子宮窒息による脳性麻痺で視力と四肢の自由を奪われ、誕生の数時間後には集中治療室…。
Microsoft(マイクロソフト)のサティア・ナデラCEOの長男、Zainさんが長く険しい 後遺症との闘いに幕を閉じ、永眠しました。享年25歳。
エグゼクティブ宛てのメールで明らかになったもの。人生の大半を過ごしたシアトル小児科病院のJeff Sperring CEOは次のような追悼の言葉をメールに寄せています。
「Zainはあらゆるジャンルの音楽を愛し、太陽のような輝く笑顔でご家族、ならびに彼を愛するすべての人に大きな喜びをもたらしてくれた。彼のことは一生忘れないでしょう」
障がいを持つ子の父として学んだこと
障がいをサポートしてきた家族の苦悩と道のりについてはCEOが2017年の自伝「Hit Refresh」で述べており、その一部はLinkedInで読むことができます。
それによると、Zainさんはナデラ氏が29歳のとき、建築家の妻Anuさん(当時25歳)との間に生まれた最初の子でした(下の2人は女の子)。本社隣の賃貸アパートでベビー用品を買いそろえ準備万端で迎えたのですが、1996年8月13日、妊娠36週目に突然お腹のなかで動かなくなって近くの病院で緊急帝王切開。生まれたときの体重はわずか3ポンド(1360g)。産声もない誕生でした。
すぐさま救急車でシアトル小児科病院集中治療室に運ばれて、やっと一命をとりとめたのですが、そのときには子宮窒息で脳に重度のダメージが残り、 一生車椅子の生活と診断されたのだといいます。
これからどうなってしまうんだろうと夫婦ふたりのことで頭がいっぱいのナデラCEO。 しかし、なによりも夫人はZainさんのことに心を砕き、「なぜうちだけ」と運命を呪う間もなく自分たちにできる精一杯のことをしてあげたいと気持ちを切り替えていました。「子どもの痛みを自分の痛み以上に本能的に感じ取る」その姿を見て、CEOの心に大きな変化が訪れます。
自分の都合より、まず痛みを感じている当人のことを考えろ。どんな状況に置かれているのか考えろ。そう思うようになったのです。
障がいをもつ息子の父親になったこと。これが人生のターニングポイントになった。この経験があったから今の自分があるのだと思う。障がいを持つ人たちの辿る道がどんなものか知ることができた。新たなアイディアをつなぐ際にも、他者への思いやりを自らの哲学に据えて、パッションを感じることができる。愛と共感に人間本来の創意工夫とパッションを合わせたらできないことはない。Microsoftの仲間と一緒にその限界を押し広げていくことに深くコミットしているのも息子がいてくれるおかげだ。(自伝「Hit Refresh」より)
社内支持率97%
共感力を身につけたナデラCEOは社内支持率97%で、これをしのぐのは99%のAdobeのシャンタヌ・ナラヤンCEOだけ。前任のスティーブ・バルマー氏のようにGoogleに転職する社員に椅子を投げるようなこともなく、社内の空気はいたって平穏です。「learn-it-all」のナデラ流のもとMicrosoftは5000億ドルから2.25兆ドル企業へと大きく成長しました。
あらゆる人にアクセシビリティを
生前のZainさんは無類の音楽好きだったようです。 部屋にはいつも古今東西の楽曲が流れていたのですが、自分で選曲できないことにずっと悩んでいました。するとそれを聞いた地元の高校生3人がWindowsアプリを書いてくれて、それでやっと、車いすの横を頭でノックすると簡単に楽曲をチェンジできるようになったのだとか。 これは本人にとってもご家族にとっても相当にうれしい出来事だったと、GeekWireが報道していました。
テクノロジーでハンデを補う取り組みはMicrosoft社内でも盛んに行なわれています。たとえば、カメラで画像を捉えて音声で読み上げてくれる「Seeing AI」もそのひとつ。第1回ハッカソンで目の不自由な社員自身が提案したアイディアを長い年月をかけて実現化したアプリです。 こういったところにも、Zainさんの存在は影響を与えています。
ナデラ氏は2014年のCEO就任後、集中治療室のZainくんに報告にいったとき、あらゆる医療機器がクラウドのWindowsで動いているのを目にし、「命がかかってる。絶対失敗は許されない」と身が引き締まる思いがしたといいます。
心からのご冥福をお祈りいたします。
Sources: GeekWire