記憶っていじったり消したりできるの?

  • author Daniel Kolitz - Gizmodo US
  • [原文]
  • 山田ちとら
記憶っていじったり消したりできるの?
Image: Angelica Alzona/Gizmodo US

過去にやらかしちゃったあんなこと、こんなこと。キレイさっぱり忘れてしまえたらいいのに、なんて思ったことはありませんか。

また、過去の記憶がトラウマとなり、現在の生活に支障をきたしてしまうことだってあります。

果たして記憶は意図的に消したり修正したりできるんでしょうか? 以下、専門家6名の見解です。


「不適応な記憶」から感情的な要素を取り除く薬

Samuel Schacher(コロンビア大学神経科学名誉教授)

記憶は消せるのか? 原理上は可能です。ただし、実際にはかなり難しいでしょう。

最新の神経科学による証拠は、記憶というものがまばらに符号化されていると示唆しています。どういうことかというと、 記憶のほとんどが保存される大脳皮質にはおよそ150億もの神経細胞があるものの、ある特定の記憶の保存にはそのうち数百しか関わっていません。そしてその数百を見つけ出すのがとても、とても難しいのです。

けれども、現代科学の力をもってなら、マウスの記憶に関わっている神経細胞群を特定し、それらの神経細胞を操作してマウスが本来取るべきだった行動を「忘れさせられる」のはすでに実証済みです。ただし、たとえば映画『エターナル・サンシャイン』のように、人間にも同じようにある特定の記憶をキレイに「忘れさせられる」のかと言えば、それは到底無理な話です。さまざまな制約や限界がありますが、まず神経細胞を特定できないことがもっとも大きなハードルでしょう。

とはいえ、今ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)を未然に防いだり、くつがえしたりする効果が期待できるセラピーが実用化され始めています。PTSDやそれに類似した心的障害の場合、患者さんが過去に体験したトラウマを一般化し、日常的に体験される要素に結びつけてしまう傾向があります。たとえば、あなたが夜遅くに郵便ポストのそばで強盗に遭ったとしましょう。すると、郵便ポストがその事件を象徴するようになり、郵便ポストに手紙を投函しに行くだけでパニックしてしまうかもしれません。今なら、原理上はセラピーと投薬によってその恐怖を取り除くことが可能です。実際にうまくいくとはまだわかっていませんが。

治療薬の鍵となるのは、記憶が貯蔵されるまでに起こるいくつかの変容です。記憶には4つの大まかなフェーズがあり、まず初期化され、次に固定化され、保存された後に呼び戻されます。これらのフェーズにはマウスや猿などの動物、そして人間にも共通しているメカニズムがあることもわかっています。この共通メカニズムを読み解くことにより、先ほどの郵便ポストのような不適応な記憶から恐怖を取り除く研究が行なわれています。郵便ポストの前で強盗に遭ったこと自体を忘れるのではなく、郵便ポストに重ねられた象徴的な意味を消すのです。強盗の記憶は残りますが、その記憶によって呼び起こされる感情的な要素だけが取り除かれるというわけです。このような治療法は比較的すぐ実用化されるかもしれません。

こういう治療薬を戦場に向かう兵士たちに投与する実行可能性も検討されていることもここに記しておかねばなりません。そうすれば戦場でのトラウマがそもそも発生しないから、というのがその理屈です。個人的にはこのような科学の応用には問題があると思いますし、この実態を多くの人が知るべきだとも思っています。社会が容認している戦闘行動に従事した結果、トラウマを発症してしまう兵士がいるとしたら、それを未然に防ごうとするのは当然のようにも思えます。しかし、表面上はなにも問題がないように見えても、実際は非常に滑りやすい坂道です

記憶の再固定化を操作すれば、記憶そのものを消し去ることもできるかも

Jason Chan(アイオワ州立大学心理学准教授。人間の記憶についての研究に従事)

現在、神経生物学と臨床的な観点から「記憶の固定化」という現象について多くの研究が行なわれています。

記憶は時間の経過とともに固定化します。このこと自体は、もうかれこれ100年ほど前から知られていました。人がなにかを学習したり、なにかを経験すると、脳内のタンパク質合成に変化が起きて記憶が固定化、もしくは安定化されます。

一方で、60年代に「記憶の再固定化」を提起した人たちがいました。考え方としては、すでに固定化された記憶が呼び戻される時、その記憶は今一度不安定な状態に戻るので再度固定化される必要があるというもので、この考え方を継承する研究が2000年代初頭に再び勢いを増し、ここ15〜20年ぐらいで広く研究されてきました。中でも多くの人が関心を寄せているのが、いかにこの再固定化のプロセスを利用、または阻害することにより、その記憶を弱体化したり記憶そのものを消し去れるか?ということです。

ほとんどの研究は人間以外の動物を対象としてきており、これまでの経過は極めて有望です。ですが、対象が人間となると研究は困難を極めます。理由に、人間の記憶──すなわち条件づけられた記憶ではなく、エピソード記憶──がもっとずっと複雑なことが挙げられます。研究から得られるデータも矛盾していたり、時に論争の的になったりしていますが、依然として人間を対象とした研究を続けている人はいます。

臨床的な分野においては、たとえばプロプラノロールの使用が記憶の再固定化に役立つかもしれないとの研究が進んでいます。記憶を呼び戻す直前、または直後にプロプラノロールを服用することによって、その記憶にまつわるマイナス感情やそれに対してのリアクションを軽減できるかどうかを調べているんですね。矛盾した研究結果もあるものの、全体的にはとても期待できる成果が上がってきています。

記憶の編集は近いうち実現できそう

Steve Maren(テキサスA&M大学心理学・脳科学教授。主に感情的な記憶にまつわる脳のメカニズムについて研究)

まだまだ映画『メン・イン・ブラック』に出てくるような手でかざして記憶を消去できる装置にはほど遠いものの、記憶の編集はもうちょっとで実現できそうなところまできています

記憶の編集が可能だと思うのは、記憶というものがそもそも多くの人が考えているよりもずっと可鍛性に富んでいるからです。なにせ、記憶を呼び戻す行為自体がその記憶を変えてしまうわけですからね。これはバグではなく、記憶の特徴のひとつです。状況が変わった時に、記憶に新しい情報が加えられるようになっているのです。記憶の「再固定化」自体、記憶が脳の神経細胞間に張り巡らされたネットワークに消せない跡を焼き付けているのではなくて、経験や時間の経過によってダイナミックに変化していくことを物語っています。

最近になって、この再固定化のプロセスを阻害する方法が研究によって明らかにされ、望まない記憶を消すための新たな道筋が示されました。動物と人間のどちらも対象に行なわれた諸研究からは、記憶の再固定化を妨げる効果を持つ薬が発見されていて、β受容体を遮断するプロプラノロールもそのひとつです。たとえば、プロプラノロールはPTSD患者が経験する病的な恐怖反応を臨床的に有意なレベルで削減できることがわかっています。これらの研究は、いかに不適応な記憶に的を絞り、操作するかにおいて貴重な道しるべとなってきます。

その上で、今後私たちが答えなければいけない究極的な問いは、「どうやったら記憶を編集できるのか?」ではなく、「記憶を編集していいのか?」でしょうね。

悪質な侵入性記憶だけ消せば、記憶障害の治療につながる

Sheena Josselyn(トロント大学生理学准教授。記憶にまつわる神経基質の研究、及びにその研究成果をもとに学習障害や記憶障害の治療法を研究)

科学の進展はめざましく、記憶がどのように形成され、保存され、脳内で機能しているのかが明らかになりつつあります。今では記憶が「エングラム」と呼ばれる脳細胞グループに保存されることもわかっています。すでに何名かの研究者はマウスを使った実験で記憶にまつわるエングラムを特定し、その記憶だけ(すべての記憶ではなく)を阻害(または消去)できることを立証しています。もちろん、これらの研究は最先端技術を駆使して行なわれた動物実験であって、同じ技術が人間に適用されるまでには至っていません。しかし、エングラム細胞を操作することにより、記憶そのものも操作できるとの原理証明になっているとは思います。

同時に、このような実験を今後人間にも行なえるとしたら、果たして行なうべきなのか?という問題を考える必要性も出てきています。

過去から学ぶことは大事ですよね。たとえ感情的に傷ついたり、恥ずかしい思いをしたとしても、それらの経験から学ぶことによってこれから取るべき行動を修正し、改善することができますから。カラオケで大恥をかいたからってその経験を消したり、修正したりするべきだとは、誰も記憶を研究しているコミュニティー内では思っていないでしょう。

ただし、悪質な侵入性記憶が人々に多大なストレスを与え、生活に大きな影響を及ぼしている場合もあります。これらの重篤なPTSDを患うケースにおいては、侵入性記憶を消す、または修正することで介入が必要となってくる場合も考えられます。

記憶の基礎研究から記憶そのものについて学べることはまだまだたくさんあり、そこから記憶にまつわる障害に的を絞った治療法を開発するヒントも得られると思います。このような発見がある研究を通じてこそ、PTSD、アルツハイマー病を含む記憶障害、そして広くは脳障害の治療法が確立されるでしょう。

脳は常に記憶を編集している

Jelena Radulovic(ノースウェスターン大学精神医学・行動科学非常勤教授)

そもそも脳は常に記憶を編集してますからね。時が経つにつれて新しい経験を重ねていくごとに、脳は記憶を更新し、修正し、神経回路網の再編成を行なっています。このプロセスについてより詳しく知ることができれば、ピンポイントで記憶を編集できるようになるかもしれません。

一方で、記憶を消すというのは検証不可能な問題ですね。何かが存在しないことを証明するなんてできませんから。それに、記憶が消されたか、または記憶そのものは存在しているのにもかかわらず抑制されたり、回路をたどれなくてアクセスできないでいるのかは判別が難しいところです。

長期記憶の再固定化においてプロテインキナーゼの生成を阻害すれば、その記憶だけを消せるかもしれない

Todd Sacktor(ニューヨーク州立大学ダウンステート・メディカルセンター生理学・薬理学・麻酔学・神経学教授。長期記憶の貯蔵に関わる分子レベルのメカニズムを研究。世界に先駆けてプロテインキナーゼMゼータを発見した)

記憶がどのように貯蔵されるか今後も理解を深めていくにつれ、特定の長期記憶を消せるようになる可能性は高いでしょう

記憶は、脳内の神経細胞をネットワーク化しているシナプス結合の強度の持続的変化として貯蔵されると考えられています。学習後すぐにシナプス結合が強化され始め、数十年にも及ぶ記憶の存続期間中ずっと保ち続けられると考えられています。強化されたシナプス結合は、記憶を呼び戻していない時(記憶が貯蔵されている時)も持続します。ここで鍵となってくるのは、どのような生物学的メカニズムが長期間に渡ってシナプス結合を持続させているかです。

この記憶を持続させるメカニズムについては、最近まで何も情報がありませんでした。ところが、ここ数年で蓄積されきたたデータからは、「プロテインキナーゼMゼータ(PKMzeta)」と呼ばれる変わり種の酵素こそが記憶保存に関わっていることがわかってきています

プロテインキナーゼMゼータは、学習に関係している神経細胞のネットワークにおいてのみ生成され、存続します。動物実験では、学習後少なくとも1ヶ月間は記憶を符号する神経回路網においてプロテインキナーゼMゼータの量が増加し、プロテインキナーゼMゼータが常に補充されることがわかっています。この増加は、プロテインキナーゼMゼータを安定させる働きを持つ分子との相互作用において起こると考えられています。

驚くことに、プロテインキナーゼMゼータの働きを阻害したり、プロテインキナーゼMゼータを安定化する分子との作用を阻害すると、長期記憶が失われることもわかりました。ただし、記憶のほとんどがプロテインキナーゼMゼータを伴う分子メカニズムによって貯蔵されているため、プロテインキナーゼMゼータを制御することにより複数の記憶が同時に失われてしまいます。例えるならばコンピューターのハードディスクを初期化するようなもので、それぞれの記憶が区別されることなく一律に消去されるのです。

もし特定の記憶だけを消したいのならば、記憶を呼び戻す際に記憶を貯蔵している細胞内で起こっているメカニズムを利用すればいいかもしれません。記憶の内容は、どの神経細胞が細胞ネットワークに含まれているかによって決まっているようです。特定の記憶は感覚キューによって呼び戻されるのですが、まずキューが記憶を貯蔵している神経ネットワーク内の神経細胞の一部を刺激して活性化し、その後強化されているシナプス結合を通じてほかの神経細胞も活性化され、記憶が思い出される、という仕組みになっています。

ある特定の記憶を呼び戻している際に活性化するシナプスでは、記憶貯蔵に関わっているプロテインキナーゼMゼータのような分子が急激に崩壊し、その後再生成されます。このプロセスは「再固定化」と呼ばれています。この時、記憶が呼び戻された直後に新しいプロテインキナーゼMゼータの生成を阻害することで、呼び戻された記憶だけが長期記憶として貯蔵されなくなり、ほかの長期記憶には影響が及びません

ただし、タンパク質の生成の阻害は人体に悪影響を及ぼします。ですから、もしプロテインキナーゼMゼータ、もしくはその安定化に関わっている分子だけを特定して再生成を阻害できれば、特定の長期記憶を消すことも可能になるのではないでしょうか。

Reference:ラリー・R・スクワイア、エリック・R・カンデル著、小西史朗/桐野豊監修『記憶のしくみ 上』講談社ブルーバックス

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