎるような気がしないでも。
生物と無生物のはざまに
結局「いきもの」とはなんなのか?
上記以外にもいろんな人が様々な角度から説明しようと試みており、現在ではおそらく100以上の定義が出そろっているものの、おそらくそれらはすべて間違っているだろうとBBCが2017年に指摘しています。
なぜなのか。英微生物学協会の元会長、Nigel Brownさんにお話を伺ったところ、「すべての生物に当てはまる誰もが認めるに至った“生命”の定義は見つかってない」そうです。生命の多様性すべてを網羅していて、みんなが納得できるような明快な定義は今のところないのです。
たとえば、生命を定義するにあたって一般的なのが「自己を繁殖・増殖できる」という基準ですが、「種結晶が液体にひたされて新たな結晶を生み出す」こともある意味「自己を増殖している」わけです。Brownさんは「成長、ライフサイクル、代謝、外部からの刺激に対しての反応など、生命に欠かせないと思われているこれらの性質は、生物によってかなり差があるのです」とも説明してくれました。
もうひとつ、国立感染症研究所の記事で紹介されている反例がわかりやすいかもしれません。
ラバは、雄のロバと雌のウマの交雑種であり、不妊のためラバ同士で子孫は作れませんが、誰が見てもラバは生き物です。
悩ましいことに、ウイルスには生きているっぽい性質と、そうでない性質どちらもが見られます。と同時に、ウイルスの「生命」がどのように始まりどのように終わるのかについてさえ、科学者の見解は分かれています。
「ウイルス(virus)」には「ビリオン(virion、ウイルス粒子とも)」というもうひとつの言い方があり、後者の場合は宿主の細胞に侵入する以前の不活性の状態のウイルスを指すものです。ビリオンは一見すると「生きていない」ようですが、これがホスト生物の細胞中に侵入したとたんに「生き始める」のです。
これは非常に興味深いポイントであり、あらためてウイルスがどのように機能するのかを理解する必要があります。
ハイジャック犯

ウイルスは、端的に言えばRNAかDNA、いずれかの遺伝物質とタンパク質がパッケージ化されているもの。水を離れた魚のごとく、ウイルスは細胞外環境においては活動できません。
ウイルスにとって生物の細胞は生存に不可欠です。でも、ウイルスはミクロな肉食獣のように細胞を食らうわけではありません。細胞をハイジャックしたのち、思うままに細胞をいじってウイルス製造マシンへと変貌させてしまうのです。
その影響は細胞レベルに留まりません。くしゃみ・せき・鼻づまり・下痢など多岐にわたる症状が出るように宿主(ウイルスに感染した生物)の体を変化させることにより、ウイルスが動き回れるようになってさらにたくさんの生物を感染させるのです。
場合によって症状が悪化しすぎると宿主の死を招きますが、それはウイルスが意図した結果ではありません。ウイルスはただ単に自分を複製したいだけなのであって、その過程で宿主が死んでしまったとしてもウイルスには知れたことではないのです。
ギフト包装された核酸

ウイルスは自分の力だけでは繁殖できず、生物の細胞を介さないと活動できず、なにも食べないので代謝もありません。これらの不可思議な性質を鑑みて、科学者がウイルスを「生物」の領域に分類したがらないのもうなずけます。
米ジョンズ・ホプキンズ・ブルームバーグ公衆衛生大学院のAmesh Adalja助教は、ウイルスが「いきものではない」と断言します。
「生命とは自己発生し、自己持続するプロセスだと思っています」とAdaljaさんは米Gizmodoに語ってくれました。「この定義を当てはめてみると、ウイルスは生きていないことになります。ウイルスは、たとえばバクテリアのようには自己持続できないからです。ウイルスは遺伝物質を保持しているものの、宿主なしでは不活性なままなのです」。
英微生物協会のBrownさんによれば、ウイルスとは基本的に「ギフト包装された核酸」。遺伝物質がタンパク質の層に包まれているだけで、時には宿主の細胞から盗んできた細胞膜に覆われていることも。そして「タンパク層を形成するタンパク質はウイルスの核酸にコードされているが、宿主の細胞を使って合成される」のだそうです。まるで生物らしくない特徴ばかりです。
ですが、同時にウイルスは生物らしい特徴も兼ね備えているそう。「自身の遺伝情報を持っていて、それを細胞の代謝能に注入することで新しい世代のウイルスを作り出せます」とBrownさん。「さらに、ウイルスは突然変異により進化できます」。
これはRNAウイルスに特に顕著で、その一種であるインフルエンザウイルスは目まぐるしく変異するために毎年新しいワクチンを開発しなければならない所以でもあります。そして、非常にやっかいなことに、このRNA系に部類される新型コロナウイルスも突然変異しやすいそうなのです。
ウイルスの真の姿
一方で、3年前に学術誌『Science Advances』で発表された論文は、ウイルスは正真正銘の生命体であると主張しています。
進化生物学者のGustavo Caetano-Anollesさん率いる研究者チームは、何千というウイルスのタンパク質の折り畳みを比較して、ウイルスがたどった進化の道筋を調べました。その結果、ウイルスが元はRNAを持つ細胞から進化した可能性が高いことがわかったそうです。ウイルスは以前思われていたよりもずっと細胞に近い存在で、しかも共通の祖先を持っているらしいのです。
さらに興味深いのは、単体のウイルスだけではウイルスとして体を成さないというまったく新しい視点です。
Caetano-Anollesさんらによれば、「ウイルスの“真の姿”とは、ウイルスに感染した細胞群全体で示されるもの」であって、ビリオンそのものではないとのこと。これ、よくよく考えてみるとものすごく深いですよね。
ウイルスは複合生命体?
この研究が発表される7年前にも、生物学者のPatrick Forterreが同じような論点を展開しました。
細胞性生物の進化において、ウイルスが革新的な役割を果たした(そしていまも果たし続けている)ことはすでに周知のとおりである。ウイルスの新しい定義は次々と提案されており、ウイルスが生命の樹においてどのようなポジションを占めているのかも活発に議論されている。
ここで、ウイルスをビリオンと混同してはいけない。ウイルスとは、宿主の細胞に感染して、ビリオンを製造する新たな生物に変えてしまう複雑な生命体として見られるべきである。
この考え方からすると、やり方がちょっと変わっているだけで、ウイルスは自己を増殖できることになります。
しかし、Brownさんはこの見解に対して否定的です。2016年に発行された微生物協会の刊行物ではこう説明しています。
もしウイルスが生きているとするならば、DNA分子もおなじように生きていると考えるべきではないか?プラズミドも同様に細胞から細胞へと移動し、宿主の細胞から得た遺伝子を運ぶことも可能だ。ただのDNA分子なのにも関わらず、環境によっては宿主の生存に不可欠になる場合もある。さらに、プリオンはどうだろう?背理法に則ってこの論調を展開した場合、生物学的なプロセスによって生み出された鉱物が種結晶となってさらに結晶を生み出すことができれば、それも生きていると言えてしまうではないか!
たしかに、一理ありますね。
ウイルスが「ウイルスに感染した細胞群全体で示されるもの」だとすれば、その解釈が宿主という生命体そのものに広がってしまうこともあり得るのでしょうか?その場合、感染者本人が「ウイルス」になってしまうわけで、ウイルス本来の恐ろしさに加えてさらに「とりつかれる」という恐怖感が…。
ウイルスが「いきている」か、「いきていない」か。この議論は興味深いこそあれ、科学的にはさほど重要ではないことです。Brownさんにしてみれば、単に意味論的で哲学的な議論でしかないとのこと。
それでも、ウイルスがどのように発展したか、かつてウイルスに後退した生命体があったのか、それとも生命そのものの起源となった細胞から進化したのか。これらの質問は、進化生物学者であるAdaljaさんにとっては非常に重要だそうです。
いきているにしろ、そうでないにしろ、ウイルスは生命体を脅かす――このことだけは議論の余地がありません。そして、いま、いきていることが、わたしたちにとって一番大事です。
Reference: 国立感染症研究所