素粒子ミューオンの「g因子」値を求めた最新の実験結果が明らかに。そして物理学の謎はさらに深まった

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  • author Ryan F. Mandelbaum - Gizmodo US
  • [原文]
  • 山田ちとら
素粒子ミューオンの「g因子」値を求めた最新の実験結果が明らかに。そして物理学の謎はさらに深まった
Photo: Fermilab via Gizmodo US|イリノイ州のフェルミラボで行なわれているミューオンg-2実験には、リング状の巨大な磁石が使われている

大きな秘密は小さな封筒の中に。

米フェルミ国立加速器研究所、通称フェルミラボの奥には、一見なんの変哲もない小部屋がひっそりとたたずんでいます。その部屋のラックには電子機材が所狭しと並べられており、これまたなんの変哲もない小さな黒いキャビネットが置かれています。そして、その閉ざされたキャビネットの中には封筒が2つ。

封筒の中身は、既存の素粒子物理学理論を根底から覆しかねない極秘の数値です。

このキャビネットの中に秘密の封筒が隠されている…
Photo: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

極秘の数値とは、2台の原子時計が読み出した計測値です。科学者がある計算を行なう際にこの計測値が不可欠となるのですが、最初から数値を見てしまっているとデータ解析にバイアスがかかってしまうのではないかとの懸念のもと、今まで科学者の目に届かないよう厳重に守られ続けてきたのです。

そして先日、ついに開封の時が訪れ、中に隠されていた数値がビデオ会議に集まった約170名の科学者たちの目の前で明らかにされました。この数値が意味していることは、ふたつにひとつ。素粒子物理学の最も大きな謎が解けるか、またはその謎がさらに深まるかでした。

「画面に映し出された数値を見たとたん、安堵感と、興奮と、誇りと、喜びとが一気に押し寄せてきました」とフェルミラボの科学者、Sudeshna Gangulyさんは語っています。「あまりの興奮に、みんなミュートボタンを解除して叫びはじめたぐらいでしたよ」。

発表されたのは素粒子ミューオンの「g因子」最新値

この日、フェルミラボのミューオンg-2実験に携わる国際的な科学者チームが発表したのは、公開された原子時計の計測値を使って計算した素粒子ミューオンの「g因子」の最新値でした。g因子とは、素粒子が外部磁場においてどのようにふるまうかを定義する数値です。問題は、発表されたミューオンのg因子の最新値がまたしても「標準モデル」と呼ばれている素粒子物理学の理論から導かれた数値と異なっていたことです。なぜそうなったのかはまだ解明されていません。しかし、標準モデルが予測する数値とは異なる数値が得られたことで、素粒子物理学の謎がさらに深まったことだけは確かです。

なぜなら、博士研究員のSaskia Charityさんいわく、「もし実験で得られた数値が標準モデルが予測する数値と違っていたなら、それは標準モデルに含まれていない未知の素粒子や力が働いているとしか考えられない」からです。

宇宙を説明できるモデル

素粒子物理学の標準モデルは、この宇宙がクォーク・レプトン・ヒッグス粒子などを含む合計17種類の素粒子で構成されていると仮定しています。すでに全種類の素粒子の存在が確認されていますし、このモデルを使えば宇宙で観測された事象の多くを説明できるものの、すべてを網羅しているわけではありません。たとえば、ダークマターを構成する素粒子については依然としてなにもわかっていませんし、なぜこの宇宙は物質ばかりで反物質が少ないのかも標準モデルでは説明できません。

科学は仮説の上に成り立っています。仮説がどれだけこの世界を正確に表現できていようとも、いつかもっと正確な仮説が発見されるかもしれないのです。ですから、素粒子物理学者は常に標準モデルが間違っていることを証明しようとしています。そんな試みのひとつが、アメリカ・イリノイ州のフェルミラボで行なわれているミューオンg-2(ジーマイナスツー)実験です。

ミューオンのg-2数値を求めて

この実験は、ざっと100年ほど前の1928年に物理学者のポール・ディラックが電子のg因子を理論的に計算したことを発端としています。ディラックが出した答えは「2」でした。ところが、その後の計測で電子のg因子がぴったりと2に収まることはなく、微細な違いが観測され続けました

素粒子物理学の研究はそこからさらに発展し、実際に計測されたg因子の数値と2の差(g-2)をヒントに素粒子の内部構造を解明する試みが始まりました。いち早くミューオンのg-2実験に取り組んだのは、米コロンビア大学のニービス研究所でした。ミューオン(ミュー粒子とも)は電子と同じレプトンですが、電子よりも質量があり、短命です。ミューオンのg-2数値を測定する研究は、その後スイスにあるCERN(欧州原子核研究機構)、米ニューヨーク州にあるブルックヘブン国立研究所でも始まりました。ブルックヘブン国立研究所には直径15mもある巨大なリング状の磁石が建設され、その中にミューオンを通す実験が行なわれていました。2001年に計測が終了し、その内容が2004年に発表されたのですが、やはり測定されたg因子の数値と2は同一ではなかったのです。

フェルミラボでのg-2実験

その10年後、今度はフェルミラボでの実験が始まりました。ブルックヘブンで使われていたリング状の磁石はニューヨーク州からはるばるイリノイ州まで水路と陸路を結んで運ばれ、2017年から本格的に始動しました。

フェルミラボでのミューオンg-2実験では、まず加速器を使って陽子を加速させ、ターゲットに向けて照射します。すると、さらに陽子が作り出されると共にミューオンの反物質である反ミューオンと、反ミューオンに崩壊するパイ中間子が作り出されます。作り出された粒子は一定の流れとなって実験装置の磁石の中をほぼ光速で4,000回ほど巡るうちに、反ミューオンが陽電子(電子の反物質)に崩壊し、検出器とぶつかります。この陽電子を測定することで、科学者たちは実験装置内の磁場において反ミューオンがどのようにふるまったかを間接的に知ることができ、さらに反ミューオンのg-2数値を計測できるのだそうです。ちなみに、なぜミューオンそのものではなく反ミューオンを使って測定しているのかというと、反ミューオンのほうが作り出しやすいから。反ミューオンとミューオンはお互い鏡のように左右対称であるため、測定値は同じになるのだそうです。

結果的にフェルミラボで測定されたg-2数値は、以前ブルックヘブンで測定された数値ととても近いもので、やはり標準モデルの数値とは差がありました。ブルックヘブン・フェルミラボ両研究所で測定された数値と標準モデルとの標準偏差は4.2。これは数値の差がランダムではないという信頼度が99.993666%あるという意味です。

ところが、粒子物理学の世界では標準偏差が5(いわゆる5シグマ)で、99.9999426697%以上の信頼度がなければ統計的に有意義な結果とはみなされません。仮に5シグマだとしたら、計測されたg因子数値(2とは異なる数値)を持つミューオンが標準モデルに従ってふるまっていた確率は350万分の1です。別の言い方をすれば、もしも5シグマの信頼水準を達成できたなら、標準モデルにはg-2値を説明できない欠陥があり、従ってこの世界を説明するのに最適な仮説ではないことが確定するのです。

なぜg-2値はゼロではないのか。理由はまだ解明されていません。「ミューオンは非常に作り出すことが難しい粒子なのかもしれません」とフェルミラボの理論物理学者で研究副所長を務めるJoe Lykkenさんは話しています。「もしそうだとしたら、宇宙観測を続けていく中で今後きっとどこかでミューオン粒子が観測されるでしょうし、もしかしたらもうすでに観測データの中に潜んでいて私たちが見つけていないだけなのかもしれません」とも。

この宇宙には、まだまだ解決されていないミステリーや矛盾がたくさん存在しています。ダークマター、ハッブル・テンション、欧州原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使って行なわれた最新の実験結果などなど…。これらのミステリーも、もしかしたらミューオンのg-2問題と関係しているのかもしれません。

ふたつのg因子の数値が意味するもの

さて、冒頭のシーンに戻りましょう。

秘密の封筒が開封され、原子時計の計測値が明らかにされたことで、フェルミラボで行なわれてきたg-2因子の計算が完了し、新しい数値が明らかになりました。その数値は、以前ブルックヘブンで計測された数値と同じく、標準モデルが予測するところの「2」とは差がありました。

このニュースに世界中の粒子物理学者が沸き立っています。

ブルックヘブンとフェルミラボという2つの独立した研究機関が同じ実験を行ない、どちらも標準偏差が余裕で3を超える信頼水準で標準モデルの予測値と違う結果を出したことは、私にとっては正当性のある結果です

とブリュッセル自由大学の素粒子物理学教授・Freya BlekmanさんはTwitterのダイレクトメッセージで発言しています。

今後は理論物理学者のがんばりに期待したいですね。彼らはあらためて標準モデルから理論的にg因子の数値を解き明かそうとしているので

その言葉どおり、理論物理学者たちは過去20年間にわたってg因子の謎に取り組んできました。なぜ測定される数値と矛盾するのか。そもそも理論的に導き出されたg因子の数値は正しいのか。ある物議を醸した論文は、ミューオンのg-2数値は別の計算方法をもってなら矛盾が解決するとまで主張しています。もっとも、その論文の主張がもし幅広い研究者の層に支持され、認められることになったとしても、そこからはまた新たな矛盾が派生すると指摘しているのはフェルミラボのミューオンg-2実験の広報担当者・Chris Pollyさんです。どっちみち、フェルミラボでの実験で得られたデータはその信頼度の高さから今後のミューオン研究において不可欠になることは間違いなさそうです。

パンデミックの影響も

理論的なハードルに加え、新型コロナウイルスパンデミックというハードルも科学者たちの前に立ちはだかっていました。感染防止対策の一環として実験のコントロール室内に在席できる研究者の数が限られてしまったため、一部の技術者はZoomを介しての参加を強いられたそうです。

実験装置を稼働させているとき、通常時ならばコントロール室には常に誰かがいて、現場にいる複数の人たちと連携をとりつつ、故障の際にはすぐ対応できる体制が整っていました

とフェルミラボの科学者・Sudeshna Gangulyさんは説明しています。

ただ、この一年ほどは人数制限がかけられてしまったため、故障にもZoomで対応しなければならず、なかなか大変でした。それでも最終的にはうまくいきましたけど

もともと研究者たちの多くは世界各国から集まっているため、ソーシャルディスタンスをとりながらデータの解析を行なうことは問題にならなかったそうです。

ミューオン研究の展望

いくつものハードルを乗り越え、ミューオンg-2実験は実を結びました。その成果に研究者たちは手を取り合って喜んでいます。しかし、研究はこれで終わったわけではありません。

これまで分析できたのは実験データのわずか6%。今後は、何度も繰り返した実験すべてのデータを分析し、必要あらば改良して再実験を行ない、再度分析し…という作業を経て、実験誤差を減らしてより正確なミューオンg-2数値にたどり着きたいとGangulyさんは話しています。

今後はさらに正しい数値にたどり着けると思います。この実験に携わることができて、最高の喜びを感じています

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