こういう大学に通いたかった…。
大学生の時、何してました? 私は映画を見たり、バイトにあけくれていたら4年間が終わってしまったんですけど、もっと良い4年間にすればよかったなぁと後悔することがあります。もっと実践的で社会につながるようなことってあったよなと。そんなことを考えてしまうのは、熊本県立大学の飯村伊智郎 教授のお話を聞いたから。
教授は以下のように語ります。
専門家でないと使えなかった技術が、一般の人でも使えるような世の中になってきています。学生たちには自分の興味を実践的に解決する思考を持ってほしい。
パソコンやスマホにインターネット。これだけのテクノロジーが当たり前にある時代ですが、それを使って社会の課題を解決する方法を教えているのが飯村教授の研究室です。

飯村教授自身は、進化的アルゴリズムや群知能などを研究していますが、所属学部は「総合管理学部」。
テクノロジーを極めていく工学部とは異なり、社会科学と情報科学を組み合わせた学問領域を取り扱い、文系の学生も多く在籍しています。
理系と文系の学生が一緒になり、アプリ開発や研究に取り組んできた飯村研究室が、11月12日に公開されたAppleの「高等教育」のページで紹介されました。これは教育機関や研究者向けにAppleの製品を紹介するための企画で、世界各国の研究室での事例が紹介されています。
飯村研究室では、どんな風に研究活動を展開しているのでしょうか。
学生「親の勧めで公務員を目指していたけれど、進路を変えた」

大学2年時から研究室に配属が決定し、学生たちは文系理系問わずプログラミング言語を学び、アプリ開発に着手します。後期以降は、自身でアプリを開発し、民間企業や官公庁、教育機関とコラボレーションして課題解決を目指していきます。
学生たちとアプリを開発し始めたのは、2013年。今から8年前のことでした。
社会課題の解決を目指すアプリを学生が開発
以降、熊本地震におけるボランティアの手続きを効率化するアプリ「災ボラQR」や、重度の障害を持った重症児と療育者の意思疎通を円滑にするアプリ「HeartRecorder」などを、研究室のメンバーが開発してきたといいます。

開発にはAppleの開発ツールである「Swift」や「HealthKit」を活用。特定のユーザーにテスト版のアプリを配布する「TestFlight」機能でレビューを募り、フィードバックをもとに機能やデザインの改善を重ねます。
アプリは第一印象が大切で、そこで"かっこいい"や"かわいい"、"おしゃれ"、"役立ちそう"などの好印象をユーザに持っていただかなければ、社会実装は難しい。そのため"見せ方"はとても重要なので、丁寧に時間をかけて改善することが大切、どれだけ細かいところに気を配りこだわれるかが勝負と伝えています(もちろん、見せ方のみで乗り切るのはNGです)
座学だけの社会科学とは異なり、社会の課題をダイレクトに解決する術を学ぶ環境は、学生にとっても貴重です。実際、飯村研究室を志願する学生は多いのだそう。
在学生に話を聞くと「最初はプログラミングができなかったけれど、自分はコードを書くのが好きなんだと気がついた」といった声や「進路を変えた」という声も上がります。また、ある女学生は「親の勧めで公務員を目指していたけれど、何かを生み出すことの楽しさを知ってIT企業に興味を持ち、内定をもらうことができました」と話してくれました。
「文理融合」の可能性

アプリの開発をしていると聞くと、理系学生向けな印象を持ちますが、文系の学生も多いのが研究室の特徴。飯村教授は「文理融合で研究開発チームを構成する素晴らしさは、バランスのよいソリューションの提供ができる点にある」と言います。
例えばHeartRecorderでは、特別支援学校教諭との複数回の打合せを経て、私たちが当初考えていたAIを用いた感情推定の実装を取りやめました。
療育者である先生は、重症児である生徒の性格や趣味などの個性を十分に理解しています。それらの情報に、心拍変動の情報を加えて判断していくことこそが大切であると、特別支援学校教諭との複数回の打合せを通して学び、理解したためです。
機能をモリモリにする魅力もありますが、ユーザーである療育者の声を聞いて機能の引き算をする。こういうバランスは、いろんなタイプのメンバーがいることによって実現できるんですね。
文系と理系の「テクノロジーを捉える視点」の違い

また、飯村教授は、理系学生と文系学生は「テクノロジーを捉える視点が違うように感じる」と語ります。
多くの理系学生は、テクノロジーそのものの発展や新たなテクノロジーを生み出すこと、そして新たな発見に興味関心を寄せるのではないかと感じています。私もそうでした。そして、テクノロジーの発展に寄与することはとても素晴らしいことです。
一方、社会科学系の学生は、社会問題に興味があるので、それらの問題をテクノロジーを導入/適用することでどう解決ができるか、私たちの身近な困り事をどうやったら解消できるか、という視点になります。その際、必要であれば、それに適した新たなテクノロジーを選択し、あるいは生み出していく、という感じです。
そして、冒頭にも触れたように「専門家でないと使えなかった技術が、一般の人でも使えるような世の中」では、理系/文系それぞれが混じり合っていく必要があるのではないか、と問題提起もしていました。
もう理系/文系というカテゴリ分けではなく、その程度に差はあっても、数学や理科が得な方でも国語(英語)や社会もある程度できないといけないし、逆に国語(英語)や社会が得意であっても数学や理科のある程度の知識も必要な社会になってきているのではないでしょうか
「テクノロジーは若い人がやって」という日本の風潮
飯村研究室が発足したのは2003年。長い間、テクノロジーと社会の結びつきを学びの現場で実践してきた飯村教授ですが、大きな衝撃を受けたのは2017年にオーストラリアのグリフィス大学・統合知能システム研究所で客員教授として赴任した1年間だったそうです。
オーストラリアでは表現を工夫することの重要性を肌で感じ、先述の機能の"見せ方"にこだわる姿勢は赴任期間に得たものだといいます。また、研究室での時間だけではなく、生活空間でもゼミの方針を決める出来事がありました。
たかが1年ではあるものの、日本におけるテクノロジーに対しての捉え方について考え直すきっかけとなりました。日本はテクノロジーが社会に浸透している国だと思っていましたが、そうではないと実感しました。向こうでは、 テクノロジーは身近にあって、使うのが当たり前のもので、おじいちゃんやおばあちゃんたちも iPhone を一生 懸命使ってコミュニケーションを取ろうとしているんですね。手伝おうとすると“自分でできる”と断られ、感銘を受けたんです。日本ではあまり見ないマインドセットだなと。
学生のスタンスだけでなく、大人の姿勢についてもこのように話します。
日本だと、スマートフォンをはじめ、新しいテクノロジーに対して"難しいから若い人にやってもらいたい"と発言してしまう雰囲気が強いと言いますか……。自分自身でエクスキューズしてしまう傾向がある気がします。テクノロジーは特別なものではなく、生活に溶け込んでいるものだという意識を持ったほうがいい。ゼミでもよく学生たちにこの話をしています。
私自身は、受け身の学びではなく、能動的に学べる場を設計することに注力したい。これを繰り返していくことが、日本が変わっていく一助になるのかなと思っています。
これからの世の中、あらゆる課題解決にテクノロジーが絡んでくるでしょう。そのテクノロジーと向き合うには「見せ方」と「捉え方」が重要であるということがわかりました。今からでも勉強しようかな……!
source:Apple