誰でも空間オーディオ制作を体験できる時代。人気バンドWONKの空間オーディオ対応アルバム『artless』インタビュー

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  • author Jun Fukunaga
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誰でも空間オーディオ制作を体験できる時代。人気バンドWONKの空間オーディオ対応アルバム『artless』インタビュー
Photo: Victor Nomoto(METACRAFT)

人気インディーズバンドのWONKによる、立体音響技術・ドルビーアトモスによる空間オーディオに対応したアルバム『artless』がリリースされました。

『artless』はWONKが「自分たちの手で楽器を鳴らすことに集中した」という、オーガニックなサウンドが特徴的なアルバムですが、その制作には、Apple開発の音楽制作ソフト「Logic Pro」に昨年搭載された空間オーディオ制作ツールが使用されています。

しかし、そのようなツールが登場したとはいえ、日本のインディーズアーティストが空間オーディオを前提にアルバムを制作すること自体がとても稀。今回はその答えを探るべく、空間オーディオ制作のレクチャーを受けた経験を持つギズモード編集長の尾田和実が、WONKにインタビュー。空間オーディオ制作のきっかけをはじめ、その制作過程における苦労や発見、さらにはその制作を通じて、彼らが感じた空間オーディオの可能性や魅力についてもお聞きしました。

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Vocal: 長塚健斗

尾田(ギズモード編集長):今、Logic Proにビリー・アイリッシュの『Ocean』とリル・ナズXの『MONTERO』のプロジェクトファイル(制作時の音源)が入っていて、誰でも空間オーディオ制作の仕組みを体験できるようになっている。

Appleが音楽クリエイターに向けて、新しい空間オーディオの世界を売り込んでいる印象を受けますね。

江﨑(Keyboard):まさに、僕らが空間オーディオに取り組むことを決めたのは、ちょうど『artless』のミックス作業をしている時にLogic Proに空間オーディオの制作ツールが追加されたからなんですよ。おそらく日本のインディーズアーティストだと、空間オーディオを前提にアルバムを作ったのは僕らが最初だと思います。

僕ギズモードを毎日読んでるくらいテック好きなので、空間オーディオに対しても、Apple Musicで配信が始まった当初から興味があって。そのことを井上に話したところ、逆にゲーム業界ではすでに3Dオーディオを取り入れていることを教えてもらったんです。

井上(Bass):僕は以前からゲームの3Dオーディオ制作をしていたので、江﨑から話を聞いて、自分がこれまでゲーム業界でやってきたことと空間オーディオは親和性が高いと思いました。

でも以前は、3Dオーディオを自宅で聴くにはちゃんとしたサラウンドシステムが必要だし、特定のサービスじゃないと聴けないし…など条件面の問題もいろいろあって、一般リスナーにまでは届きにくいと思っていたんです。

今回、Appleが空間オーディオを始めたことで、3Dオーディオ全般がようやく一般リスナーに届きやすくなったことは間違いないし、しかもLogic Proで空間オーディオ制作ができるようになったのであれば、WONKでも空間オーディオをやるべきだと思い、それを前提にアルバムを制作することを決めました。


尾田長塚さんと荒田さんは、空間オーディオに対してどういう印象をお持ちでしたか?

長塚(Vocal):最初は、“自分たちの音が、映画館並みの臨場感で聴けるようになる”くらいの漠然としたイメージしかありませんでしたが、実際の音源はまさにそんな感じだったのですごく驚きましたし面白かったですね。

荒田(Drum):新しいことをやるのが好きなので、そこに対してはまったく抵抗はなかったです。何年も前からみんなで“ドルビーアトモス環境の映画館でWONKの音楽を鳴らしてみたい”と話していたので、そんな風に聴こえるフォーマットの音源を、Apple Musicで聴けたり配信できたりするようになったのかと大きな衝撃を受けました。

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Keyboard: 江﨑 文武

尾田:僕も空間オーディオ制作のレクチャーを受けて実際に自分で触ってみましたが、例えば、トラックのLRをパンするようにオブジェクトを動かせたりもするので、最初はすごく簡単だなと思いました。

でも、1トラックずつ3Dで定位を動かせるということは、音作りの選択肢も増えるということだから、サウンドデザインの面ではすごく大変だなとも思うことがあって。井上さんはゲームのサウンドデザインもやられていて空間オーディオの制作経験があると思いますが、その辺りについてどうお考えでしょうか?

井上:確かに音作りの選択肢が増えたことは良いことなんですけど、だからといって、自分が面白いと思うことをつめこむのが音楽的に正しいかと言われると疑問があります。

例えばゲームでは、あえて“ある程度音をデフォルメすることで、立たせたいものだけを立たせる”という演出をよくやっていますが、そのノウハウは、今回の空間オーディオ制作でも活かしています。

江﨑:それと今回空間オーディオでアルバムを制作するにあたり、バキバキ打ち込み系のものや往年のライブ盤など、いろいろな空間オーディオの先行作品を聴き比べてリサーチしました。このおかげで“生楽器の空間オーディオ”を制作するためのベストなアプローチを見つけることができましたね。


尾田:制作中の音源のモニタリング環境を教えてもらえますか?

井上:先行研究は僕が1人で自宅のモニタリング環境でやりましたが、その時に先行曲を聴きながら、トラックのオブジェクトをどの位置に割り当てるかなど、アプローチの方法を考えていった感じです。そして、そこで作ったものを一旦スタジオに持ち込み、みんなに聴いてもらったうえで、最終的にみんなの意見を反映する形で完成させました。

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Bass: 井上幹

尾田:『artless』の“生演奏”というアプローチは、すごく新鮮でしたが、フィジカルなサウンドは空間オーディオと相性がいいと思いました。このアプローチはアルバムのコンセプトありきで決まったことなのでしょうか?

井上:実はアルバムのコンセプト自体は空間オーディオとはあまり関係ありません。今回は「身体性を取り戻すこと」がアルバムのテーマだったので、あえて打ち込みを使わず、自分たちの身体のみで表現できる生演奏をアルバムのコンセプトにしています。結果的にその”生演奏”というコンセプトが空間オーディオというフォーマットにハマったという感じです。


尾田:アルバムのレコーディングは、スタジオでパート毎にそれぞれ生演奏したものを録音する形で進められたのでしょうか?

江﨑:いえ、後で録り直した部分もありますが基本的には1曲ずつクリック音を聞きながらみんなでタイミングを合わせて一気に録音し、生で完成させたという感じですね。


尾田:では、曲の定位が決まったタイミングは?

井上:定位に関しては、一旦全パートを録った後にLogic Proのトラックにそれぞれのパートの音を並べて、そこで定位を決めながら、その曲の音を作っていきました。

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Drum: 荒田 洸

尾田:仕上がりを聴いたときは、どんな風に感じましたか?

長塚:空間オーディオだと、自分の口から出たコーラスの声がグルグル回っているように聴こえてきます。そういう風に音が聴こえてくる体験は今までなかったので、最初はすごく不思議な感じでした。


尾田:不思議な体験といえば、『artless』を聴いていると、自然な演奏と音響が急に少しだけ動いたように感じることがありますが、現実の音響にはない微妙な違和感がSFっぽさ醸し出してるなと。そういう聴かせ方を最初から意識されていたのでしょうか?

江﨑:いえ、特に意識していたわけではありません。ただ、その部分は確かに演奏の生々しさと空間オーディオのギミック的な面白さのバランスがすごくうまく取れていると思います。

井上:“自分たちの身体のみで表現できる生演奏”を忠実に守ることが、ドルビーアトモスというフォーマットに対する良い意味での制約になった。

つまり、無限にやれることがある中から選択した“生演奏”という答えを感じてもらうことが『artless』のテーマだったので、そのためのサウンド作りを心がけましたが、それが結果的にうまく機能したことで空間オーディオならではの臨場感に繋がりました。そして、その臨場感があるからこそ、動いてるものに対するある種の異質感も生まれました。そこが、人が聴いていて気になる要素になったのかなと。


尾田:あと『artless』からは日常的な環境音のような雰囲気を感じましたが、その辺りも意識されていたのでしょうか?

江﨑:あまり意識はしていませんが、山中湖の合宿所で制作したことで自然とそういう明るめの音になった可能性はあります。特に『Cooking』は、その合宿があったからこそ生まれた曲だと思います。


尾田:確かに『Cooking』は、明るさを象徴する曲でしたね。あと『Euphoria』は、空間オーディオで聴いていると、自分がレコーディングスタジオのソファーに座って、我慢できずノリノリになってしまうと錯覚するような感じがありました(笑)。

今回のアルバムを空間オーディオ仕様の環境で聴いてみましたが、やっぱりすごく音が良かったです。最近の低音がガンガンに効いた曲とまた違う広がりがあったというか、改めて、これまで聴いたことがない音だと思いました。

井上:空間オーディオはその定位がいかにわかるかというところが1番のポイントなので、ほんのちょっとのEQで距離感が変わってしまうくらい定位のわかり方が繊細なんですよ。そう考えると、これまでステレオで成り立っていた“低音に迫力があるドラムサウンド”のようにパンチがある音は、もしかしたら空間オーディオでは、あまり機能しないかもしれませんね。

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「Logic Pro」での空間オーディオ設定画面
Screenshot: 井上幹(WONK)

尾田:空間オーディオが今以上に普及することで、これまでのコンプレッサーをバリバリにかけて、EQで音の塊っぽく聴かせる"音の強度"に重きを置いた音作りの風潮も、今後は変わる可能性があるということでしょうか?

井上:そうですね。その可能性はあると思います。ただ、全部が全部空間オーディオになるとは思いません。今後はアコースティックな響きを重視したい音楽は空間オーディオ、低音の迫力が必要な音楽はステレオという感じで、それぞれの特性にあったフォーマットが選ばれるようになると思います。


尾田:だとすると、空間オーディオは音数が少ない、アコースティックな音の方が効果的に聴こえるのかもしれませんね。ただ、より効果的に聴かせるには、まず演奏が上手くないとちょっときついのかなとも思いました。

井上:それについては、自分の中でもまだ確かなことはわかっていません。ただ、ひとついえるのは、歌に関してはその人の良さを出す方向でしか空間オーディオは活かせないと思います。例えば、ミキシングにはどんな人の声でも誰が聴いても心地いい聴こえ方にしてしまう汎用的な方法がありますが、その方法だと機能する定位がすでに決まっているから、空間オーディオのように音作りの自由度が高いものにはマッチしないと思います。


尾田:空間オーディオは、デジタルレコーディングがなかった時代のローファイな演奏を臨場感のある生々しいものとして聴かせる方法でも期待できると思うのですが、どうお考えでしょうか?

井上:それはあると思います。今回、リファレンスのひとつとして、マーヴィン・ゲイの古い音源を空間オーディオ化した作品を聴いてみましたが、その音源の定位がドルビーアトモス環境でしっかりと割り振られていたので、すごく参考になりました。


尾田:空間オーディオ制作はM1、M2チップのMacになって初めてストレスなくできるようになったという意見もありますが、今回はどのMacを使用されたのでしょうか?

井上:最初はIntel Macを使っていましたが、M1 Ultra搭載のMac Studioが出たタイミングでそちらに移行しました。今回は音数が少なかったこともあって、Intel Macでも特に問題なく作業できていたのですが、挙動自体はやっぱりギリギリだったというか、それなりのストレスはありましたね。でも、M1 Ultraだと全くストレスがなかったので、改めてその性能の差を感じました。


尾田:空間オーディオで定位を動かす作業は大変でしたか?

井上:定位を動かすこと自体は簡単なので、実際の作業は大して時間はかかりませんでした。ただ、空間オーディオはステレオと違って、縦、横、上下の3軸で定位を考えないといけないからパンニングがすごく複雑なんです。その意味では、定位を考える方が時間がかかったし、大変でした。

尾田:空間オーディオの定位を動かす場合、オートメーションを書くことはできないのでしょうか?

井上:やろうと思えばできますが、さっきの3軸を一気に動かすことは絶対にできません。そうなると定位のバランスを崩さないようにそれぞれの軸をひとつずつ動かさないといけないし、そのための計算が必要になります。

尾田:音のオブジェクトをいろいろなところに配置できる空間オーディオの場合、例えば、足元から音が聴こえてくるようなトリッキーな音の鳴らし方もできるのでしょうか?

井上:ソニーの360 Reality Audioだと、そのようなこともできると思いますが、最小構成が7.1.4chのドルビーアトモスではできません。


尾田:空間オーディオに詳しいエンジニアの人はまだあまりいないのでしょうか?

井上:映画やゲーム業界だとドルビーアトモスに詳しいエンジニアは、すでにいると思いますが、音楽業界ではまだあまりいないですね。

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尾田:みなさんは普段からMacを使って音楽を制作されているのでしょうか?

井上:基本的にメンバーはみんなMacを使っています。ただ、僕はWindowsも使っているので、その良さも知っていますが、Macと違ってWindowsの場合、あまりライブで使うミュージシャンはいないし、その用途では不安があるというか…。だから、Windowsにはそういうイメージを払拭するためにもプロダクトデザインにもっと力をいれてほしいですね。


尾田:ちなみに空間オーディオの導入にあたってAppleのサポートみたいなものはありましたか?

江﨑:いえ、ないです。むしろ僕らとしてはサポートしてほしいくらい(笑)。

尾田:現状、すごい技術を民主的に提供しているという意味でやっぱりAppleは偉大だなと思うんですけど、Windows制作環境の人から「Appleのエコシステムが他のアプリの多様性を阻害している」という批判の声を聞くこともあります。その辺りはどう捉えていますか?

井上:そこに関しては、もう自分たちがAppleに縛られていることを自覚して使っていくしかないというか…。僕もM1 MacにLogic Proとかドルビーアトモスが搭載される前までは、Appleはどこか尊大な感じもあって、その部分はあまり好きではなかったですね。でも、Windowsに移行しようと思った時にやっぱり離れられないという…。その観点で見るともしかしたら、僕らはまんまとAppleに乗せられているのかもしれませんね(笑)。


尾田:ちなみに空間オーディオが出る前からLogic Proを使われていたのでしょうか?

江﨑:僕らはLogic Pro以外にAbleton Liveも使っています。

井上:ただ、Ableton Liveは書き出しに時間がかかるので、エンジニアリングの面ではLogic Proの方が使いやすいという意見もあります。でも、正直なところ、何を目的にするかで選ぶDAWも変わってきますが、商売道具にしてしまうと、例えば、ショートカットの使い勝手が違うとか、些細なこともストレス要因になってしまうから、急に変えるというのは難しいですね。


尾田:今後、ライブで空間オーディオを再現してみたいと思いますか?

江﨑:今のところ、技術的に難しいのでその予定はありません。ただ、空間オーディオの可能性は感じていますし、実際にサカナクションさんもサラウンドライブをやられているので、僕らもいつかライブでそういうことをやってみたいと思っています。

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WONK「artless」(配信


▼WONK初のドキュメンタリー映画が公開決定

「Documentary of artless —飾らない音楽のゆくえ—」

日時:2022年9月22日(木)

会場:丸の内ピカデリー ドルビーシネマほか

詳細はWONK HPをチェック

Photo: Victor Nomoto(METACRAFT)