マーク・ザッカーバーグみたいな歴史上の人物は結構いる

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  • author Daniel Kolitz - Gizmodo US
  • [原文]
  • 福田ミホ
マーク・ザッカーバーグみたいな歴史上の人物は結構いる
Image: Frederic Legrand - COMEO / Shutterstock.com

良くも悪くも。

Facebook(フェイスブック)のマーク・ザッカーバーグCEOは、外見的にとてもオリジナリティがあります。「○○に似てるよね?」とか言われたことなさそうな。でも彼のやってきたこととか置かれてる状況と似ている例は、歴史上にかなりあります。彼が作り出したFacebookは、社会のコミュニケーションのあり方を変化または加速させ、その過程で(あるいは必然的に)既存社会のあちこちを崩壊させました。そこで米Gizmodoは複数の専門家にコンタクトし、歴史上のザッカーバーグに似ている人物を聞いてみました。

エンジニアというより起業家

Aram Sinnreich氏 (アメリカン大学准教授・コミュニケーション研究学科長)

現代の技術と過去の時代の間のメタファーはどんなものでも、当然ながらちょっと無理があります。我々が現在向き合っているデータエコノミーは、過去にあったものとはまったく違うものだからです。この手の比較は啓蒙にはなるかもしれませんが、一対一で対応する人物はなかなか見つかりません。

とはいえザッカーバーグ氏について考えると、何人か心当たりがあります。

たとえばジョージ・ウェスティングハウス。彼は発明家でエンジニアでしたが、軸足は起業家でした。つまり他人の発明を見てビジネスモデルに結びつけ、それを政府や企業に売る方法を見いだす才覚を持っていたんです。たとえば彼は、交流送電システムの開発には自ら携わっていましたが、ニコラ・テスラが作り出した技術の特許を買い取ったことでも知られています。また有能なエンジニアを見つけると彼らを雇ってしまったため、彼らの発明物は競合にならず、配下に置いておくことができました。

ザッカーバーグ氏は2004年、自分の手でFacebookをコーディングしたかもしれませんが、ビジネス面ではウェスティングハウスと同じことをしています。Facebookのイノベーションはほとんどサードパーティの模倣や買収、そしてそれらのFacebookのサービス群への統合でした。これはコンシューマー向けのもの(Instagram、WhatsApp)にも、ターゲティング広告ソフトウェアのようなバックエンドにもあてはまります。テスラはテクノロジーに関してはウェスティングハウスよりはるかに素晴らしいエンジニアで発明家であり、テクノロジーが社会に与える影響もよく理解していました。でもウェスティングハウスのほうがビジネスにはずっと長けていて、テクノロジーをいかにパッケージ化して売ればいいかを心得ていました。

データは現代の石油」という議論でいうと、もうひとり似ている例はJ・ポール・ゲティです。彼は最初は、たまたまよいタイミングでよいポジションにいたことで、運よく億万長者になったんです。その当時需要が急騰していた石油関係の権利をごっそり買収して、それを政治的・社会文化的パワーへと広げていきました。ゲティは単なる実業家でなく著名人であり、アートコレクターや慈善事業家でもあり、彼のコアプロダクトは社会の転換を進めはするものの、根本的に有害でした。彼自身誰よりも早く、石油の有害性に気づいていたはずです。ゲティが亡くなったのは1976年でしたが、70年代初期には石油産業の中でも、自分たちが気候変動を起こしているんだとはっきり気づいていました。というかもっと何十年も前から、石油燃焼による大気汚染とその健康被害について、彼らは認識していました。彼らはその情報をもみ消し、国民に嘘をつき、議会には見てみぬフリをするよう働きかけました。ゲティは自身が世に遺すものを意識し、慈善活動で世のためになる遺産を作り出そうとしていたんですが、同時に彼はこの邪悪な金満帝国の上にあぐらをかいていたんです。

ニュースの革命、政治への影響

Matthew Pressman氏(シートン・ホール大学ジャーナリズム学部准教授)

ジャーナリズム歴史家の私にとって、すぐに浮かんでくる名前はジェームズ・ゴードン・ベネットです。彼はニューヨーク・ヘラルド新聞を1835年に設立し、その後30年にわたって編集長兼社主を務めました。ニューヨーク・ヘラルドはFacebookと同じように、画期的・破壊的な新形態のコミュニケーションでした。それは1セント(約1円)で買える「ペニー新聞」のひとつで、ニュースの伝え方、そして読み方の革命でした。

ザッカーバーグ同様、ペニー新聞を作ったのはベネットが初めてではありません。Facebookの前にFriendsterやMySpaceが存在したように、米国にはベンジャミン・デイが1833年に創刊したニューヨーク・サンがありました。ベネットはそれをお手本にしてヘラルドを作ったのです。つまり、普通の人がおもしろく読めて、かつ手の届きやすい値段の新聞です。当時新聞といえば6セントで、その内容は政治や重たい論説ばかりだったのに対し、ヘラルドではフルタイムの記者(それまで存在しなかった職業)が犯罪やスキャンダル、スポーツ、社会などについて記事を書いていました。ヘラルドの登場により、既存の新聞は時代遅れになっていきました。

Facebook同様、ヘラルドで注目される記事はセンセーショナルだったりミスリーディングだったりすることが多かったんですが、ベネットは気にしませんでした。彼が主に気にかけていたのは広告で稼ぐことで、実際それで成功しました。ザッカーバーグと同じように、ベネットは「ヘラルドは無党派だ」と訴えましたが、すぐに政治的媒体になっていきました。Facebookが有害な思想の伝播を放置してきたのに対し、ベネットは自分自身の人種差別的・性差別的、排外的思想をヘラルドに注入しました。でも、少なくともベネットは彼のプラットフォームがばらまいたものへの責任を引き受けていたし、独自の報道を社会の議論の場に供してもいました。

法整備に助けられたラッシュとザック

Gretchen Soderlund氏(オレゴン大学メディア史学准教授・メディア研究分野ディレクター、『Sex Trafficking, Scandal, and the Transformation of Journalism, 1885-1917』著者)

それぞれの時代のザッカーバーグ氏といえるようなイノベーターやメディア起業家は何人か考えられますが、私は最近米国大統領自由勲章を受けたラッシュ・リンボーを挙げたいと思います。彼は多分、1990年代のザックです。

ラッシュとザックには、面白い共通点がいくつかあります。どちらも大学をドロップアウトして、メディアでのキャリアに進みました。ラッシュはラジオ、ザックは黎明期のデジタルテクノロジー分野です。どちらもその賭けがあたり、その分野で突き抜けた成功を実現しました。でも彼らの成功は無から生まれたものではありません。それは、米国のメディア法制の重要部分が改定され、彼らの言動が法的追求から守られるようになったことで可能になったのです。彼らは整備されたばかりのビジネス空間に足を踏み入れ、言論の自由の名の下に、商業的・政治的権力を手にしました。1987年のフェアネス・ドクトリン(公平原則)の撤廃は、政治的に偏ったラジオホストであるラッシュの成功の下地となりました。一方1996年成立の通信品位法230条は、ユーザーが載せたコンテンツが原因の訴訟からソーシャルメディアプラットフォームを保護しました。こうした法的な下地によって、ラッシュ、ザックともにパワーの拡大が可能になり、コミュニケーションを独占できたんです。

フェアネス・ドクトリン撤廃後、ラッシュは保守派の有力な声となり、90年代初期にはラッシュがパーソナリティを務めるラジオ番組『ラッシュ・リンボー・ショー』が米国でもっともポピュラーなトークラジオになっていました。ラッシュは右派オルタナティブニュースの正統化を助け、メインストリームのニュースや政府一般への懐疑が広がる基盤を作りました。彼はそれまで30年テレビに押されっぱなしだったラジオの力を改めて示し、時事問題をより身近なものにしました。僕は君のの仲間だ、普通の男が世界の大事な情報をきみとシェアしてるんだ、という。どこかで聞いたような口調ですよね?

ラッシュはニュート・ギングリッチなどとともに、米国の政治的議論に分断的なトーンを作り出し、愛党心の意味や役割を変えてしまいました。並み居る政治家たちも、保守派の基盤と目されるようになったラッシュとそのリスナーたちの顔色をうかがうようになっていきました。一方ザッカーバーグは陰謀論的な言説の隆盛を許し、大統領選挙のルールをも支配させ、米国の選挙への外国からの介入をかつてない規模で引き起こしました。

もちろん違いはいくつかあり、ラッシュは自分自身が声であるのに対し、ザックは声を(そしてデータを)与える側です。ただどちらも政治の世界を同じように変化させました。彼らは権威ある情報源への懐疑を広げ、政治というゲームの戦い方を変え、メディアのプレイヤーを政治権力者へと転換させました。彼らは地方と都市部の分断を深め、政治をかつてないほど両極端なものにしました。どちらに対しても、その行為の責任をとらせることはできません。ラッシュもザックも、彼らの登場前に変化した米国のメディア政策のおかげで、政治の世界を変革する機会を得られたのです。


コミュニケーションの変革は何度も

Bill Kovarik氏(ラドフォード大学コミュニケーション学教授、『Revolutions in Communication: Media History from Gutenberg to the Digital Age』著者)

大事なことは「新しいテクノロジーを発明したのが誰か」ではなく、「“新しいテクノロジーが実現することは何か”に気づいたのは誰なのか」と、「彼らがそれをいかに開発したか」です。言い換えれば、最強のビジョンを持ち、それを実際動かし始めたのは誰か、ということです。

拙著『Revolutions in Communication』では、コミュニケーションの4つの時代、すなわち印刷、イメージング、電子、そしてデジタルの時代について書いています。それぞれの時代の「ザッカーバーグ」を選ぶとすれば…。

アルドゥス・マヌティウス(1452年〜1515年)

彼は1494年、大衆向けの手頃な本を印刷するため、アルド印刷所をヴェネツィアで創設しました。当時ほとんどの印刷所は、巨大で手の込んだイラスト入りの原稿のフォーマットをコピーしてそれを裕福な人に売っていました。マヌティウスは、本は学者の武器になるという思想のもと、本のフォーマットはより小さく、字体は読みやすくしました。その思想は印刷における「インキュナブラ」(初期の活版印刷による印刷物)時代の終焉、大衆生活・文化の不可欠な基盤としての印刷の時代の始まりを示しました。

オーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエール(1862年〜1954年、1864年〜1948年)

彼は当時リヨンで写真乾板工場を家族経営していました。彼らは1894年、パリでトーマス・エジソンのキネトグラフに出会います。キネトグラフはひとりだけで見る機械でしたが、家族で話し合ううちに、リュミエール兄弟は「写真を箱の中から取り出し」より大きなスクリーンに映そうと決意しました。彼らは1895年12月までにその仕組みを作り、自らが撮影したショートフィルムを上映しました。翌年エジソンが自身によるフィルム投影システムの特許を取得、映画の世界はエジソンも他の誰も予見していなかった形へと成長を始めました。

シャルル・ルイ=アヴァス(1783年〜1858年)

彼は「情報は国際的な商材になる」と考え、1830年にパリで外国新聞の翻訳事務所を設置しました。世界初のニュース通信社、アヴァス通信社の前身です。当初はイギリスの朝刊をその日の午後3時までにパリに届け、夕刊に間に合わせていました。1845年、フランスに電報が登場すると、アヴァスはそれを最初に活用しました。彼が指導したベルンハルト・ヴォルフとポール・ロイターは、それぞれベルリンとロンドンで別の通信社を設立しました。今も残っているのはロイターだけです。

ダグラス・エンゲルバート(1925年〜2013年)

彼は、デジタル技術をオフィスワークやコミュニケーションに活用する方法を発見しました。彼はSRI Internationalのチームとともに、グラフィカルユーザーインターフェース(GUI)やコンピューターマウス、ハイパーテキストリンクやパソコンのネットワークを作り出しました。エンゲルバートが1968年にAssociation for Computing Machinery(ACM)でデモを行なうまで、コンピューターとは銀行や国勢調査局、保険会社に生息する生き物でした。しかし、その後コンピューターは日常的なオフィスのアシスタントとなり、人と人とのグローバルなコミュニケーションのための強力なシステムへと発展していきました。

権力はどこから?

Tamara Kneese氏(サンフランシスコ大学 メディア研究准教授/ジェンダー・セクシャリティ研究プログラムディレクター)

私がザッカーバーグ氏について興味深く思うのは、必ずしも彼個人の独自性ではなく、彼のブランドであるシリコンバレー流テクノロジー楽観主義、自由主義でもなく、彼に権力を与えた条件や社会構造です。ザッカーバーグ氏は「Facebookはプラットフォームでありパブリッシャーではない」と主張していますが、彼らは間違いなくニュース消費のあり方を劇的に変えました。彼らはいつも共有や透明性(あくまでユーザー側のそれであって、Facebook自身のものではない)を推進してきましたが、2019年にはFacebookがよりプライバシー中心のモデルにシフトする、と方向転換。彼の謝罪にならない謝罪や発言、議会証言は何度も目撃してきました。Facebookには高額の罰金が課され、改善を誓いましたが、法整備の動きは寸詰まりでした。今でもニセ情報は流れ、プライバシーは侵害され続けています

この状況を放置しているプラットフォームのロジックはどうなっているんでしょうか? Facebookの、そしてザッカーバーグの権力はどこから来るのでしょうか? 私は過去のデジタルな村やコミュニティの研究に多大な時間を費やしてきましたが、ザッカーバーグ氏のソーシャルネットワークは、スチュワート・ブランドとラリー・ブリリアントの「Whole Earth ‘Lectronic Link(The WELL)」なしでは存在できなかったはずです。The WELLの人たちは匿名ではなく、コアなユーザーの多くはお互いをリアルに知っていて、ときにはベイエリアで持ち寄りディナーを開くほどです。一方Facebookは、当初FaceMashといって大学生がハーバードの女子学生の魅力度を評価付けする場であり、参加者はエリート大学の生徒に限られていました。現在のFacebookは長期にわたって親しい関係を維持し、誕生や結婚、離婚、死といったライフサイクル全体を追っていくためのサイトになっています。政治プロセスにも介入しています。その利用者は、すでに離脱した何百万ものユーザーも含め、20億人を超えました。ソーシャルネットワークは、いかにしてソーシャルネットワークになりえたのでしょうか?

以前私は、富の不平等という話の中で、ザッカーバーグ氏やジェフ・ベゾス氏といったテック億万長者を泥棒男爵になぞらえたことがありました。Facebookの契約社員やコンテンツモデレーター、Facebookキャンパスの清掃業者や食堂の従業員の待遇は、役員のそれとは大違いです。ヘンリー・フォードは、特に監視や不平等という意味でザッカーバーグ氏にとても似ています。フォードは大手保険会社を雇って、自社工場社員の衛生状態、健康状態などをトラッキングさせ、彼らの年齢や性別、人種に基づいて価値をランキングしていました。フォードは反ユダヤ主義者で、当時の企業文化そのものが優生学に支配されていたんです。今のAmazonの倉庫やFacebookの顔認識技術で見られるトラッキングや監視のロジックは、こうした古い経営手法と密接に結びついてると言えます。


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