いつか夢を他人と共有できるようになる? 専門家に聞いてみた

  • author Daniel Kolitz - Gizmodo US
  • [原文]
  • 山田ちとら
いつか夢を他人と共有できるようになる? 専門家に聞いてみた

まわりの人に話さずにはいられないようなすごい夢、見たことないですか?

不可能とされていた偉業を成し遂げたり、大切な人と再開したり。夢から目覚めたら、興奮のあまりにものすごく冴えている自分がいて…。夢で味わった感動や興奮をまわりの人と分かち合いたいけど、残念ながらやがて夢はおぼろとなって消えてしまいますし、言葉では到底言いあらわせません。

でも、もしもテクノロジーの力で夢を保存したり、外部に投影したり、だれかと共有できたなら

そんなこと、サイエンスフィクションのたわむれに過ぎないでしょうか。それとも、「フィクション」と言われてきた技術が次々と現実になりつつある今、夢をシェアする技術が開発される見込みもあるのでしょうか?

さまざまな疑問・質問を専門家に伺う「Giz Asks」。今回は、夢について5名の識者にお答えいただきました。


脳がどのように意識体験をコーディングするかが鍵

Susanna Martinez-Conde(ニューヨーク州立大学南部医療センター眼科学・神経学・生理学・薬理学教授。神経科学を視覚、眼球運動、認知の側面から多面的に捉える研究に従事)

だれかが見た夢の内容を視覚的・感情的なコンテンツとしてデータ化し、読み出せる可能性を妨げている理論的なハードルは一切ありません。夢とは私たちの脳内で起こっている神経作用に過ぎず、目が覚めている間に体験する感情的・知覚的な感覚となんら変わりはありません。夢を見ている時だけ活性化する神経回路や脳の領域は存在しないのです。

しかしながら、夢の共有を実現できずにいるのはテクノロジーのせいではなく、神経コードです。私たちはいまだに意識体験がどのように脳内にコーディングされるか、そのメカニズムを解き明かせていないのです。現時点で夢の共有を不可能にしている科学の限界は、たとえばですが意識をコンピューターにダウンロードすることも同じく不可能にしています。この先テクノロジーがどんなに目まぐるしく発展したところで、神経生理学の根本を理解できていないかぎりは、意識体験がどのように脳によってコーディングされているかはわからずじまいでしょう。

仮説はあるにはあります。ただ、基本的にコンセンサスがありません。前頭葉前部皮質が意識体験と密接に関わっているという人もいれば、そうでないという人もいる。私たちの仕事はまだあまりにも未発達で、今後数年というよりかは何十年というスパンで物事を考えた方がいいぐらいです。

それでも、いつか神経生理学の研究が進んで、それ相応のテクノロジーも開発されたとする。そうしたら、私たちの意識をコンピューターにダウンロードして永遠の命を得ることも可能になるでしょう。もちろん、夢を他人と共有することも

夢はあなたの記憶のネットワークの一部

Robert Stickgold(ハーバードメディカルスクール精神科教授。睡眠研究に従事)

「いつか」というのはとても長い時間ですけど、とりあえず読者の生涯のスパンぐらいで考えてみるとすれば、答えは「いや、ムリでしょ!」となりますね。

考えてみてください──あなたの頭の中にある思考ですら、言葉だけで他人に共有することは不可能に近いんですよ。話始めた瞬間に、話の続きが20パターンぐらい派生して、その中からひとつだけを選ばなければならなくなる。でも選ばれたにしろ、選ばれなかったにしろ、すべてあなたの「思考」の一部だということには変わりありませんよね。人間の思考を第三者が垣間見ることにもっとも近づいたのは、目が覚めている状態の人をfMRIスキャンして、せいぜい顔を見ているのか、それとも道具を見ているのかを判別したぐらいが関の山でしょう。

もっと哲学的なレベルでの話をすると、あなたの思考や夢は常にあなたの総合的な記憶のネットワークや人生経験の中に埋め込まれているものです。ですから、だれかの「靴」を借りて歩いてみたところで、その人の体験や思考をそのままそっくり体験できるとはかぎらないのです。

「夢」だけを存在のネットワークから切り離すことは不可能

Adam Haar Horowitz(MITメディアラボ研究員。脳科学研究に従事)

科学の大部分がそうであるように、質問はさらに多くの質問へと導く戸口となります。夢を共有するには、まず夢自体を定義しなければなりませんね。そこで、夢のまわりに境界線のようなものを引くとしましょう──夢はビジュアルとして定義すればいいでしょうか、それともそれらを見ている視点を共有したいのでしょうか?

あるいは、もしあなたと私の脳内に私の母のイメージが同時に発生したら、夢を共有したと見なすことができるのでしょうか?私はそうは思いません。夢は、記憶から合成されるものです。夢は私たちの経験により内面に蓄積された意味や価値観のネットワークの中で個々人がそれぞれ意味を見出す作業ですから、常に個人的な体験に基づいています。このことから、たとえ同じ感覚刺激が同時にふたりの脳内で展開したとしても、それらはまったく別々の体験となるかもしれないことがわかります。こんなことを言ってしまうと、では果たして同じ映画を観ていたって、同じソファに座っていたって同じ経験をしているのかというと…うーん、そこは哲学的にはとてもやっかいな問題となってしまいますね。

実質的にはそんなにやっかいなことではありません。脳撮影技術を駆使して夢の中でみたビジュアルを解読する試みも進んできています。ほかにも、明晰夢の中から意思表示ができることもわかってきており、目の動きを使って意識状態を超越したコミュニケーションをとれることがすでに実証されています。私たちの「Fluid Interfaces」プロジェクトにおいては、夢に特定のテーマを植えつけることにも成功しています。

これらの研究は、表面上は夢のなかの情景とその外側にいる人とのギャップを縮めていっているようにも見えます。けれども、私には依然としてそのギャップがゼノンのパラドックスのように存在しているように思えます。なぜなら、どんなに科学者が客観的なツールを用いて夢をキャプチャし、観測し、再現しようと試みても、「経験」が常に置き去りになってしまうからです。あなたという存在自身を共有しないかぎり、夢もまた共有することは不可能でしょう。

夢には個人を超越した要素も含まれており、共有可能だ

Tom Stoneham(ヨーク大学哲学教授。夢についての研究に従事)

Robert A Davies(ヨーク大学哲学研究員)

私たちがふだん何気なく夢について会話しているのとは別に、夢を共有する方法はふたつあります。同じ夢を同時に見ること、そして高度なテクノロジーなどを介して他人の夢をのぞき見ることです。

夢を共有する事例は現代のいくつかのアフリカ文化にみられ、他人のかわりに夢を見てあげるだとか、「三角法」を用いて夢の中でだれかが夢を見ている人を介してほかのだれかにメッセージを送るケースさえ報告されています。同様に、メソポタミア・エジプト・ギリシャの古代文明においても夢の共有の事例は見つかっており、中には祭司と患者が同じ夜に同じ重要な意味を持った夢を見る(symptoma)ケースもあったようです。

現代の西洋文化においては、このような夢の共有はまったくの偶然でないかぎりは不可能と考えられています。夢というのはあくまで個人的(睡眠)なものであって、コミュニケーション(覚醒時)においてしか共有できないものだという大前提があり、夢の経験そのものは孤立状態で起こるものだとも考えられています。

しかしながら、西洋文化の夢に対する考え方は間違っていると私たちは考えています。予知夢のような一般的に受け入れられている現象について説明できませんし、夢の中でも低い度合いではありますが外受容感覚と内受容感覚が備わっていることや、特定の食物が悪い夢をもたらすことなどについても考察が及びません。

そうではなくて、夢というのは様々な要素から成り立っているものだと私たちは考えます。文化的・社会的な影響もありますし、特に夢から醒める瞬間においての身体的な感覚や知覚も大きく関わっています。この考え方からは、夢には根本的に個人的な体験というものがないことが導き出されます

もし私たちの考え方が正しければ、他人の夢をのぞき見ることができたとしても得るものは少ないでしょう。テクノロジーが確立されて、たとえ眠っている人々の脳をスキャンして情報を得ることができたとしても、その人たちが実際見たと報告する夢の内容とは完全に一致しないだろうことが予想できます。なぜなら、彼らが見ていた夢は文化的な慣習や社会的な期待など、ほかにも無数の要素によって影響を受けていたからです

もうひとつの夢共有、すなわち同じ夢を同じ時に見ることに関しては可能性があるかもしれません。複数の人が「同じような」夢を見るためには、睡眠時に同じような生理的・環境的変化を引き起こせばいいわけです。しかし、年齢、健康状態、食生活、その他もろもろの社会的・文化的な要素が違えば夢の内容も違ってくるかもしれないので、実験の対象者を選ぶ際に注意が必要かもしれないですね。


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