大充実のワークショップ、その後。
今年3月に開催されたアートの祭典「NAQUYO-平安京の幻視宇宙-」で、オーディオビジュアルアーティストJunichi Akagawaとダンサーnouseskouとのコラボレーションライブを見たギズモード編集長の尾田は、「世界を構成するのは音と映像だ!」と大感動。
「最近みんなメタバースメタバースって言ってるけど、音と映像を作る側にフォーカスしないと本質的にはわかってないんじゃないか…」と思い立ち、2週にわたって京都で開かれた、音と映像のワークショップに参加してきました。
音楽制作ツール「Ableton」とヴィジュアルプログラミングソフト「TouchDesigner」、それぞれのワークショップにトレーナーとして参加したJunichi Akagawa氏に、ワークショップ全行程終了後、編集長が直接取材。
動画でもお届けしたインタビュー内容を、拡大版テキストでお届けします。
音楽制作ツール「Ableton」ワークショップ参加レポート動画
ヴィジュアルプログラミングソフト「TouchDesigner」ワークショップ参加レポート動画
──音と映像の観点において、TouchDesignerやAbleton Liveなどはこれからの重要なキーのひとつになると感じているのですが、これらを使いはじめたきっかけは?
最初はテクノやエレクトロニカでライブ性があるパフォーマンスをしたいと思い、Ableton Liveを使い始めました。同時に、映像はCycling '74「Max」のJitterから始まり、最終的にTouchDesignerへ行き着いた感じですね。Maxもノードベースで、センサーの値を受けての音楽作りに長けているので、TouchDesignerはその映像版と捉えています。
──ノードベースとはどういうものでしょうか?
いろいろな機能を持ったオブジェクトを線で繋いで、アウトプットを作るプログラミング方式になります。直接文字を書くのではなく、様々なオブジェクトから好きなものを組み合わせていくので、ランダムに繋ぐと予想外の面白い映像や音ができることがよくありますね。意外と柔軟性があって、雑に扱えばそのまま雑に返ってくる感じが面白いです。
── 今日はTouchDesignerのワークショップでしたが、使いこなすのがとにかく難しい…。ただ、分からないからこそめちゃくちゃに繋いでみると逆に理解が深まることもあり、最低限のルールを覚えて「おもちゃ感覚」で触ると分かりやすい気がしました。
そうですね。openFrameworksなどでも使われるC++(C言語を機能拡張したプログラミング言語)や、Pythonなどの場合はミスがあると動かないじゃないですか。そういうことがなくバグも面白みに変わるのが、TouchDesignerのいいところですね。
TouchDesignerはCGを使ったソリッドな表現になっていくことが多いですが、今日尾田さんがご自身で撮影した映像を加工する様子を見て、デジタルでアナログを突き詰めていく使い方もあるのだなと思いましたね。
最新技術は常に進行するが、平安京の考え方は常に残っている
── 京都の方はメディアアートに対する理解が深く、オーディオ/ビジュアルを受け入れる素養が高いと感じます。
僕も京都には似たイメージを持っています。2010年頃からベルリンに3年間住んだ時も同じことを感じましたね。街の人々が、自身が分からないアートも理解しようとしてくれたり、そのまま受け入れたりという姿勢に感動しました。アートに対する寛大さがあったからこそ、京都に引っ越したのかもしれないですね。
── 僕は住んだことがないので外からの印象ですが、たとえば京都に住んでおられた瀬戸内寂聴さんも若いアーティストを応援されていたそうですし、京都には、年齢や男女関係なくアートへの理解と寛容さがあるような。
街の歴史の長さも大きいのかなと思います。自分たちは大きな流れの一部でしかないという感覚が影響している気がします。だからこそいろいろなことに寛大になれるのではないでしょうか。
例えばNAQUYOプロジェクトも、テクノロジー面では最先端ですが、テーマは平安京時代の考え方です。最新技術は常に進行していますが、平安京の考え方は常に残っている。その中で僕たちは、持っている技術を駆使して「今」しかできないことをやろうとプロジェクトに取り組んでいます。
3月に見ていただいたパフォーマンスも、平安時代、梵鐘の音に方角によってピッチが割り当てられていたことや四神相応の考えといったある意味データと呼べるようなものと、自分の身体からセンサーで取ったデータ、そして現代残っている鐘の音などをすべて並列で並べて、面白いもの作ってみようという試みの作品でした。
技術だけでなく、概念を知ってもらいたい
── 今回ワークショップに参加された方たちへの感想は?
皆さんが求めているものは、音と映像などで「体感できる表現」なんだなと感じました。また、完成後もデータや天気で変わっていく曲や映像など、ナチュラルに変わっていくものに対する姿勢が寛大になってきていると思います。
── 実践的なワークショップでありつつ、オーディオ/ヴィジュアルアーティストの作品紹介など、概念を重視していることが印象的でした。
時代ごとに変わるツールには左右されない、「表現したいもの」はあった方がいいと考えていますね。
── 概念が理解できれば、技術的な問題はいくらでもサポートができるのかもしれないですね。
僕自身が、たとえば尾田さんとお話しするときに、技術の話だけをしても面白くないと感じていて。むしろ何を感じたのか、どんなことを表現したいのかに興味があるのだと思います。もちろん、テクニカルなことも好きですし、制作は楽しいんですけどね。 何を、どういう手法で、誰に向けて表現したいのかを考えながら活動するのが好きなんです。
正直、メタバースに対してはの意見は…
── メディアアートが経済的なものになりつつあるなか、アートと社会の関わり方は課題だと感じています。たとえば、メタバースによってグラフィックのコーダーやメディアアーティストの仕事が増える…とも言われていますが、そもそもメディアアートに機能を持たせるべきでしょうか?また、持たせるとしたら、どんな形がアーティストにとって最善だと思いますか?
難しいな…。そもそも僕自身がメディアアーティストだとは思っていないんです。映像と音楽を使って、ライブハウスやクラブで心地いい空間、インスタレーションを作りたいだけなので。だから、メタバースに対しても、何も思っていないというのが正直なところです。
僕の活動の目的は、ライブやインスタレーションを通して人と繋がること。コロナ禍では一方的なオンラインパフォーマンスが増えていますが、これまでは同じ空間に見てくれるお客さんがいるからこそ僕も楽しめて、さらにそこで思いが入ったキャッチボールが生まれていました。 でも、バーチャル空間でのパフォーマンスで生まれるキャッチボールはまだ想像ができないです。これから面白いものを見出すことができたらとは思っていますが、今のところバーチャルなものへ意見はないかもしれないですね。
──湖でのライブ(※)は、完全に逆ですもんね。
(※ 動画 3:23Junichi Akagawaの作品「Geist in the Lake」)
パフォーマンスをしたMUTEKモントリオール2020は、「A hybrid 21st edition」として、各国のアーティストが映像やリアルタイムのストリーミングで参加していたんです。でも、僕はリアルタイムのストリーミングでライブすることにあまり意味がないと考えていました。
会場の湿度、温度、音を実際に共有して体感するものと、ストリーミングで感じるものはまったく違います。だから、同じものを作ることができないのなら、下界から離れたような電波の届かない池でのパフォーマンスをビデオ作品として世界に向けて発信するのがよいのではと。誰が聞くか分からないけど宇宙に向けて放ったレコード=「ボイジャーのゴールデンレコード」みたいな感覚でしたね。
取材協力:KYOTO STEAM-世界文化交流委祭-実行委員会 、MUTEK.JP