10年前の出来事を思い出して、いまだに恥ずかしく感じるのはなぜ?

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  • author Daniel Kolitz - Gizmodo US
  • [原文]
  • Rina Fukazu
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10年前の出来事を思い出して、いまだに恥ずかしく感じるのはなぜ?
Illustration: Vicky Leta - Gizmodo US

失敗は成功のもと。

外は快晴。最近買ったお気に入りのトップスにぴったりのパンツを合わせて、イヤホンで最近ハマっている音楽を聴きながら外を歩いていると、意中の人から連絡が来た。自分も家族も健康で、夢は実現寸前とまではいかなくても昔と比べたらグッと近づいたところにある。なのに、10年前に言わなければ良かったことを急に思い出して、一気に叫び出したくなるような気分になる…。

「恥ずかしい」という感情に、どれだけ時間が経ったかは関係ありません。実際にはそれほど大したことではないにしても、過去の言動を思い出すとグッと恥ずかしく感じることってありますよね。

身近な疑問を専門家に聞いてみるGiz Asksシリーズ、今回は「私たちが過去の出来事を思い出していまだに恥ずかしくなるのはなぜか?」について、心理学の専門家に意見を聞いてみました!


Dacher Keltner

(カリフォルニア大学バークレー校心理学教授、感情や社交などの研究に従事)

恥ずかしさは、私たちの社会的アイデンティティの中核を成すものであって、周りからどのように見られたいか、そしてその理想からどのように逸脱しているかを表しています。たとえば友人と話をしたり、冗談を言ったりすること、他人に秘密を打ち明けること、緊張感あるイベントでの振る舞い方など、人生において恥ずかしいと思うことには繰り返しテーマがあります。10年前に起きたことを恥ずかしいと思うのは、自分が社会的にこうありたいというテーマを今でも重視しているからでしょう。


Jessica Tracy

(ブリティッシュ・コロンビア大学Emotion and Self Lab所長、心理学教授、「PRIDE: The Secret to Success」著者)

恥ずかしさだけでなく、プライドや罪悪感などの自己に関する感情は、その出来事を経験してからたとえ10年経っても再び感じることがありますが、それは誘発因子が自己であって、まだ自分自身の中にあるからです。他の感情はそうとも限りません。危険に遭遇して強い恐怖を感じたとして、数年後にその出来事を思い出そうとしても、今安全であれば当時の恐怖が再来することはないでしょう。これに対して、上司や友人の前で言わなければ良いことを言って恥ずかしい思いをした時のことを思い出すと、また同じように恥ずかしい思いをすることがあります。なぜならその感情を引き起こしたあなた自身の存在が、変わらずあるからです。その当事者として当時を思い出すことは、実際に今体験したかのように悪いことに感じられます。逆に良いこともあります。何か大きな成果を上げたときなど、自分がとても誇れることをしたときのことを思い出してみると、当時の達成感を思い出せることもあります。それはその出来事の要因となるのが自分自身であって、そういう自己もまた同様に自分の中に存在しているからです。


Robin Kowalski

(クレムソン大学心理学教授)

私たちは10年前に自分に起きたことだけでなく、他の人に起きた出来事さえも恥ずかしいと思うことがあります(共感的恥ずかしさ)。恥ずかしいと感じた時点で、その状況は自己呈示的な窮地を生み出します。それは望ましい印象を与えようとする努力に失敗したため恥ずかしく感じるのです。階段でつまずいたときに、誰かに見られていないかと周りを見回してしまうのはそのためです。このような直感的な感覚と、元に戻すことができないという事実から、当時を思い出すたびに恥ずかしいと感じます。そのような状況になったことを後悔し、どうすればそのような状況にならずに済んだかを考えることもあるでしょう。恥ずかしいという感情は非常に強いもので、何年経っても恥ずかしいと感じる理由はそこにあります。


Rowland Miller

(サム・ヒューストン州立大学心理学特別指導教授。恥や羞恥心などの研究に従事)

10年経っても、劇的に恥ずかしい思いをした状況を思い浮かべるだけで、新たな恥ずかしさを感じることがあります。恥ずかしいという感情は強烈なもので、鮮明な出来事は記憶に残りやすいのです(これは怒りなどの感情にも共通しています)。

恥ずかしいと感じるのは、「失敗した」「社会的に失敗した」という感情であって、他人にどう思われているかを気にすることに起因します。私的に行なっていることの多くは、突然誰かに発見されるようなことがない限り恥ずかしいことではありません。バレていなくても、他人が知っていたらどう思っただろうかと考えるだけで、ある程度の恥ずかしさを感じることがあります。

これは恥ずかしいという感情の社会的な強さを表す現象として興味深いものです。恥ずかしいという感情が存在するのは、自分が犯した罪を認識し、それを悔やみ、今後はより適切な行動を取ることが期待できるというシグナルを他者に与えるためだと考えられます。また、言葉によらない真の謝罪として、相手に自信を持たせることもあるでしょう。

好き放題に振る舞って他人の意見を気にしない人、恥ずかしい思いをしないような人(サイコパスに多い)は、あまり信頼できません。専門家のアドバイスによれば、人前で失敗したときには、恥ずかしい思いをするのは良いことだとされています。困惑する能力は正常であり、それは適応的なものだと考えられています。私たちが失敗して恥ずかしい思いをすると、人々の好感を得られてより信頼されることもあります。


Mary C. Lamia

(心理学者、Wright Institute教授)

記憶の中には、他よりも鮮明で感情的になりやすく、それがゆえに記憶に残りやすくなるものがあります。恥ずかしいと感じる瞬間は、一般的には驚くべき出来事が起きて、非常に感情的になりやすいものでもあります。

恥ずかしさの多くは、恥感情の一部として、自己を痛めつけたり、他人から見て自分の価値が下がっているのではないかと不安になったりする状況から引き起こされることがあります。恥は外部あるいは内部からの評価にさらされているときに感じるものであって、他者との絆が切れたときに生じることもあります。恥という反応は、そういった絆を維持するための障害を経験したことを教えてくれるのです。一般的に恥の感情が発動すると、自分自身のことが嫌になり、隠れたい、消えたいと思うこともあるかもしれません。

恥ずかしかった出来事を思い出すのが好きだという人はいないかもしれませんが、こうした記憶やそれに伴う不快な感情は、私たちを守るための適応プロセスの一部でもあります。記憶とは、過去の経験や情報を現在や未来の可能性に適用していくものであって、恥ずかしいという経験は失敗したときに役立つ反応として進化してきました。恥ずかしさをどう対処するかは、健全な学習や、社会的・親密な関係を築く上で重要だといえます。

恥ずかしい思いを何度もすることは、気持ちの持ち方、公の場での振る舞い方、そして日常の気分的な感情に悪影響を及ぼします。私たちは恥ずかしい失敗を経験として学ぶことができます。そのため、自分自身がどう反応するか観察して、どうしてそのような反応をしたのか探ってみることが重要です。過去の恥ずかしい経験は、現在と未来のために大切な情報を与えてくれる存在です。

恥ずかしさや後悔から自己観察をしてみることは、次の機会に学び、変化し、改善し、何か違うことをしてみるきっかけになります。仕事やキャリアで成功している人は、自分が経験した感情を活用しています。感じたことに対して防御的に反応するのではなく、反省し、自己評価し、そこから学んでいくのです。